#12
つまみもお酒も全て消費して、ワゴンカートを廊下に出し寝る支度をする。布団にもぞもぞと入り、あとは寝るだけだけど寝るのが勿体ない。
まだお喋りしたくて杏寿郎さんの方を向くと、私の動きに合わせて杏寿郎さんも立て肘をつきながらこっちを向いてくれた。
「そういえばさっき聞きそびれたのだがパン屋のこととはなんだろうか?」
「はい? パン屋? パン屋……あっ!」
そんな話したっけなんて一瞬考えたけど直ぐに思い出す。
「かまどベーカリーで芋系のパンが沢山売っていたので、今度全種類買って杏寿郎さんと食べ比べしたいなって」
「お、それは俺も思ったから気になるのは買い控えているんだ」
「え! そうなんですか!?」
杏寿郎さんが大好きな芋に関する食べ物を我慢しているなんて一大事だ。これは近々に行かなければと思っていたら爆弾を落とされた。
「好きな食べ物なら好きな人と食べたほうがよりうまいだろう?」
「年内に行けたら……行きましょうね」
「うむ、そうだな。……で?」
「で?」
「他にもあるだろう?」
「他ですか?」
「パンの食べ比べの他にも大事な話があるんじゃないか?」
「うっ……」
食べ比べの件も話したいことに変わりないのだけれど、やっぱり杏寿郎さんはそれで良しとしてくれない。
立て肘をついたまま笑みを崩さない杏寿郎さんにこれは誤魔化せないと観念した。
「別な日の話なんですけど……。たまたま店に居合わせた生徒さんたちの会話を聞いてしまって……」
「ふむ。どんな話だ?」
「えっと、お見合いが両家合意で成立したっていうのと、だからフライデーの彼女とは別れたかこれから別れるんじゃないか……みたいな話を……」
「……」
「あの年頃の子たちが噂好きなのは知っていますし、そのあとかまどくんも私にフォローしてくれたんですけど……。美術室が爆発したって連絡のあった日、杏寿郎さんの上着からお見合い相手さんの香水の匂いがしたので……」
段々と声が尻すぼみになるのが自分でも分かる。まだ私の心を折ろうとするには十分な力を持つあの日のことを思い出して布団に顔の半分を埋めた。
「本当なんだって思っちゃって……。杏寿郎さんに確認もせず鵜呑みにして仕事に逃げてしまいました。ごめんなさい」
ふぅ、と息をつく杏寿郎さんに呆れられてしまったかな。布団を全部被って隠れてしまおうとしたら間髪いれずに布団を剥がされる。
「ナマエに対して息をついたのではない。俺自身の軽率さに息をついたんだ」
だから隠れないでくれ、と杏寿郎さんは眉尻を下げた。
「あの日は母上の見舞いにたまたま一緒に行くことになって道中一度マフラーを貸したんだ。軽率だったと今でも反省している。ナマエの不安を大きくしてすまない」
匂いが移った原因は貸したマフラーなんだ。直接ではなく間接的に匂いが移ったことにちょっとだけほっとするのと同時にモヤモヤとした感情が湧いてくる。
どんな流れでそうなったのかは分からないし、杏寿郎さんのことだからほぼ善意からの行動だろうけど。
「理由が今分かったからもう……大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろう? 不満でも罵りでもいいから隠さず言ってくれ」
私の声音と表情で判断したであろう杏寿郎さんは全部言えと言ってくるけど、なんて言えばいいんだろう。あまり大っぴらにするような感情じゃない。
「私も杏寿郎さんのマフラー巻きたいです」
「……ああ、他には?」
「……なるべくでいいので、あまり他の女の人に服とか……貸さないでください」
結局うまい言い方が思い付かなくてストレートに言ってしまい、また語尾が尻すぼみになった。こんな感情は杏寿郎さんに見せたくないし、楽しい話をもっとしたいのに。
「あの! 単なる我儘なので気にしないでください。貸したのも理由があるだろうし! 本当に気にしなっ――」
言い終わる前に背中に腕が回って身体を引き寄せられる。布団の動きにくい中で中途半端に寄った身体に杏寿郎さんの体温が熱く伝わってきた。
「そうやってもっとしたいこと、してほしくないことを言ってくれ。俺の取った行動でナマエに嫌な思いはさせたくない」
「……嫉妬とか我儘とか面倒じゃないですか?」
「元々は俺の判断が招いた結果だ。それに言っておくが俺はナマエが思っている以上に狭量だし嫉妬しているぞ!」
「そう、なん……ですか?」
杏寿郎さんもそんなこと思うんだ、っていうのと自分で気付かない内に杏寿郎さんに嫌な気持ちにさせていたのかな。
背中に回された腕が離れて、身体を元の位置に戻す。どんなときか聞いてもいいのかと考えていたら杏寿郎さんは自分から話してくれた。
「竈門がどんな言葉をナマエに掛けたか分からないが……俺とのことに関することなのに俺以外の男にフォローされたというのが聞き捨てならなかった」
「俺以外の男って……かまどくん高校生ですよ?」
「高校生だろうが異性は異性だろう」
異性で間違いはないけど相手の高校生にヤキモチらしい感情を出す杏寿郎さん。何か間違っているのかと言う杏寿郎さんに、私が変なのかと考えてしまった。
そんな私の考えを見透かして杏寿郎さんは開き直ったように口元を尖らせる。
「……ちなみに宇髄にも会ったんだろう?」
「うずいさん? あー、そうですね。会いました」
棘を含ませた声で急に別な人の名前が出てきて瞬きしてしまった。杏寿郎さんはジト目で私を見てきて、え、私これなんか怒られる流れ?
街の本屋で会ったけどそんな喋っていないしすっかり忘れていた。そうだ、そのことも会ったときに言おうと思ってたんだ。
「忘れていたのか」
「今言われるまですっかり。先生が平日の昼間に学校の外に居てびっくりしました」
隠していたわけじゃなく忘れていただけだと分かってもらえたようで、杏寿郎さんの声から棘がなくなる。
「校風もあるが宇髄は特に自由だな」
「確かに自由そうですね」
人を見た目で判断するわけじゃないけど、うずいさんは自分の興味あることにとことん従順に行動しそう。だって美術室爆発させるくらいだし。しかも頻繁に。
一体どんな学校なんだろう。来年の文化祭とか遊びに行ってみたいななんて考えていたら杏寿郎さんは軽く咳払いをした。
「宇髄に言われたわけではないのだが……ナマエが良ければ一緒に暮らさないか?」
「えっ!」
「ナマエの引っ越しの話を聞いたときから考えていたんだ。どちらかの部屋ではなく、二人暮らす場所で“おかえり”や“ただいま”を言い合いたい」
今日は今までの時間を埋めるように色んな話が出てくる。一緒に暮らすってことは同棲だよね。嬉しい話だけど同時に怖くもなる。
「一緒に……私も住みたいですけど、仕事は不規則ですしだらしなさとかに幻滅されそうで怖いのもあります」
「それは俺も同じだ。俺はそういったことも全てひっくるめてナマエのことをもっと知りたいし、それにナマエとなら楽しいことの方が多そうだ」
杏寿郎さんは私の手を取り大丈夫だというように握ってくれた。
「今回のようにすれ違って自分の預かり知らぬところで泣いたりしてほしくない。巻き込んでくれと言われたからな。俺もナマエを俺の生活に巻き込むぞ」
そうだ。怖いと恐れていたら今までと変わらない。怖がるより楽しくなるようにすればいい。私の大好きな笑顔を週末だけでなく平日も見られるなんて最高なのでは? どちらかが笑顔じゃない日だって抱き締めて安心したいし安心させたい。
私を安心させてくれる杏寿郎さんの手を握り返して元気に答える。
「ですね。杏寿郎さんとなら楽しいことのほうが多そうです。幻滅されないように頑張ります!」
「はは、そのままでいいんだがな。もう候補は絞ったのか?」
「まだ全然です。もうそのまま更新しちゃおうかなぐらいな気持ちでした」
「年が明けたら二人で住めるところを探そうか」
「お互いの仕事もあるから作業部屋みたいのあるといいですねー」
「そうだな。あると有り難い」
さっきの嫉妬の感情なんか忘れて、二人で住む部屋の間取りを考え始めたら楽しくなってきた。お互いの希望をなるべく取り入れた部屋がいいな。
「杏寿郎さんは希望とかありますか?」
「俺か? ふむ……強いてあげれば風呂だな」
「お風呂?」
「広い風呂がいい」
杏寿郎さんがこだわるほど風呂好きだなんて初めて知った。今日泊まっている部屋の風呂はユニットだったしゆっくり出来なかったかな、というかそもそも直ぐ出てきたし。確かに疲れた身体を癒すお風呂は足を伸ばしてゆっくりできる方がいいもんね。
「二人で入ろう!」
「……え?」
「今の互いに住んでいる部屋の風呂は狭くて断念したからな。次に住むところは一緒に入れる広さが欲しい」
「え? 杏寿郎さん……理由ってそれですか?」
「ん? そうだが?」
「あの、なんで二人でお風呂に入ることにこだわるんですか?」
「宇髄が恋人同士なら一緒に風呂に入るのは当たり前だし楽しいと言っていたんだ」
うずいさん何を杏寿郎さんに吹き込んでいるんですか。期待に目を輝かせる杏寿郎さんにそんなこと当たり前じゃないですよ、なんて言うのが憚られてしまう。
何かうまい回避方法はって考えたけど杏寿郎さんを見ていたら野暮だと思ってしまった。折角楽しい未来の話をしているんだからノッてしまおう。あとのことはまたそのとき考えればいいや。
「毎日は難しいですけど、土日とか休み前とかに入りましょうか」
「楽しみだな」
「あ、でも一緒に入るときは恥ずかしいので色付きの入浴剤入れましょうね」
「全国の温泉の素でも買うか!」
「家で全国の名湯に入れるの贅沢ですね!」
チョイスが年輩の人みたいな杏寿郎さんに笑ってしまう。湯船に浸かった瞬間野太い声を二人とも発しそうだと簡単に想像できて気を付けようと思った。
「クリスマスとかは小さいツリーを飾って、千くん呼んでパーティーとか……って今更ですけど杏寿郎さんは家でクリスマスパーティーとかしないんですか?」
千くんはまだ学生だし、瑠火さんも槇寿郎さんも家のこと好きだからそういうのやりそう。
「今年は千寿郎が友達の家でパーティーをすると言っていてな。母上も退院したばかりだから今年は父上が母上を独占だ」
なにその瑠火さん独占権。槇寿郎さんめちゃくちゃ羨ましいけど、槇寿郎さんはきっと私以上に瑠火さん大好きだから仕方ない。でも羨ましい!
「瑠火さん退院したんですよね。体調どうですか?」
「ああ、検査結果は特に異常もなく健康だ」
「良かった……」
瑠火さんから無事に退院したと連絡が来たのは確か先々週くらい。退院祝いに行きたかったけれど、退院して直ぐは落ち着かないだろうし仕事の忙しも相俟ってまだ行けていない。
杏寿郎さんとの件もあってなんとなく連絡もできずにいたから健康の言葉に安心する。
「明日一緒に家に行こうか。ナマエの顔を見たら母上も喜ぶ」
「是非お願いします!」
問題ないとは聞いたけど実際この目で確認したいし何より瑠火さんに会いたい。杏寿郎さんの提案に明日の予定が決まったとニコニコしていると視線を感じた。
「どうしました?」
「俺もナマエのご両親に挨拶をしたい」
「えっ!?」
「一緒に暮らすなら尚更だ」
「あ……そうです、よね」
「……あまり実家の話を聞かないが複雑なのだろうか?」
何を突然と思ったけれど結婚の話もしたし遅かれ早かれ出てくる話だ。
就職と同時に家を出て連絡はおろか盆暮れ正月も帰らない私。最初のうちこそ連絡は来ていたけど仕事にかまけて返信を
疎遠と言えば疎遠だけど、自分の行動が引き起こした結果だ。
「すまない。急だったな。ナマエのいいタイミングで構わないから話せることがあればそのときに教えてくれ」
「あ、違うんです。離婚して父はいないんですが他は至って普通の家です。ただ――」
今さっき頭の中で考えたことを正直に言うと杏寿郎さんは溜息をついて私の鼻をつまむ。
「んむっ!」
「今度はナマエへの溜息だ。俺の母上を慕って会いに来てくれるのは俺としても嬉しいがそれ以上に自分の親を大事にしてくれ」
「はい、すみません」
「明日にはもう二度と会えないなんてこともあるんだ……」
「……杏寿郎さん?」
杏寿郎さんの顔が一瞬歪んだけど直ぐに何もなかったような表情に戻り、つまんでいた鼻から手を離した。
「……母上が今のことを知ったら暫く煉獄家へは出入り禁止になるだろうな」
「明日の朝必ず連絡します!」
「よし、いい返事だ!」
なんか、手のひらの上で転がされている感じが凄いけど確かに瑠火さんが知ったら本当に言ってきそう。
瑠火さんに会うのを禁止されたらなんて考えるだけで恐ろしい。朝起きたら直ぐに連絡しよう。
さて、どういう切り口で始めようかな。“お久しぶりです。会わせたい人が居るから今度連れて行くね”なんて突然すぎるか。
うーん、と頭の中でシミュレーションしていると杏寿郎さんが鼻ではなく今度は眉間に指を当ててきた。
「眉間に皺を寄せてどうした?」
「親にどうやって言おうかなって考えていたんですけど、久しぶりに娘から連絡が来たと思ったら恋人を連れて来てビックリされそうだなって」
「俺は今からもう緊張している」
「全然そんな風に見えませんけど」
「見せないようにしているだけだ」
「えー、見せてくださいよ」
「ははは、いくらナマエでもそれは出来ないな。ナマエの前では余裕を出して格好つけていたいからな」
惚れた欲目は多大にあると思うけど、どんな杏寿郎さんだって格好良いし可愛いのに。
「杏寿郎さんはいつでも格好いいですよ……ふぁ」
タイミング悪くあくびが出て、説得力のない言い方になってしまい慌てて口を押さえる。
「今日は寝ようか。仕事もあったし酒も入って眠いだろう」
「まだ……おしゃべり」
首を振って寝る前の子どもみたいに駄々を捏ねて杏寿郎さんの袂を掴むと温かい手で頬を撫でられた。
「明日もある。明後日もその次の日もある。また明日たくさん話をしよう。今日はおやすみ」
――いい夢を。
杏寿郎さんのとびきり優しい声音を最後に私の意識はプツリと切れた。
電池が切れたように意識を手放し寝息を立てるナマエに思わず苦笑する。眠る直前までもっと喋りたいと駄々を捏ねるナマエをあやせば安心しきったような寝顔に俺が安心した。
ピアスの刻印も俺の独占欲に嫌な顔せず、逆に笑いながら守られているみたいだと言うナマエ。何も言わずに不安ばかりを募らせた俺を受け入れてくれたナマエに、この先もずっと守ると一人改めて誓う。
ナマエの枕に腕を伸ばし、そっと頭の下に入れても起きる気配はない。そのまま腕を押し込んでナマエの頭を俺の腕に乗せた。
少し違和感があるのか自分で頭の位置を調整し始め、本当に起きていないのかと好きにさせていれば収まりのいい場所を見つけたのかまた寝息を立てる様子に微笑う。
今夜はいい夢を見れそうだ。
少し捲れてしまった布団をナマエの首元まであげて俺も目を閉じた。
2022/06/21:初出