寂しいなんて思うのはわがままだって一晩かけて自分に言い聞かせて納得したというのに、次の日の夜に倉持くんは現れた。
「よ」
来たことに対する驚きで声がでなかった。代わりに小さく頭を下げる。
「元気か?」
「え、あ、・・・うん。倉持くんは?」
「まあ、何とか?」
「それは何より、です」
多分もう、日付も変わった時間だ。隣に座った倉持くんはいつもと違って髪が立っていない。もしかしたらお風呂に入った後なのかな、と思うと何だか見てはいけないような気がする。
「今日は何が見えンの?」
「え?」
「星」
背中から寝転がり、倉持くんはまっすぐ空を見ていた。とても真面目な顔。つられて隣に寝転んだ。
「欲しくても届かないように思えるものでも、星よりは近いと思えば頑張れるんだろ?」
「え」
「田中言ってた」
「あ、はい、…言いました」
「そう思えるように、星見に来た」
何かがあったのかもしれない。何かを秘めているような瞳で空を見つめる彼の姿は少し痛々しい。
見上げればたくさんの星。そのどれもが届かない光。
「倉持くんが絶対知っている星がありますよ」
「俺が?」
「土星」
南側の空を指差す。地平線とてっぺんの真ん中あたり、一際明るく目立つ星がある。
「土星って輪っかついてるやつ?」
「そうそう。それがあの星」
「へぇ、土星って光ってんだ。写真でしか見たことねぇけど、光ってると思わなかった」
「太陽の光を反射してるだけですよ。だからあの、わかるかな・・・他の星はこう、キラキラってしてません?光が揺れている感じ。でも土星とか、月もそうですけど、太陽の光を反射している星はそうはならないんです」
秋の空には明るい星が少ないから土星の光は見つけやすい。倉持くんもすぐにわかったようで、あれが土星かとつぶやいた。
「あの三角形の星は自分で光ってんの?」
覚えたと言っていた夏の大三角探しながら倉持くんは言う。もう夏も終わるこの時期でも夏の大三角形は西の空で光っている。
「うん、あの3つは一等星なので光っている星の中でも特に明るいです」
「一等星って1番明るいってこと?」
「かなりトップレベルで明るいです。ただもっと明るい星はマイナス等級がついているものもあります。シリウスとか、ってわからないよね、えっと…あ、太陽だとマイナス25くらい」
「太陽は星とはちがくね?」
「そんなことないですよ、太陽も宇宙のなかでは星のひとつに過ぎないんだから」
「ふーん」
今日はやたらと聞くなあ。ずっと強く空を見ているし、何があったんだろう。第一次予選は勝ち残ったと出ていたから元気に頑張っていると思っていたけれど違うのだろうか。
「秋の一等星は1個だけで、土星の下の方にあるあの星。フォーマルハウトっていう星で、秋のひとつぼしっていうくらい秋の星の中では目立つ存在です」
「ふぉーまるはうと」
「南のうお座の星ですけど、星も星座も、あんまりどっちも知名度はないかも」
「あれも遠い?」
「んー・・・どのくらいかはごめん、わからないですけど、太陽系の外だから土星よりはずっと遠いです」
横目でちらりと倉持くんの様子を伺った。倉持くんはフォーマルハウトの方向をただ一点見つめているように見える。
沈黙が続く。
何かあったの、って私は聞いていい立場なんだろうか。私は倉持くんの友だちなのかすら定かではないのに。どうしてそんなに切実な目で一点を見つめているのかなんて、聞いていいのかな。
迷うだけ迷って、結局何も聞けずに一緒に黙っていた。
しばらくしてから、倉持くんはひとつ息をはいた。
「絶対行かなきゃなんねぇんだ、甲子園」
低い声に、思わず倉持くんの方に顔を向けた。
「俺達が甲子園に行かねぇと、監督がいなくなっちまう」
倉持くんから聞かせてもらった倉持くんの9月は、ネットで調べて想像したものとはまったく違った。
9月の予選は勝ち上がったけど点が思うように取れなかったこと。
倉持くん自身も打てなくて焦っていたこと。
本戦に勝ち上がりが決まった日に監督に怒られて身体を鍛えるメニューばかりやることになったこと。
そんな倉持くんたちのために、今日先輩たちが試合をしに来てくれたこと。
その試合中に、秋の大会が終わったら監督がいなくなると知らされたこと。
うん、うん、と相槌だけしながら必死になって倉持くんの話を聞いた。勝ち上がればそれでいいわけではないことを知る。
勝っているんだから楽しくやっているだろうと思っていた私は、倉持くんのこと何にもわかっていない。
「御幸が、監督を辞めさせないために甲子園行くぞって言いやがってよ。そんな簡単な場所じゃねぇってわかってるけど、でも・・・絶対ぇ行かないといけねぇんだ」
ユラユラとしながら強く光るフォーマルハウト。東京の高校の中でひとつしかない甲子園への道。秋のひとつぼし。
睨みつけるような倉持くんの目に、この空はどんなふうにうつっているんだろう。
「これまでも目指していた場所だけど、絶対行くぞって言い切る御幸に少し面食らったっつうか。俺らが絶対敵わねーと思う先輩たちでさえ届かなかった場所だからって心のどっかで思ってたんだって気づいた。でもあいつの言う通りなんだ。絶対行く。絶対甲子園に、監督を連れて行く」
前に試合の話を聞いたときには、頑張れって言ったはずだ。でも今回はもうそんなこと軽々しく言えない。
だってこんなに鋭い目をした倉持くんは初めて見た。自分の中に決意を染み込ませるように言葉を繰り返しながら、その目をフォーマルハウトの方向から動かすことはなかった。
秋の星のなかでただ1つの一等星。倉持くんはあの星を目指して野球をやっている。
バットを振り続ける倉持くんの姿を思い出す。練習で傷だらけになったであろう手の平は、今は地面の上で大きくひろげられている。
根拠なんて1個もないけど、大丈夫だよって言いたくてたまらなかった。いっそ私が叫び出したいとすら思った。こんなに色々と教えてくれた倉持くんに私がしてあげられることなんて何もないのに、何とかしたくてたまらなかった。
(「そっか。この前みたいに星が流れてくれれば、あいつのイップス直してくれよって願えんのにな」)
あの日の倉持くんも、今の私と似たような気持ちだったんだろうか。だったらやっぱり、そんなふうに思ってもらえる沢村くんがうらやましいな、だなんて勝手なことをちらりと思う。
星が流れてくれたら、倉持くんの学校の勝利を願えるのに。いっそのこと秋のひとつぼしが倉持くんの手のひらに流れてきてくれたらいいのに。
世界のどこかで流れているであろう光を想って必死に願った。私にできることはそれしか浮かばない。倉持くんにかける言葉の1つも見つからない。
沈黙の夜、組んだ指が痛くなるまで力を込めてただただ願っていた。