顔の見えない同期2
折られた腕が痛い。
ズキズキと波打つように痛む腕を庇いながら隊服を着替え終えた玄弥は、藤襲山を出たその足で既に最初の任務へと向かっていた。
彼の腕を折った少年や、ずっと独り言を呟いていた金髪の少年、能面のような笑顔を顔に貼り付けていた少女などはこれから育手のもとへ一旦帰っていくのだろう。しかしそのような存在がいない玄弥は誰よりも早く任務に出向くことになった。
鎹鴉にとにかく近道を教えろと指示したせいか、先程からずっと林の中のけもの道を歩いている。藤襲山の景色とさほど変わらなかった。
今、玄弥の頭を支配しているのは一向に上達しない己への焦りと不安、さらには他の合格者たちへの嫉妬だった。
鬼になった母親に家族を殺されて以来、二人きりの家で口を聞かなくなった兄が突然いなくなったかと思えば、ある日鬼殺隊に入ったと風の噂で知る。兄を追い、必死で入隊の為の修行にこぎつけたはいいものの、そこで呼吸の才能が無いことが判明した。
結局、鬼殺隊から充てがわれた育手には剣の扱いのみを教わり、付け焼き刃のような状態でここまで来た。呼吸が使えなくても鬼を殺せることは救いだったが、もし選抜を生き残ったとしても、この先隊士として戦い続けることは厳しいだろうと育手に告げられた。
玄弥自身、言われなくても自覚していた。
呼吸を使えるあいつらが憎い。合格したと胸を張って報告できる相手がいるなんてずるい。これからどうやって兄に追いついたらいいのだろう。初めての任務をこんな怪我を負ったまま挑むだなんて、生き残れるだろうか。
腕の痛みに頭が茹だっている。父から暴力を振るわれていた時はこんな痛みだって耐えられたのに。
先程からずっとそんなことばかりを考えながら歩いていたせいか、背後から走ってくる存在に気づかなかった。
「不死川玄弥……くん」
「! ああ!?」
左肩を背後から掴まれた。腕の痛みが肩まで響いていたので、驚きと痛みで思った以上に体が跳ねた。
体を仰け反らせた玄弥が息を荒くして振り返ると、そこには山折りの編笠をすっぽりと被ったおさげの少女が立っていた。玄弥の様子に少し驚いているようだ。
玄弥も彼女があまりにも不自然な笠の被り方をしているのでギョッと目を剥いたが、よく見ると彼女が着ているのは鬼殺隊の隊服だった。
むしろ、尚更狼狽えた。
「だ……、な…、誰だテメエ」
「君に同行してって、カラスが」
「は?」
「榊シデ、不死川玄弥ニ同行セヨ、二人デ最初ノ任務、心シテカカレー」
少女の頭上を旋空する鎹鴉が機械的な声色で告げる。
玄弥が戸惑いがちに少女とカラスを交互に睨みつけていると、シデはかろうじて見える口元を少しだけ緩めて見せる。まるで年下の子供を諭すような微笑みだったので、カッと羞恥で顔が赤らむのを感じた。
シデが穏やかな声で玄弥に話しかける。
「もうじき日が暮れるよ。ここから一番近い藤の家に寄って休もう」
実は選抜中に遭遇した炭治郎の口調を少し真似ていた。その言葉に玄弥は反抗する。
「テメエが決めんじゃねえ! 俺は今日中に必ず鬼を殺す!!」
「腕を折られたでしょう、このまま戦うのは危ないよ」
「?! なんで、」
「その場にいたよ。私は影が薄いから、気づかなかったのも仕方ないけれど」
嘘だ、と玄弥は思った。こんなに目立つ見た目をしている人間を同じ空間にいながら見過ごすわけがない。
しかし、ということはつまり、この編笠の少女も同じ選抜を生き残ったわけで、おそらく呼吸の使い手なのだろう。一度気が逸れて引っ込んだはずの嫉妬心と敵対心がむくむくと顔を出しはじめた。
だがその前に、とにかくさっきから腕の痛みが収まらない。
シデはそれを表情からうまく読み取った。真新しい隊服の袖を通した細い腕がすっと彼に向かって伸びる。
「怪我が痛いんだね。添え木になる枝を探すから、待っていて」
玄弥の広い額を冷たく白い手が撫でた。右肩をぐっと下に押され、半ば強制的にその場に座らされる。
腕を振り払おうと抵抗しかけたが、顔の見えない人間というのはそれだけで威圧感があり、どうにも逆らうことができなかった。日没間近の薄暗い林の中、顔の見えない人間というのはかなり不安を煽られる。
「……」
玄弥はぐっと奥歯を噛み締めた。さきほど撫でられた感触がまだじんわりと皮膚に残っていた。
頭を撫でられたのはいつぶりだろうか。家族が殺された日、兄に暴言を吐いた日よりも昔だと考えると、随分前だと感じた。
枝を探す少女の後ろ姿を見てこみ上げてくる感情に、玄弥はばれないようにこっそりと鼻をすすった。
こんな初対面の少女にかつての兄の面影を見出してしまった自分が情けなくて、もう戻れない過去に縋り付いている自分に、今にも泣き出してしまいそうだった。