倉持くんが来なくなって1週間が経った。
最後に会った日には今日はスピカと金星が最接近する日だとか、夜ご飯はなんだったとか、もう長袖の季節だなとか他愛もないを続けた。
言葉遣いがはじめのころに比べて少し崩れて、沢村くんがどうだとか御幸くんという人がどうだとか、倉持くんの周りにいる人の話もしてくれるようになると、同い年の男の子なんだなあって感じる。
ちゃんと高校に通う同い年の男の子。私の知らない人間関係しかない。
私の知らない人間関係の中で、私のところに来てくれる時間がなくなってしまったのかもしれない。彼女に怒られて来られなくなったとか、チームメイトに夜の外出を咎められたとか。もう二度と来ない可能性だってある。そもそもここに来る理由だってわからない。ただの気まぐれなのかもしれない。
グラウンドの横を通るときは少し倉持くんを探すけれど、見つけられたことは1度もなかった。
ここに来なければ彼との繋がりは何もない。LINEのアカウントも知らない。
徐々に欠けていく月を寂しく思うのは初めてだった。
「おかえり。寒くなかった?」
「うん、大丈夫。ただいま」
日付が変わる少し前に家に帰る。明日はお父さんが朝ご飯を作る日曜日だからかお父さんは既に寝ていて、お母さんだけがリビングのソファで本を読んでいた。
「花子が帰ってきたら久しぶりにココアでも淹れようかと思ってたの。飲まない?」
「わ、飲みたい」
「良かった。ちょっと待ってて」
昔は私が星を見に行っていても気にせず寝ている人だったのに、壊れた望遠鏡を抱えて泣きながら帰ったあの日以来こうやって待っていてくれるようになった。
前の町ではもう家のベランダからしか星を見ることもできない状態だったけれど、ベランダから戻るまで待っていてくれた。今だってスマホで位置情報を共有してというくらい心配しているのに、1人で星を観に行かせてくれることにはすごく感謝している。
涼しくなった夜の中で冷えた身体に、温かいココアがじんわりと染み渡る。
「ねえ、来週天文台でイベントがあるって前話したでしょう。行ってみない?」
「ああ・・・言ってたね」
三鷹にある天文台で大きな望遠鏡での観測イベントが定期的に開かれている。行ってみたいなって昔から思っていた場所だから興味がないわけではない。ただ、参加人数が100人近いと聞いて躊躇している。
「他の人たちと一緒に、っていうのが、まだちょっと」
まだちょっと怖い。まだちょっと不安。まだちょっと、どうしたらいいのかわからない。
「そう、ならまた今度にしよっか」
お母さんがどう思ったのかを知りたくなくて、マグカップの中身を見つめながらココアをゆっくりと飲む。ここ最近ちょっと元気がないんじゃない、って昨日帰ってきたときに言われたから、きっとお母さんなりに心配して誘ってくれたのだろうに断ってしまった。申し訳ないとは思うのに、じゃあ頑張ろうとは思えない自分が情けない。
「じゃあどこかお出かけしない?花子こっちに来てから星を見る以外外出してないでしょ」
「郵便局行ったよ」
「郵便局行ってすぐ帰ってきたんでしょうに」
「まあ、そうだけど」
「せっかく東京に引っ越してきたんだし、色々あるのよ?お店に行ってもいいし、映画館も大きいし、美術館とか博物館とか動物園とか何でもあるんだから」
東京に引っ越そうと決めたのはお母さんだった。あのままあの町にいたら私が引きこもったまま動けなくなってしまうと心配して、だったら私が行きたいといっていた大学のある東京に家族で今のうちに引っ越してしまおうと思ったらしい。
あの町に建てたマイホームを売った。お父さんもお母さんも仕事を辞めた。ここまで私のためにと動いてくれる両親がいることは本当に幸運だってわかっているし、この優しさに応えたいという気持ちは本当だ。
「そうだ、野球はどう?」
「え?」
お母さんから野球、という言葉を聞くのは意外だった。頭にぽんと倉持くんが浮かぶ。
「お母さんのパート先の人の息子さんが高校野球やっていてね、9月は毎週日曜日に試合の応援に駆り出されて大変だ〜って話してたの。それで球場って行ったことないって話したら、応援はいくらいても嬉しいからいつでも来てねって言ってもらったの」
花子はいつも青道高校のグラウンドの近くに行っていて練習も見えるんじゃない?と続けるお母さんの話は頭に入ってこなくなった。
そっか、野球って応援に行けるんだ。誰でも行って良いんだ。知らなかった。
「なんていう高校だったかな、ホームページのトーナメント表見れば思い出せると思うんだけど」
「ホームページ」
「高校野球のホームページ見せてもらってね、ほら勝ち上がったのよ〜って」
そうなんだ。高校野球ってホームページあるんだ。
試合の日程とか、結果とか、調べられるんだ。
「もし興味あったらお願いしてみるから」
「あ・・・うん、とりあえず大丈夫。ココアごちそうさま。お風呂入るね」
自分の部屋へと慌てて戻り、スマートフォンで「高校野球 東京」と検索した。1番上に出てくるホームページを開いて見ると、お知らせ欄に一次予選の試合結果、と並んでいる。
電気もつけない部屋の中、スマホのライトだけが光っている。まさかホームページで結果がわかるなんて考えもしていなくて、私の知らない倉持くんを勝手に覗き見るようだ。
タップするとずらっとトーナメント表が並んだデータが開いた。予想以上の数の学校の名前が並んでいる。「青道」の表記を探した。
「あった・・・」
会場校が青道高校と書かれたそのブロック。代表の欄に青道高校の名前が記されていた。トーナメント表を確かめれば、3回の試合全てに勝利したことがわかる。
そっか。勝ったんだ。
「良かった」
勝って嬉しくて、練習を頑張っているんだろう。そしたらいつもの場所に来ないのなんて当たり前だ。いつもバットを振っていた姿を思い出す。
ここで勝手に友だちだとか考えるから、あんな目にあったんだ。彼は彼で、私は私。寂しいなんて思うのはわがままなんだ。