#13

 私を包み規則正しく動く人肌は、まるで揺りかごに乗っているみたいだ。一度起きかけた意識がまた遠のきそうになるのをなんとか踏み留めてゆっくりと目を開く。
 ちゃんとホテルの枕を使って寝たはずなのに、私の頭は杏寿郎さんの腕に乗っていた。少しあったはずの距離もゼロに等しく、私は杏寿郎さんに抱き締められている。
 目線だけ上にズラしてみれば久し振りに見る杏寿郎さんの無精髭になんだかとても幸せな気持ちになった。ニヤける口元を隠すように杏寿郎さんの胸に顔を埋めると、背中に回る手に力が入る。
 埋めた顔を直ぐに上げてきちんと顔を見たら杏寿郎さんの目は閉じているけど口が笑っていた。
 寝たふりを続ける杏寿郎さんは私が気付いてることにも気付いているはず。起きてるならいいよね。好き勝手しちゃおう。
「杏寿郎さんはいつ起きますかねー?」
 態とらしく独り言を呟き、胸に耳を当てて杏寿郎さんの心音を聞く。目覚めたときみたいに規則正しく刻まれる音に聞き入っていると、杏寿郎さんは枕にしていた腕をゆっくり動かし私の後頭部を緩く撫でてきた。
「早くおはようのキスしたいなー……」
 杏寿郎さんの心音と頭を撫でられる気持ち良さに小さくあくびをしたら肩を強く掴まれる。
「起きたぞ! おはよう!」
 朝からたいへん元気な挨拶に閉じかけた瞼が完全に開いた。起きてたくせにさも今起きましたみたいな感じで言う杏寿郎さんに首を伸ばして、触れるだけのキスをする。
「おはようございます」
「おはよう、よく眠れただろうか?」
「驚くほどに」
 頭をまた杏寿郎さんの腕に戻すと私の髪を緩慢に梳く指が気持ち良くて目を細めた。こんな風に杏寿郎さんとまどろむ朝を迎えるのはいつぶりだろう。
「どうした?」
「杏寿郎さんの指と体温が気持ちいいなって……」
「それは良かった。俺もナマエの体温を感じて深く眠れたし、お互いいいことだらけだな」
「杏寿郎さんって兄属性強いですよね」
「属性?」
「甘やかし上手ってことです」
「いつだかも言ったが誰にでもではない。ナマエが甘えてくれるのが俺は嬉しいんだ」
 ほら、そういうところ。朝から甘い言葉を紡ぐ杏寿郎さんは心臓に悪い。寝起きのまどろむ中でもっとまどろんでしまいそうなほど、ドロリと甘い表情と言葉を私にくれる。
 本当に、本当に少しだけあった隙間をなくて杏寿郎さんにくっつくと体温が高すぎるのか熱く感じた。
「む?」
「折角なのでとことん甘えて好き勝手してみようかと思います」
「っ、」
 目についた肌にキスをしてみればビクリと小さく跳ねた身体に吸い寄せられるようにもう一度キスをする。は、と杏寿郎さんから息が漏れて、好きの気持ちを身体が全部受け取ってくれるみたいで続けていたらまた肩を掴まれた。
「ナマエだけズルくないか? 俺も甘えてもいいだろうか?」
「どうぞ?」
 私が言うなり杏寿郎さんは顔を私の肩口に当ててぐりぐりしてくる。てっきりキスされるのかと思っていたのになにこの可愛い甘え方。
 母性本能みたいのが働いてギューって抱き締めたらくっついた肌にやっとキスをし始める。肩口、首、頬とキスされる合間に杏寿郎さんと笑い合っていると布団の中で足先が触れて絡まり始めた。
 ホテルのパジャマはガウンみたいな作りで少し動けば素足が太ももまで直ぐ出てくる。布団の中だからなのかキスのせいなのか体温の高い足が私の足を撫ぜて擽ったい。
「ふふ、擽ったいですよ」
「温かくて気持ちがよくてな。擽ったいならこっちはどうだ?」
 小さく笑いながら足だけの戯れに逃げたり逆に押し付けたりを繰り返していると、杏寿郎さんの太ももが私の足の間に入り込んだ。思わず挟んでしまったけど、そんなのもお構い無しで太ももが上がって来たときに逃げたらピリ、と刺激が走る。
「あっ! ちょっ、待っ!」
「ん?」
「攣りそう! 攣る! つっっ――!」
 戯れの延長で待ったをかけたと思っている杏寿郎さんだけどそれを違うんだと言う暇もなく私の足がビクリと震えて、痛みを堪えるように杏寿郎さんに縋り付いた。
「どっちだ!? 土踏まずか!? ふくらはぎか!?」
「分かんなっ、」
 痛みで首を振りながら右足だとだけ答えると、杏寿郎さんは縋り付く私に構わずがばりと起き上がる。
「え!? わ、なっ!? ぃっ――」
「攣ったときの応急処置だ。少し我慢してくれ」
 杏寿郎さんは私の右足を持つとそのまま垂直に上げるから慌ててパジャマで下着が見えないように隠した。
 突然のことで頭が追いつかないけど足の戯れで攣るとか情けないにも程がある。情けない顔を隠したいのに、パジャマを押さえているからそれも出来ない。
 まどろむ朝が一瞬で霧散してしまった。
「朝から本当にすみません……」
「大丈夫だ。俺の方こそ戯れすぎた」
 ふくらはぎと足首を掴まれ、筋が伸びていく感覚が痛いから痛気持ちいいに変わっていく。
 ぐー、と押してもらって力を抜くとベッドのスプリングが小さく音を立てた。
「っ、ん――」
「……」
 攣った方の足を杏寿郎さんに押してもらって、また体重を掛けられると身体がベッドに沈んで私の息が浅く漏れる。
 パジャマが重力で下がってきて腰にまとわりつくから下着が見えないように押さえ直していると杏寿郎さんと目が合った。
 見下ろされる距離と感覚に、杏寿郎さんは私の痛みを取るためにやってくれているのに卑猥に感じてしまう。私ってば欲求不満なのかと、こんな考えを見透かされないように目を逸らした。
「えっと、もう大丈夫そうです」
「……」
「杏寿郎さん?」
「む? ああ、もう大丈夫そうだな!」
 足を掴んでいた杏寿郎さんは手を離すと私の上から身を引き、ふむと何かを考える仕草をする。
「運動不足ですかね」
「それも要因の一つにあるが他には寝不足などから来る不摂生だな。仕事が佳境だったのは分かるがちゃんと睡眠は――」
「取っています! しっかり! ばっちり! ぐっすり!」
 声のトーンが下がった杏寿郎さんが怖くて慌てて手を振った。以前迷惑を掛けた私が完全に悪いんだけど、杏寿郎さんと瑠火さんは私の睡眠不足に対するチェックが厳しい。
「昨日は久し振りに一日中立ちっぱなしだったから確実に運動不足です!」
 最近はずっとデスクワークで美術館の展示物制作に追われていたからきっとそのせいだ。
 身体を起こして足をさすってからストレッチをする。うん、もう大丈夫そう。立ち上がって杏寿郎さんに改めて治ったアピールをした。
「適度な運動心掛けます!」
「それがいい。動けそうなら朝食を摂りに行こう」
「はい!」
 元気よく返事をして朝食会場となっているレストランに行く準備をそれぞれ始める。
 杏寿郎さんが洗面所を使っている間に昨日の約束を果たすべく、私はスマホを手に取った。
《おはよう。お久しぶりです。全然連絡してなくてごめん。元気ですか?》
 ありきたりな文章を打ってとりあえず向こうの出方を探るべく送信。無難すぎたかな。いや、もう送っちゃったしと考えていたら直ぐに返信が来る。
《おはよう。お久しぶりです。元気だよ》
 ほぼコピーなんじゃないかという返信が来て次はどうしようと考えていると電話が掛かってきた。着信名はそのまんま“母親”。一度だけ深呼吸して通話ボタンをタップする。

「も、もしもーし。久しぶり――」

* * *

 通話を終えて一つヤマを越えたと息をつくと杏寿郎さんが洗面所から出てきた。気を使って待っててくれたのかな。
「電話は終わったか?」
「あ、すみません終わりました。親からでした」
「久しぶりの親の声はどうだった?」
「予想どおりというか、相変わらず元気でした」
「元気なのが何よりだ」
「あと怒られました。連絡も寄越さないって」
「まあそうだろうな」
 完全に私に非があるから杏寿郎さんもそこは味方してくれない。それについては自分でも自覚しているので素直に謝りつつ、朝食会場に向かいながら電話のやり取りを話すことにした。
「会わせたい人がいるから連れていってもいいかって聞いたら正月休みに来いって言われちゃいました」
「俺は構わない。早ければ早いほどいい」
「今から正月帰省のチケットが取れるかどうかなんですよね。あとで調べてみます」
 杏寿郎さんの返事は予想できていたから懸念事項だけ伝える。
 正月っていってもあと一週間しかない。チケットはまあなんとかなるだろうけど、それまでに私の心の準備ができるかどうかかな。
「杏寿郎さん」
「ん?」
「杏寿郎さんのその……お見合いの件が全て終わったら私も改めて煉獄家にご挨拶をしたいです。あ、でもその前に同棲のことでも挨拶したいです」
「挨拶だらけだな」
 そう言って笑う杏寿郎さんだけど、ちゃんと筋は通したいんだもん。
「大丈夫だ、分かっている。きちんと場を整えよう」
 頬が膨れきる前に杏寿郎さんは頭を撫でてきて、自分の口に溜めた空気が音もなく漏れた。

* * *

 朝食も食べ終わり部屋に戻って帰り支度をしながら、泊まるまでは待ち遠しかったけどいざ当日となるとあっという間だったと昨夜を思い返す。
 昨日は喋っている内に気付けば寝てしまったのがとても勿体なかったな。昨日に戻れるなら寝ないように自分の頬を抓りたい。
「さて、ナマエは今日休みだろう? 母上に会いに行く前に何処かに行くか? それか仕事の疲れもあるだろうから一度家に帰って休もうか」
「杏寿郎さんも昨日までの仕事で疲れているんじゃないですか?」
「俺は昨日で仕事納めしたし、年内はもう学校に行く予定もない」
 杏寿郎さんも朝食を食べる前に瑠火さんに連絡をしてくれているけどまだ返事が来ない。
 クリスマス終わったばっかりだし、街はまだイルミネーションが残っているだろうからそれを観に行くのもいいけど……。
「はい! 煉獄先生!」
「うむ! 何だろうか!?」
 生徒がするみたいにビシッと手を上げると、条件反射なのかノリ良く答える杏寿郎さん。
「このホテルの美術館に行きませんか? 昨日は設営に追われて展示された状態を見れていないのでちゃんと見たいです!」
「それはいいな! 俺もナマエの仕事の成果を見たい!」
 嫌というほど見てきた制作物達だけど、家から微妙に遠いし今日を逃したら多分もう見に来ることはなさそうだからいい機会だ。
 あっという間に決まった最初の行き先に、そうと決まればさっさと手荷物を全てまとめる。身支度の最後にと洗面所に行き、鼻歌交じりに杏寿郎さんから貰ったピアスを付けて指でなぞった。
 主張しすぎない赤いピアスは仕事でも使えそう。というか、プレゼンの時にこれを付けたら勝率100%もあり得るかもしれない。
 もっと間近で見ようと洗面台に身を乗り出して鏡を覗き込んだ。
「ん? あれ、いつから……?」
 鏡には私だけではなく、洗面所の入り口に寄りかかりながら腕組みしている杏寿郎さんが映っている。
「ナマエが唄いながらピアスを付けている辺りからだな」
 それは私が洗面所に入って割と直ぐだよね? 死角に居たのか鏡に映っていなかったら全然気付かなかった。
「居るなら声を掛けてくださいよ」
「楽しそうな歌が聞こえてきて興味本位で覗いてみたら随分可愛いことをしていたからな。声を掛けるタイミングを失ってしまった」
 後ろから抱き締められて、ピアスの場所にキスを落とす杏寿郎さんを鏡越しに見る。普段自分がされている光景なんて見ないからこれは中々に恥ずかしい。
 自分の顔を見ているのがいたたまれなくて下を向いたら顎を掴まれて後ろに向かされた。
「ん――」
 キスをされながらピアス付近を擦る杏寿郎さんの指に肌が粟立つ。擽ったさと気持ち良さに顔だけでなく身体も向けて自分からも唇を押し付けると腰に腕が回った。
 目を閉じ角度を変えて啄み、酸素を取り込もうと口を薄く開いたら舌が入ってくる。
「んむ……ぁ」
 自分から入れてきたのに控えめに中を探り、伺いを立てるような杏寿郎さんの舌に焦れて歯で柔く噛んでみた。目を開ければ案の定杏寿郎さんも目を開けているからまた目を閉じて――今度は舌先で早くと急かすように舌をつつく。
 じゅるりと音が口の中で響くと同時に舌と身体が絡み始めた。腰に回っていた腕はより強く私を引き寄せ、私は背伸びをして杏寿郎さんの首裏に腕を回す。
「は、っ――」
「ん……」
 薄目になって杏寿郎さんの顔を覗き見ると、夜の情事のときに見る皺を寄せた眉根に身体の奥が疼いて腰が引けてしまった。
「折角準備をしたのに少し食べてしまったな」
 口が離れてよろけた私を支えながら、杏寿郎さんは自分の唇に移ったグロスを親指で拭き取り舐める。
「やはり似合っている。贈って良かった」
 分かっていたけど。分かっていたし昨日も感じたけど、好きな人に“似合っている”とか言われるのがこんなに嬉しいなんて。嬉しそうに微笑う杏寿郎さんに顔の熱が上がった。
 どう返していいか分からなくてありきたりのお礼しか言えない自分が悔しい。
「そろそろ時間だ。行こうか」
「……はい」
 あっという間に終わってしまったキスに、できればもう少し二人だけの空間で過ごしたいなんて思っているのは私だけかな。
 やっぱり欲求不満なのかもしれない。洗面所から出ていく杏寿郎さんの背中を見ながらぼんやり考えた。

* * *

「ところでどんな展示なんだ?」
 チェックアウトも済ませて美術館に続く道を歩きながら杏寿郎さんが展示内容を聞いてくる。
「このホテルを中心とした地域の歴史がメインですね。昔はここらへん一帯、このホテル経営者の土地だったらしいですよ」
「ああ、ウブヤシキグループか」
「知っているんですか?」
「まあ……結構大きい会社だからな」
 杏寿郎さんの言葉にふーん、とだけ返した。歴史――大枠で言えば社会科だし杏寿郎さんは経済にも詳しいのかな。私なんてこの案件に関わるまで全然知らなかった。
「ん? この主催……」
 入口でチケットを購入して入ろうとすると案内看板を見て杏寿郎さんの足が止まる。
「どうしました?」
「いや……、この仕事は初めから関わっていたのだろうか?」
「なんか最初依頼していた会社が主催と揉めたらしくて、途中からうちの会社が引き継いだんですよ」
「……ふむ」
「引き継ぎとか打ち合わせとかてんやわんやでしたけど終わるものですねー」
 喉元過ぎればなんとやら。終わってしまえばその大変さもいい経験や思い出に変換されるのだから私は仕事バカの部類に入るのだろう。
「打ち合わせには主催の代表者も来るものなのだろうか?」
「全国規模な案件になれば要所で来るかもしれないですけど基本は来ないですね。プロジェクト毎にチームが作られて、その方たちと進める感じです」
「なるほど」
 展示物よりも仕事の裏側に質問をしてくる杏寿郎さんに首を傾げる。なんだろう。生徒さんたちの進路相談に役立てる感じかな?
 特にそれ以上話が広がることもなく、また歩き出した杏寿郎さんと美術館に入った。
 ほぼ開館と同時に入った美術館はまだ人も少なく、ゆっくりと怒涛の日々を過ごして展示されているものを見上げる。
 初めてここを見学したときに照明が気になっていたところも、それを見越した見せ方にして良かったと胸を撫で下ろした。もしかして私ってばいい仕事しちゃったんじゃない?
 杏寿郎さんの質問に答えたり、これは私が全部やったんですよってアピールしたりしながら進んでいく。
 そこまで広くない美術館は休憩することもなく見終わり、そのまま展示ブースを抜けて明るい場所に出た。
「落ち着いて見学できたな」
「朝だから人も少なかったですしね」
「ナマエの仕事ぶりが見れて良かった」
「私も見せられるものが出来て良かったです」
「あんな造形物が作れるのは凄いな」
 褒められて口元を緩めていると昨日の設営に協力してくれた美術館のスタッフさんに声を掛けられる。また縁があれば是非ともという言葉を貰ってお礼を言うとスタッフさんの視線が杏寿郎さんに向いた。
「あ! 昨日の庭園の!」
「っ!」
 杏寿郎さんの髪色はなかなか居ないから覚えられて当然かという感想と、見られていたのかという羞恥が蘇る。
「昨夜は公衆の面前でお騒がせして申し訳ない」
「いえいえ、ドラマ見てるみたいで良かったです」
 その言葉は私にはなんのフォローにもならない。むしろ恥ずかしさを助長させて早くこの場から立ち去りたい。
 杏寿郎さんの袖を引っ張って早く行こうと意思表示すると、簡単に挨拶して去ることに成功した。
「はっはっは、随分色んな人に見られていたようだ」
「恥ずかしくて当分このホテルは来れなさそうです」
「証人が沢山居るから安心だな」
 全然気にする様子のない杏寿郎さんはどちらかというと楽しそうにしている。
 安心ってなにが? なんのことかと聞こうとしたらスマホが鳴ったらしく、杏寿郎さんはスマホを取り出して片眉を一度上げてから私を見た。
「母上から連絡が来たのだが今日は父上と遠出しているらしく、帰るのが夜遅くなりそうだ」
「そうなんですね」
 昨日に引き続き今日も瑠火さんを独り占めしている槇寿郎さんが羨ましい。というか槇寿郎さん仕事じゃないの? あ、でも瑠火さんが絡むなら意地でも有給取りそうだな。私もできる限り休む。
「また今度ですねー」
「すまないな」
「大丈夫ですよ。折角だしここら辺をふらっと散策しながら帰って、どちらかの家でまったりしましょうか」
「そうだな。まったり過ごそうか」
 瑠火さんに会うことが叶わないのは残念だけど、今日は一日杏寿郎さんを独り占めしよう。指を深めに繋ぎ直し、冷たい空気を二人の間に通すことなく体を寄せ合った。

* * *

 駅までの道のりは特に何もなく、ちょっと早いお昼を食べながら街の情報を調べてたらいい情報を見つける。
「駅の反対側でイルミネーション見れるらしいですよ」
「そうしたら行ってみるか」
「ちょっと駅から歩くみたいですけどいいですか?」
「問題ない」
 家で早く二人きりにはなりたいけどもう少し外デートもしたい。あれもこれもしたいが次から次へと出てきて笑ってしまった。
「どうした?」
「あ、すみません。杏寿郎さんと色んなことしたいなーが沢山あって自分で笑っちゃいました」
「俺もナマエとやりたいことは沢山あるぞ」
「杏寿郎さんの私とやりたいことって例えばなんですか?」
「む? うーむ……」
 やりたいことあるって言うから聞いたのにそこ悩むの? 一人で表情を変えたと思えば軽く首を振る杏寿郎さんを食後のコーヒーを飲みながら見詰める。
「どれからやりたいか考えていたら決められなかった。差し当たってはナマエと手を繋いでイルミネーションを見ることだな!」
 よし、行こうとコーヒーを一気に飲んで立ち上がる杏寿郎さんの行動が早くて私の反応が遅れた。慌てて荷物をまとめて追いかけるともう会計も終わっていて、財布を出そうとしたら手で制される。
「ご馳走さまです」
「うむ!」
 杏寿郎さんは私の前に出した手をひっくり返して差し出すようにしてきたからぽん、と自分の手を乗せた。
 どうやら私の行動は合っていたらしい。杏寿郎さんは笑顔で乗せた手を握り返してくれる。ちょっと不意打ちの満面笑顔は止めてほしい。こんなに元気な笑顔になると思っていなかったから「ぐっ」と声が出そうになった。
 私が少し押し黙った理由に杏寿郎さん絶対気付いてる。だって指が楽しむように、からかうようにぎにぎしてくる。
「……行きましょうか」
 それを無視して歩き出すと含み笑いをしながらも杏寿郎さんはそれ以上はしてこなかった。

* * *

 駅の反対側に出て地図アプリで確認しながら、イルミネーションをやっているという場所に向かう。
「えーと……あ、そこの道右に曲がると近道っぽいです」
「了解だ」
 私のナビ通り右に曲がり狭目の路地に入って、さて次のポイントはどこだろうと地図を見ていると握られている手に力が加わって足を止めた。
 地図に夢中になりすぎて周りが見えていなかったな。自転車にでもぶつかりそうになったのを制してくれたのかと思って顔を上げても辺りに私達以外の気配はない。
「どうしました?」
「……」
 何も言わない杏寿郎さんに、なんだろうともう一度辺りを見回したところでやっと気付いた。こんなにあるものかと思うほど、道沿いの建物は軒並み入り口に“休憩”とか“宿泊”などと書かれた看板が隠すこともなく掲げられている。
 この道はそういうところなの、かな?
「ああああの、決して意図してここに……来たわけでは……」
「……分かっている」
 戻るかどうか考えているとぐっと手を握られ同時に唾を飲む音も聞こえた。
「すまない。イルミネーションはまた後か……後日でもいいだろうか」
「っ!」
「これは俺の唯の我儘だから正直に答えてくれて構わない」
 繋がっている手がじわりと熱を上げて、ギュッと握り返し見上げると杏寿郎さんの身体が強ばるのが伝わってくる。
「私も……二人で過ごしたいと思っていたので……我儘なんかじゃないです」
 そう、我儘なんかじゃない。言葉にした通り私だって二人誰にも邪魔されないところで過ごしたいって思っていた。そんな気持ちを込めてスマホをコートにしまって杏寿郎さんに一歩近付いて身体をくっつける。
 初心な年でもないのに二人無言のまま近くの建物に向かった。

* * *

 建物に入って直ぐのところにタッチパネルが置かれている。部屋を選べってことなんだろうけど、慣れないところでどの部屋を選んでいいかもよく分からない。
 取り敢えず光っているところが空いてるんだよね、なんて状況把握していると杏寿郎さんの指がパネルをタッチしてトントン拍子に部屋が決まって鍵が出てきた。
 無言のまま腕が引っ張られ足早にエレベーターに乗り、エレベーターが動き出すとやっと杏寿郎さんが口を開く。
「慣れてなどいないぞ。あの場にあまり留まっていたくなかった」
 それは確かに。誰か来るかもしれない心地悪さは出来るだけ避けたい。
 エレベーターを降りて、部屋番号も分かっていない私は杏寿郎さんにまた引っ張られるように部屋に連れて行かれた。
 部屋に入ってキョロキョロしながら奥に行くと大きなベッドがある。上着を脱いで荷物を置いて部屋を見渡して、部屋は至って普通の作りと言えばいいのかな。ベッド脇でどう立ち振る舞えばいいんだろうと立ち尽くしていたら思っていたら朝みたいに後ろから抱き締められた。
「今日はピアスを付けたままでいてくれないか?」
「っ!」
「……俺の贈ったものを身に付けるナマエを抱きたい」
 後ろから抱き締めながら耳に息を吹き込まれる。浅く熱い息が私から漏れるけど息だけじゃ足りない、身体の中に熱が渦巻いて早く心も身体も満たされたい。
 抱きすくめる腕がゆっくり下に移動するのを見ながら、お腹に回ったとき杏寿郎さんの手に自分の手を重ねた。
「抱いて、ください」
「よもや……そんな風に言われたら歯止めが利かなくなりそうだ」
 ほとんど無意識に出た言葉に杏寿郎さんはそっとピアスに舌を這わせて、擽ったさに身を捩ったらそのまま二人ベッドに倒れ込む。
 昨日や今朝と同じようにキスが降ってくるけどそれとは全然違う。意思を持って服が脱がされて、そういったことを主な目的としているこの空間は否が応でも意識してしまう。
 杏寿郎さんの唇が離れる寂しさにギリギリまで舌先を出しながら追いかけ、繋がっていた唾液がぽとりと顔に落ちた。
「ん、」
「こういう場所だと意識してしまうな」
 杏寿郎さんも同じことを考えていたみたい。落ちた唾液を舐め取り、半端に脱げた服のまま杏寿郎さんは一度ベッドから降りると自分の鞄を漁って……え?
「え? なんで……いつ? え? 持ってたんですか?」
 杏寿郎さんの大きい手の中には昨日ないからと断念した――杏寿郎さん風に言うと避妊具の箱。こういう場所なら売っているだろうと思っていたけどまさか杏寿郎さんが既に持っているとは思わなかった。
 今日はずっと一緒に居たから買うタイミングはなかったはず。え、昨日ないって言ったのはもしかしてそういう気分じゃなかったってこと? それなら率直に言うはずだし……。
 ぐるぐる考えていると杏寿郎さんはバツが悪そうに話し出した。
「その……昨日のようなことは繰り返したくなくて……。昨日コンビニで売っていたから買ったんだが……昨日は使わないと決めていた」
「……」
「携帯用に持ち歩こうと……」
「……」
「昨日から色欲に塗れていて不甲斐ない」
 黙ったまま杏寿郎さんの言い分を聞いていたらさっきまであった勢いがどんどんなくなっていく。最終的にはしょんぼりと頭を垂らして髪の毛で表情が見えなくなってしまった。
 最初は疑問の大行進だったけど、疑問が解けて冷静になったらジワジワ可笑しくなってくる。
「ぷ、あははは」
「……」
 私が笑ったことで顔を上げた杏寿郎さんに手を伸ばして頬を挟んだ。
「失敗は成功のもとって言いますからね?」
「む、うむ? 少し意味が違う気がするが」
 私の言葉に納得していない様子の杏寿郎さん。準備していた理由やそれをちゃんと伝えくれる姿勢は、自分が恥ずかしくなるよりも私を不安にさせないを優先してくれて愛しさが込み上がる。
「じゃあ備えあれば憂いなしですね」
「そっちのほうが合っているな」
「準備してくれてありがとうございます。昨日の貯金、早速使いましょう?」
 昨日はお互い我慢したし、なんなら朝、もっと二人だけの空間に居たいって思った。頬に触れている手をそのまま後ろへ滑らせて杏寿郎さんの髪を梳けば擽ったそうに目を細める。

 少し力を入れて引き寄せれば抗うことなく近付く彼に微笑いながら目を閉じた。

2022/06/26:初出