顔の見えない同期3


 添え木を使った応急処置を終える頃には、玄弥は目に見えてしおらしくなっていた。
 どうしたのと聞いても「うるせえ」と返すばかりで、やはり先程のような勢いはなりを潜めている。

 シデは人の心の機敏に疎い。そんな性格の持ち主が炭治郎の言動を真似たところで、結局身につくのは上っ面の気遣いだけだった。
 しかし、なにか行動を起こさなければ。

「……」

 腰に手を当ててしばらく玄弥を眺めていたシデは、何を思ったのか、彼が抱えている襷掛けの風呂敷をおもむろに奪い取った。中には彼が選抜の際に着ていた着物や僅かな金品が入っている。
 玄弥はギョッと目を剥いて咄嗟に腕を伸ばした。しかしそれをひらりと避けられる。正方形の端切れをいくつも縫い合わせた継ぎ接ぎの羽織が玄弥を弄ぶように翻った。

「!? 返せ!」
「早く休まなきゃいけないよ。早くおいで、あとで塗り薬を作るから」
「は!?」

 頭上でシデの鎹鴉が「藤ノ家紋ノ家マデゴ案内ー」と呑気に鳴いている。
 玄弥の鎹鴉は「日没マデアト三十分ー」と告げている。
 シデは何を言うでもなく、じっと玄弥を見つめて微笑んだ後に踵を返して歩き始めた。玄弥は慌てて立ち上がった。

 しかし、さっきは無我夢中で気付かなかったが、一度気が緩んでしまうとこの獣道はとにかく歩きづらかった。
 土壌が浅いせいだろうか、縦横無尽に這う木の根にすぐ足を取られてしまう。しかも上り坂だ。四方から伸びる木の枝や頭、上から垂れ下がる蔦は視界の邪魔をする。
 時々蜘蛛の巣のようなものが顔面に絡まる感覚も、この上なく鬱陶しい。気分を荒げると余計に息が上がる。呼吸で体力を確保しようと意識しているうちに、目の前を歩くシデの背中はどんどん遠くなってしまう。
 恐ろしいことに、彼女は一定の歩速を保ったまま軽やかな足運びで狭い道を登っていた。あの山折りの編笠などは特に邪魔であるはずなのに、なぜだかそれが引っかかる様子はない。あまりにも簡単そうな素振りで前を進むので、玄弥のイライラが再び爆発した。

「ックソ…! さっさと返せよ俺の風呂敷…!!」

 骨折していない方の手で、ちょうど側に立っていた木の幹を殴りつけた。
 ……しかし残念ながら、玄弥の咆哮は届かなかったようだ。もしくは敢えて無視されたのかもしれない。
 シデは玄弥の体力が残り少ないことをちらりと振り返って確認すると、背中に背負った日輪刀をしゃらりと抜いてみせ、目の前にかかっている蔦や枝を斬り落とした。

「早くおいで」

 か細く静かな声が、ザワザワと木々の揺れる音に紛れていく。
 日が当たらなくなった暗い緑色の林に、シデが振り上げる日輪刀の透き通った鋼色が何度も輝く。一番星のように。
 生い茂る木々にかき消されるように、細い隙間から編笠の少女が見え隠れしている。
 滝のような汗をかきながらそれを見上げた玄弥は、シデの声にやはり笑みが混じっていたような気がして、バカにしやがってと顔を顰めた。一人で何ふり構わず歩いていたはずの道が、気付けば先導されていた。しかも障害物をわざわざ退けられて、お膳立てまでされている。

「……うるせえ!!」

 玄弥はたった一言だけ怒りに身をまかせて叫ぶと、あとは無言でシデの後をついてきた。
 風が通り抜けるざわついた林に、しばらく木の枝を切り落とす音と小枝を踏みしめる二人分の足音が響いていた。
 日暮れの林に刀身を反射する光源など無いはずなのに、目の前のことで精一杯の玄弥はその不思議に気が付かなかった。

- - -

 藤の家紋を下げた家は、そこを訪れる鬼殺隊士達に無償で衣食住を奉仕している。
 どういうわけか最初からそれを知っていたシデは、鎹鴉の先導によって無事藤の家紋の家に到着した。片手に携える日輪刀をブンと大きく振り、刀身に絡みついた蔦を落とす。その反動で、途中から背中に背負っていた玄弥の風呂敷がかちゃ、と音を立てた。茶碗と箸でも入っているのだろうか。
 もうすっかり日は暮れ、月も分厚い雲に隠れてしまっている。
 山中に建つ立派な白い漆喰の塀には少し泥が跳ねた跡があり、門扉には藤の家紋が大きく描かれているのが微かに視認できた。

「アーーッ、鬼殺隊、二名到着ー!」

 門に停まった玄弥の鎹鴉が甲高く鳴いた。……しかし扉は開かれない。門の向こう側からは松明の爆ぜる音や明かりが漏れ、竈からは出汁の香りや湯気がもくもくと上がっているというのに。
 肩に烏を乗せたシデは握り拳で門扉をゴンゴンと叩いた。それでも相変わらず反応が無い。

「出テコナイ」
「……出てこれないのかな」
「ア?」

 烏が首を傾げる。その時、突然背後からガサガサと茂みを掻き分ける大きな音が響いた。
 烏は驚きのあまり声を上げ、バサバサと羽を羽ばたかせる。しかしそこに現れたのは、ぜえぜえと息を切らした玄弥だった。髪や羽織、はてには脚絆の間にまで小枝や葉が挟まったり突き刺さったりしている。
 玄弥は真っ赤な顔で肩を上下させ、うまく呼吸できずに口からよだれを垂らしていた。よほど必死だったらしい。
 
「テ、メーッ…早えんだよ…!!」
「玄弥くん」
「ア!? っと…投げんじゃねえ!」

 シデは背中から風呂敷を下ろし、玄弥に投げ渡した。かろうじてそれを受け取った玄弥は再びぷんぷんと怒り出す。
 しかしシデの口元に笑みが浮かんでいないことと、藤の家に着いてもなお刀を納めようとしないことと、一向に開かれる気配のない門扉に気づき、開いた大口は段々と閉じられていった。吊り目がきりりと鋭くなり、目つきが一層険しくなる。
 彼もまた不穏な気配を直感した。

「……おい、なんで門が開かねえ」
「中に誰かいる」
「そりゃいるだろうが」
「この門は境目になっている。門の向こう側の空気が違う」
「は?」
「向こうに、鬼がいるかもしれない」

 あたりがシンと静まり返る。
 虫たちの鳴き声や葉擦れの音が遠くに追いやられていった。