樺太脱出

太陽が輝き、放射冷却で地面から空まで冷え切った酷寒の大泊。私はアシㇼパと白い息を吐きながらも抱擁を交わし、しばし温もりに包まれていた。お互い無事だった事に喜び、再び会えた幸せに浸っている所で、現実に戻される言葉が耳に入る。

「明日の朝には鶴見中尉が迎えに来る。」

一瞬で身体が固まる。鶴見中尉から私の監視を命じられていた月島軍曹が、樺太の旅で知った事実全て報告するだろう。亜港から大泊までの離れていた期間の話を皆で語りたかったが、そう悠長には出来なさそうだ。まずは身の振り方を決めなければいけない。

「結城さん、北海道に戻ったら第七師団に雇われるつもりって言ってたけど……本気なのか?」

抱きしめ合う私達の横に立っていた杉元が不安そうに伺ってきた。亜港の病院では尾形が私を連れて逃げ出したせいでまともに話せなかったから、ずっと気になっていたようだ。

「そう思ってたんですけど……気になる事があって。このまま鯉登さんと月島さんとは合流せずに、鶴見中尉の出方を伺っても良いですか?明日の朝、何か起こった時の為に高台を抑えておきたいんです。」

鶴見中尉ならアシㇼパを監禁だってする、と言った尾形の発言が頭を過る。

「鶴見中尉と争うかもしれないって事か?アシㇼパさんはやっと金塊の争いから下りてフチのいるコタンに帰れるのに?」

鶴見中尉を警戒する私を見て、嫌そうな顔をする杉元。せっかく金塊争奪戦から離れられる機会なのに、不和を起こして欲しくなさげだ。

「アシㇼパさんがそれを望むなら喜んで第七師団に協力しますよ。アシㇼパさんの代わりに金塊の行方を見届ける為にも第七師団で働きます。」

「それは違うだろ。結城さんも、もう戦う必要なんて無いんだ。一緒に小樽に帰って山で猟をしてヒンナヒンナしたら良いだろ?アシㇼパさんとそうやって生きたいって言ってたじゃないか!」

「私は心からやりたい事を言ってるだけです!アシㇼパさんのために生きようと思えたこの命なんだから、戦う戦わないは自分で判断しますぅ!」

感動の再会は束の間に、公道で言い合いを始める私達。自己犠牲するな!してない!と声はどんどん大きくなり、周りも見えずにヒートアップしていく。いい加減にしろと、アシㇼパに二人揃って頭をはたかれた。

「喧嘩はやめろ。鶴見中尉について私は聞いた話でしか知らない。どうするかは明日、直接会ってから決める。結城も好きなように動くといい。」

「でも、一人でいたらまた尾形に攫われるかもしれないし……。」

不安そうにモジモジ指を合わせる杉元。一緒にいたら守れるから側にいてよと訴えてくるが、私の役割は守られる事ではない。

「尾形さんは右目の負傷で以前のように銃は撃てませんし、近接戦闘用に拳銃も購入してるので一旦は大丈夫です。戦争帰りのロシア人に急に殴られない限りは、ね。」

亜港の医者に殴られた事を思い出して自分の顎を撫でた。不意打ちでなければ銃も使えたが、警戒してない相手で、しかも日露経験者だった。流石に同じ様な事はもう起きないだろう。

「……頭巾ちゃんは結城ちゃんを傷つける事はないよね?」

「大丈夫だろう。アイツは尾形しか見ていない。私だけじゃなく、結城も尾形の獲物だと教えたらきっと見張って結城を守ってくれる。」

誰の事かは分からないが、頭巾ちゃんという新しい仲間がいるらしい。白石の懸念にアシㇼパが答えてくれた。杉元が今すぐにでも尾形を殺しに行きたいと息巻いているが、どうせもう逃げてるからやめろと皆で引き止める。離れる事を嫌がる杉元をアシㇼパと白石に任せて手を振った。

「また明日、港で会いましょう。」

走りやすいブーツに履き替えた私は、三十八式小銃と二十六年式拳銃を持って港近くへと歩き出した。尾形と鉢合わせしないように宿や商店ではなく、見晴らしの良い二階建ての長屋の角部屋の住人に金を握らせて一日だけ部屋を貸してもらう。この時代は何事もお金が解決してくれるので賭場で荒稼ぎしておいて大正解だった。

双眼鏡を覗きながら、一晩中警戒を続ける。外を出歩いている月島や鯉登の姿、白石の姿はすぐに見つかったが、尾形の気配はどこにもない。空に出た月はすぐに雲がかって消えてしまった。

夜明け前の早朝、アシㇼパ達が泊まっている宿の前で杉元と白石が喧嘩している姿を見た。何を喋っているのか分からないが、張り手が飛び、白石は道端で吐きまくっている。大事な日なのに飲みすぎだろうと思ったが、樺太でのアシㇼパをずっと見守ってきたのは白石だ。色々と思う所があるのだろう。倒れて道端で寝ようとする白石を宿にズルズルと引きずる杉元。眠気に負けないように、二人の姿を見ながら鱒の燻製を噛みしだく。

数刻も立たないうちに、水平線を埋め尽くす真っ白な流氷の合間から鶴見中尉の駆逐艦が顔を出す。ついに第七師団が港に到着した。

朝方の人もまばらな静かな街を鶴見中尉とその部下十名が闊歩する。樺太先遣隊が助けだしたアシㇼパと鶴見中尉がついにあいまみえる。双眼鏡で皆の様子を固唾をのんで見守った。言葉を交わし、鶴見中尉がハンカチで抑えきれない脳髄を流したかと思うと、アシㇼパが弓矢を宙へと放った。

(アシㇼパさんは、自分で考える道を決めたんだ。)

第七師団に身を寄せるのをやめて逃げ出したアシㇼパと杉元の姿を見て、彼女らしいなと目を細めた。アイヌが集めた金塊、アチャやキロランケ達から託されたものと正面から向き合う選択をしたアシㇼパの背中が頼もしい。のっぺらぼうがアチャだったらどうしようと不安に包まれた少女の姿はそこには無かった。なら、私は彼女を援護するまで。二人を第七師団が追っている隙に、遠くを見渡せる火の見櫓まで走り出した。

ドォン ドドォン
 
櫓に登ってすぐに三発の銃声が響く。音の方へ双眼鏡を移すと、米蔵の前で倒れる杉元と、庇うアシㇼパの姿を見つけた。すぐに敵へと照準を合わせる。二人に近付く鯉登達ではなく、月島の背後にいた先程撃ったばかりの装填中の兵士に向けて撃発した。

ドンッ…

倒れたのを確認する前に槓桿を立ち上げ手前に引き、空薬莢を排出する。小気味よいコッキング音と共に装填を完了させて隣の兵士を撃つ頃には、杉元が暴れまわって逃げ出していた。杉元に短剣を刺されて倒れる鯉登と横に立つ月島が目に入る。私の正体を知った二人を隠滅するなら今だと頭によぎったが、それよりも手負いの杉元とアシㇼパを追うのが先だ。すぐさま火の見櫓から下りると、二人を追いかけるために馬を探す。ちょうど二軒先にあった厩に金を置いて一頭拝借しようとすると、既に馬に乗ったモシンナガンを背負った頭巾男とばったりあった。

昨日、話していたのはきっとこの男のことだろう。頭巾と口当ての間から覗くグレーがかった青い瞳と目が合う。ついて来いとハンドサインをする頭巾男。彼に続いて馬を走らせると、高倉に隠れていた杉元とアシㇼパの姿を見つけた。

「頭巾ちゃん……結城さんも……。」

頭巾男の馬にアシㇼパを乗せ、杉元を私の馬に乗せる。落ちないように紐で巻き付けて体重を預けるように指示すると、彼が私の背中に頭を寄せた。

「船に乗るまでもうちょっと踏ん張って下さい。」

こうやって馬に乗れるのはキロランケのお陰だ。亜港で弔った彼を想いながら連絡船に向かって馬を走らせた。

「シライシッ!」

「アシㇼパちゃん!!やっぱり思った通りだぜ!」

「乗れッ!」

姿が見えなかった白石と谷垣が連絡船への道を先に走っていた。頭に傷を負っているが無事なようだ。インカラマッを捕らえられている谷垣には馬に乗らないように指示をする。

「私が……フチにまた会う夢をみたと伝えて!フチは信じて安心するかもしれないから。必ず会いに戻る……そう伝えて!」

アシㇼパの言葉を聞いた谷垣は、彼女の覚悟を受け取めて頷いた。

「インカラマッさんと家永さんによろしくお願いします!また北海道で会いましょう!」

「達者でな!!谷垣源次郎。」

谷垣に別れを告げて港の堤防から大きい流氷に乗って、馬で走る。船に近付くほど流氷が揺れやすくなるので、馬を流氷に置いて他の客に紛れと船へと登った。

「三等室なら一人七円だよ、ってそこの男血だらけだけど大丈夫かい?船をおりて医者にかかったほうが良いんじゃ……。」

「急いで北海道に帰る必要があるので、ひとまず甲板で治療させて下さい。あと、五人で三五円ですね。確認してください。」

財布からお金を取り出して、金勘定を担当している乗組員に握らせる。甲板を汚してしまうだろうから心付けに二円ほど追加で渡せば、快く船へと乗せてくれた。

「しかしこんな酷い傷なのにお前どうやったら死ぬんだよ。」

「大丈夫だ…こんな傷じゃ俺の魂は抜けていかない。まだまだその時じゃない。」

顔を曇らせる白石とアシㇼパに安心させるように言い聞かせる杉元。出血して声が細くなっていた。摘出できそうな浅い位置に弾が残っている。急いで取り出さなければ。敷香で買っていた鑷子を水で希釈したフェノールで消毒する。ベルトを緩めて外套と着物を緩ませて肌を出し、鑷子で傷口をメリメリと開いて6.5mの三八年式実包を掴んだ。

「……ッ!」

「すみません。痛いですよね。あと、二発取るので、私の肩を噛んでて下さい。」

「だから噛まねぇってば……。」

旭川でも同じやり取りをしたなと思い出した。あの時使っていたピンセットやライター、現代の薬は既に無い。より、創感染に気を付けないといけないだろう。傷口に私物のウォッカをかけると杉元が小さく悲鳴をあげた。摘出後は綺麗な手拭いでキツく縛って止血する。その様子をジッと見つめながら睫毛を揺らしていた杉元が、結城さんと口を開いた。

「援護射撃してくれて、助かった。ありがとう。」

「頭巾さんじゃなくて、よく私だって分かりましたね。」

鯉登とその周りにいた三人の兵士を倒しながらよく見ているものだ。感心しながらも顔や細かい創傷に軟膏を塗っていく。

「胴体を狙ってただろ。頭巾ちゃんなら頭を狙うと思って。」

「……逃げるのが目的なら、敵は一発で殺さずに負傷させた方が良いと教わったんです。残念ながら、殺したくないとか優しい気持ちではないですよ。」

滋養強壮の漢方薬の瓶と水筒を渡して飲むように指示をする。杉元の誤解を解くように目を伏せながらも言葉を続けた。

「猶予があって、他の兵士や鶴見中尉が差し迫ってなかったら、鯉登さんと月島さんを確実に消してました。」

数ヶ月間、一緒に旅をしていた仲間だろうと関係ないと念を押して伝える。杉元は顎に手を当てて少し考えると、

「……もしかして、尾形を殺せなかったって泣いてたのも情があるから引き金を引けなかったって事じゃなくて、物理的に出来なかったってこと?」

「ええ、そうですよ。本気で殺す気だったんですけど、運悪く避けられてチャンスを逃してしまいました。」

杉元が驚いたように眉を上げる。尾形を撃てなかった亜港での姿を見ているからこそ、積極的に敵を排除しようとする私の姿勢が意外だったようだ。

「アシㇼパさんには言わないで下さいね。悲しそうな顔は見たくないから。」

アシㇼパがこの五ヶ月近くの樺太の旅で変わったように、私もまた、少しづつ変化しているのだろう。先遣隊として到着したばかりの大泊港は深い藍に墨を流したような暗い色をしていたのに、今は流氷で真っ白に覆われている。景色も、心も、関係も、景色と共に移り変わっていく。

「……分かった。でも、俺もアシㇼパさんもどんな結城さんだって受け止めるし、大事な仲間だから。俺の事を受け止めてくれたように、結城さんだってたまには甘えてね?」

生き残る為に判断出来るようになる事は、何も感じなくなった訳じゃないからさ、と杉元が微笑んだ。同じだから分かるよと、目を細める彼を太陽が照らす。

「それに俺は、強くなっていく結城さんが好きだよ。」

冷たい海風が時折やってくる船の甲板。後光が眩しいのか、杉元の笑顔が眩しいのか分からないほど優しさに満ちた瞳をしている。傷だらけでも輝く杉元を見て、急に頬が熱くなる。目頭が滲まないように下唇を噛むが、きっと私の顔は動揺から真っ赤になっていることだろう。

「あ、ちがっ……!これは、その恋とかそういうのじゃなくて、人としてというか……。」

つい言ってしまったと必死で誤魔化す杉元を見ると、なんだか力が抜けてきた。ハハッと笑った事で、やっと深く息が出来る。亜港で別れてからというもの、なんだかんだ神経を張り詰めて過ごしていたようだ。

「ありがとうございます。言えてませんでしたが、また会えて、本当に嬉しいです。」

「ああ。もちろん、俺もだ。皆で北海道に帰ろう。」

ドンと銃声が鳴り響く。頭巾男が船の後方にいた第七師団の追手を倒してくれたらしい。双眼鏡を持った白石とアシㇼパが船首から戻って来た。目を合わせて微笑んだ後、皆で大泊から続く樺太の大地を見つめる。左様なら。左様なら。死にたかった自分に。弱かった自分に。眠ったキロランケに。決別した尾形百之助に。敵にした鯉登音之進に。

痛みも悲しみも樺太に置いて、私達は北海道へと帰る。陽の光が流氷に反射してきらきらと光る。空は高く、淡い色がどこまでも続いている。涙の跡も睫毛も凍る極寒の樺太は、船の進みと共に水平線へと消えていった。


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