非常灯
██に失敗した人間の人生は、まず目を覚ますという行為への恐怖から始まる。
例に漏れず、彼女もその一人だった。
起きているのに無意味に目を閉じ続けて、既に数十分が過ぎている。そんな現実逃避を経て、彼女は自身が病院にいることをようやく認識しはじめた。いよいよ観念して目を開く。
鼻をすっと通り抜ける消毒液の匂いや、時々パタパタと柔らかい足音が行き交う音が遠くから響いているのを察すると、つまりそうなのだろう。此処は。
まるで自分のものでは無いような感覚がする腕をゆっくり持ち上げ、頭上に手のひらをかざす。
暗闇の中でははっきりとは見えないが、両腕のところどころには包帯が巻かれているのがぼんやりと分かった。
そんな大層な怪我を負った覚えはないが、どうでもいい事にしておこう。
ゆったりとした甚平のような服の袖から伸びる自身の腕は、まるで鉛のように重かった。そして輪郭はなんとなく細くなっている気がする。筋肉が削げ落ちてしまったようだ。
顔に触れる。肌質が少し良くなっていた。激務から開放されたせいか。
……髪はベタついている。触ってしまった事を後悔した。
そして首に両手を宛がう。
するとあの時の自分がどんな事を考えていて、どういう風に苦しんだのかをなんとなく思い出した。
これまでの記憶や複雑な感情が頭の中に忙しなく渦巻いていくのを、死に近づいていく感触が全てをぼんやりと覆い隠すような感覚だった。あの時の自分は、そうやってそのまま死んでいくと思っていた。
明かりのない真っ暗な部屋の中、壁の隅で輝いている不気味な黄緑色の非常灯が彼女を現実に引き戻した。
そのささやかな光すらも眩しく感じ、彼女はもぞもぞと非常灯から顔を背けるように寝返りを打った。ずっしりと重い布団を頭まで被り、広いベッドの中で縮こまるように丸くなる。
幼い頃、嫌な事があるとよくこうやって不貞寝をした記憶があった。
左手には点滴の針が刺さっていた。寝返りを打ち、布団を被ったことで管と針が引っ張られてズキズキと鋭い痛みが走っていたが、彼女にとってはどうでもいい事だった。
じっとりと額に浮かんだ汗と息苦しさを無視して、彼女は唇を噛み締める。何故か身体中の寒気が止まらなかった。
悔しさで溢れだした涙を、腕に巻き付けられた包帯で乱暴に拭う。
なけなしの望みですら叶わないなんて、人生というのはどうしてこんなにも辛いのだろう。
「こんなはずじゃなかった……」
弱々しい声が、一言だけ真夜中の静寂に溶けていった。