二 独歩
生駒ひさごが珠世と愈史郎のもとに身を寄せてから三週間が経った。
初日の夜、説明が終わると愈史郎はそのまま丸腰のひさごを外に叩き出そうとしたのだが、ひさごは「待ってください!」と必死にしがみついた。
大正ロマン風バトルRPGのプロローグみたいだとヘラヘラしていたが、主人公の特殊能力が「酒を飲むと強くなる」だなんて聞いたこともない。というか、今まで格闘技すら経験のないひさごに何ができるというのか。酒を飲んで暴れているところを逮捕される未来しか見えない。
いかに自分が何もできない存在かを慌てて説き伏せると、幸いそれに珠世が反応してくれた。
彼女はひさごが着付けや刀の振り方、宿のとり方、全てを知らないと分かると、それでも追い出そうとする愈史郎を烈火のごとく叱りつけた。
「何も知らない子をそのまま放り出すなんて、赤子をいきなり奉公へ出すようなものですよ! 可哀想ではないですか!」
「赤ちゃん……」
「珠世様、この年齢で何も知らないのは最早赤子というより白痴ですよ! お前もぼうっとするな!珠世様はお前を憐れんでいるから敢えて言い方を変えてくださっているんだぞ、五体投地で感謝しろ!」
「きっつ……」
「愈史郎、どうしてそんなにひさごちゃんへあたるの? おやめなさい! 弱い者いじめをする人は嫌いです!」
「申し訳ありません珠世様!」
そういうわけで、珠世達はしばらくひさごを側へ置くことにした。
この出来事からひさごにとって珠世の位置付けは神に近いものになったが、やはりその状況を良く思わない者がいる。二人きりの生活に水を差された愈史郎だ。
彼はひさごにある程度の戦闘訓練をつけるよう珠世から頼まれており、それはもうできる限りにストレス発散の捌け口として彼女をメタメタに苛めぬいた。
酒を飲めば、ひさごの身体能力は珠世や愈史郎を超える。それは滞在数日目の時点で発覚していた。しかし彼女は犬や猫でさえ殺したことがないし、人を殴ったこともない。彼女が鬼を殺せるようになるのは、鬼に一撃入れられるようになるのは、そもそも刀を握れるようになるのは一体いつになるのだろうか。
珠世が自らの腕を引っ掻く様子を見て顔を青くするくらいなのだから、相当先が思いやられると愈史郎は渋い表情を浮かべた。
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愈史郎が待ちに待った三週間目の当日、日暮れとともに珠世達は次の拠点へ移っていった。
それをひさごは弱々しい笑顔で見送ったが、愈史郎の術によりその姿が消えると、途端にその表情は更に不安そうなものへ変わる。
「やばいよ……とうとう夢から醒めないまま珠世さん達とお別れしちゃった……本当にやばいよ…」
最初は夢物語だとどこか浮ついた気分でいたものの、どんどん自分への風当たりが厳しい状況へ変わっていく展開に、さすがにひさごも薄々何かを感じ取っていた。これは醒めることができない夢なのかもしれない、と。異郷訪問譚は必ずしも帰り道が用意されているとは限らないのだ。
もちろん慈母たる珠世のことだ、それなりの金額が入った財布や旅道具などをひさごにあらかじめ託していた。中でも一番心強いのは腰元にぶら下がっている大きな瓢箪だった。中には焼酎が入っている。
酒があればなんとかなる。ひさごにとっての正義はアルコールだった。たとえ貰った武器が日輪刀ではなくただの日本刀だったとしても、2単位分の酒を飲めば少なくとも8時間はハイになった状態で戦える。飲みすぎると嘔吐まっしぐらではあるが。
大正時代の夜は暗い。都会なら街灯があるだろうが、そこから外れてしまった畦道はかすかな月明かりだけが頼りだ。現代人にとってはそれすら恐ろしくてたまらないが、まずはここから動かなければ何も始まらない。
「普通の刀じゃ鬼は殺せないって言うし、早く鬼殺隊に入っちゃいたいけど…愈史郎さんは暫くひとりで戦って修行しとけって言うし……ああ〜もうやだ〜珠世さあん〜愈史郎さん〜一人にしないで〜」
背嚢を背負い、腰に瓢箪と刀を提げたひさごは泣きそうな表情を浮かべ、愈史郎達が歩いていた方角を何度も振り返りながらより人気のない道へとトボトボ歩いていった。もらった笠を目深く被る。珠世が「絶対に被るように」と強く念押ししたものだった。
その後姿を隠れて見守っていた珠世達は、一方は苦笑いしながら、一方は鬱陶しそうにしながら見送っていた。