#14
お互い出る準備を整えていると杏寿郎さんが難しい顔をしてソワソワしている。どうしたんだろうと下から覗き込んだらこれでもかというほどに目を見開かれた。
え、そんな反応予想していなかったからちょっとショックなんだけど。
考え事しているときに視界に入って悪いことしちゃったかな。後ろに下がろうとすると杏寿郎さんは慌てたように私の手を掴む。
「すまない。少し考え事をしていた。身体はダルいだろうが他になにか……こう! その……」
「他に、ですか?」
何かを言いにくそうにしながら目を泳がせる杏寿郎さんが珍しくていいもの見れたなんて思うけど、ここまで言い淀まれると私も落ち着かなくなってきた。
「言いたいことは我慢しないでください」
「そ、うだな……」
いつも杏寿郎さんがやってくれるように、正面からまっすぐ目を合わせるとようやく決心したのか続きを話してくれる。
「……一緒に風呂に入ったあと、焦って避妊具をきちんと着けられたか正直自信がない。ナマエのいいと思ったタイミングで子を、なんて言ったそばから覆すような振る舞いをしてすまない」
「それは……問題ないと、思います」
お互い煽って煽られてもつれ込むように熱を混ざり合わせて、後先考えずに進めたのは私もだ。
後始末するとき、杏寿郎さんの心配するようなことにはなっていなかったし言葉の通り問題ない。それでも、杏寿郎さんの予想外の言葉に私の喉が小さく鳴った。
「私からも強請ったのでお互い様です。だから謝らないでください」
「すまな――、分かった。少しでも体調に変化があったら直ぐに言ってくれ」
「はい!」
元気よく返事をすれば杏寿郎さんの肩からようやく少し力が抜けるのが分かってほっとする。
「さあ! イルミネーションを見に行きましょう!」
「……よし、行こう!」
テンションを私に合わせるべく若干無理やりにテンションを上げる杏寿郎さんに気付かないふりをして、当初の目的だったイルミネーションを見るべく部屋を後にした。
ホテルを出ると夕方には早い時間だけどこの季節はもう暗い。
イルミネーションのある場所は普段なら閑散としている並木道なんだろうけど、街路樹の装飾は夜空に映えるように煌めいていた。
「すごっ!」
「キラキラが凄いな!」
クリスマスも終わった平日は人が少ないと言ってもそれはクリスマスと比べたらの話。顔を上げてキョロキョロと見回しながらあっちも凄いぞ、こっちも色が違う、なんて言い合っている途中、人があまりいない場所で足を止めてコートのポケットからスマホを取り出した。
えーと、夜景モードはこれで……なんてスマホのカメラの設定をいじっていたら杏寿郎さんが覗き込んでくる。
「どうした?」
「写真を撮ろうと……思いまして……」
ほらほら、とスマホを上げて自分たちが映るようにしたけど身長差でうまくフレームに入らない。背伸びして目一杯に腕を伸ばしていると杏寿郎さんはしゃがんで私と頭の高さを合わせてくれた。
「これで入るか?」
「もう少し引きで撮りたいんですけど……、私の腕じゃ限界なので杏寿郎さんお願いします」
「任せてくれ」
するりと私の腰に腕が回って引き寄せられる。私の鼻をくすぐる杏寿郎さんから香る匂いは私と同じで、そんな小さなことに無意識に顔を綻ばせていると、杏寿郎さんが笑うから無言のままもっと密着した。おしくらまんじゅうをするみたいに二人無言で体を押し付け合って同じタイミングでピタリと止まる。
「……ふふ」
「ははははは! 昨日から浮かれすぎてるな!」
「本当ですね!」
周りに人が居るのに何をしているんだ私たちは。可笑しくて一頻り笑ったあと静かに寄り添って、改めて杏寿郎さんの構えるスマホのフレーム内に入った。
カメラに映る私は自分でも分かるほど楽しくて嬉しそうにしている。くっついている側の腕を後ろから杏寿郎さんの腰に回して上着をギュッと掴んだ。
「……撮るぞ」
杏寿郎さんはトロリと甘く笑いながら小さい声で言うから、もう一度上着を掴んで返事をする。この先もずっと、こうして杏寿郎さんの隣で笑えるように頑張ろう。
喧騒に紛れて聞こえないシャッター音に一人誓った。
「ところでナマエのスマホの中には母上の写真がどれくらいあるんだ?」
「瑠火さんの写真ですか?」
「ああ、許可を貰ったあとは隙あらば撮っているからな」
イルミネーションも見終わって、手を繋いで駅に向かって歩いていると杏寿郎さんが疑問をぶつけてきた。
隠し撮りと言われるようなことはしたくないから、瑠火さんにこれから写真を撮ってもいいかと許可を取ってから写真を撮るようにしている。
最初こそぎこちない感じだったけど最近ではすっかり慣れて自然な表情も撮れるようになってきて、慣れってすごいなって思った。
「何回か容量足りなくてバックアップ取っているので何枚とか分からないですけど、とにかく沢山ですかね?」
「ふーむ、道は長そうだな」
「なんの道ですか?」
「俺の写真が母上の枚数を超える日はまだまだ先だなと思ったんだ」
「あー……それは……。もう頑張ってくださいとしか言えないですね」
「目標があれば燃えるというからな。覚悟しておいてくれ」
「楽しみにしています」
杏寿郎さんには申し訳ないけど、瑠火さんの写真の枚数を超えるのは本当に先が長いと思う。むしろ超える日が来るのか? ってくらいに。
頑張ってって応援を込めて手を強めに握ったら拗ねるように指先で手の甲を引っかいてくるから笑ってしまった。
駅前のレストランで夕食を食べ、帰りの電車は運良く座ることが出来て、電車特有の揺れと足元の温かさは満腹感との複合技で簡単に私の目蓋を落としてくる。
杏寿郎さんは自分とは反対側にある私の手を取るとくいっと引っ張った。そのまま肩に私の頭をくっつけさせて、うとうとする体が反対側の他人の方へ行かないように固定する。
「俺に幾らでも寄り掛かって構わないから少し寝るといい」
「すみませ……」
寝たくないと思っているのに昨日の夜から私は寝てばかりだな。
杏寿郎さんが隣に居るっていう事実は思っている以上に私を安心にさせるから、言葉もうまく発せないまま眠りについた。
「着いたぞ」
「ん、ぅ? ……っは! 降ります!」
腕を軽く叩かれて急速に意識が覚醒する。乗り過ごしたと思って慌てて降りようとしたら腕を引っ張られた。
「慌てすぎだ」
「え? あ……」
苦笑いしながら言う杏寿郎さんに恥ずかしくなる。周りにいた人も笑うのをなんとなく堪えている中、下を向いて電車から降りて、出勤中だと勘違いしていたと言うとまた苦笑いされた。
「社畜というやつか」
「ぐうの音も出ません。私、昨日から寝てばかりですね」
「それだけ働いて疲れていたということだ。沢山頑張ったな。俺もナマエに寄り掛かって少しばかり寝ていた」
「杏寿郎さんも寝てたんですか?」
私に寄り掛かって寝る杏寿郎さんなんてレアなんじゃない? なんで寝てしまっていたんだろうと後悔する。
「ナマエの体温が気持ちよくてな」
私のマンションのある最寄り駅で降りた道は、街灯と周りの家の明かりでイルミネーションのあった場所と違って空の星の輝きは全然見えない。だけど、隣にある温もりは変わらずにある。
寒さで白くなる息を吐きながら言いたいことを頭の中でまとめてよし、と決意した。
「杏寿郎さん」
「ん? どうした?」
「うちでお茶していきませんか……というか、もし杏寿郎さんが良ければ泊まっていきませんか?」
「ナマエは明日仕事だろう? 俺が泊まったらゆっくり休めないんじゃないか?」
決意した心の声は大きいのに実際私から出た声量は小さくて、杏寿郎さんに頷いて貰えるか分からない自分の自信の無さを表している。
お互い次の日仕事があるときは余程のことがない限り泊まったりするとことはない私たち。私の家に送ってもらうまでじゃなくて、その後もまだ一緒に過ごしたい。
明日は休みだしとか、電車もないしとか、泊まるための理由なんて必要ない。理由を無理やりつけるなら一緒に居たいで十分なはず。
何より、私の部屋から薄れていっている杏寿郎さんの匂いを、痕跡を残してほしい。
「仕事ですけど、私の部屋で杏寿郎さんと過ごしたいんです、じゃ駄目ですか?」
「駄目なんかじゃないし、俺はむしろ嬉しい。ナマエがいいなら甘えさせてもらおう」
夜道で杏寿郎さんの抑えた声音の是はすとんと私の鼓膜に届いて、見上げた先にある表情が柔らかく微笑っていたから安心した。
「相変わらず部屋を片付けていないんですけど……どうぞ」
明日の朝食を近くのコンビニで買って、泊まり用の準備でクローゼットの中をぽいぽい出してそのままな部屋に杏寿郎さんを通す。
前もなんか片付けてない部屋に通したななんて遠い目になるけど、それよりも杏寿郎さんが私の部屋にいるという事実が嬉しい。仕事道具も泊まりの荷物も全部廊下に無造作に落として、部屋に入っていく杏寿郎さんに手を伸ばして後ろから抱き締めた。
「っ、どうした急に?」
「……杏寿郎さんが私の部屋に居るのが嬉しくて」
「俺もまたナマエの部屋に来れて嬉しい」
最後に杏寿郎さんがこの部屋に残していった私の知らない甘い香りの事を思い出すとじんわりと涙が浮かんで、ようやく上書きできるなんて、自分勝手なことを考えてしまう。
こんな顔見せられない。ギュッと目を瞑って涙を引っ込めて、顔と体を離すと今度は私が杏寿郎さんに正面から抱き締められた。
「ナマエが良ければ次の日仕事でも予定が合えば会いたいと言おうと思っていたんだ。誘ってくれてありがとう」
やっぱり駄目だ。泣いてしまう。色んなことがありすぎて情緒の制御が全然できない。
「なっ!? どうした!?」
「杏寿郎さんが好きすぎて泣いているんですよー。私のほうがありがとうって言いたいのになんで先に言うんですかー馬鹿ぁー」
「言いたいことは我慢するなと言われたからな!」
泣き出した私に最初は驚いていた杏寿郎さんだけど、理由が分かると落ち着いたのか泣きながら文句を言う私の体を離そうとしてくる。
「顔を見せてくれ」
「……今は無理だって分かってて言ってますよね?」
「はは、まあそうだな。でもナマエと目を合わせたいんだ。駄目か?」
「……笑わないでくださいね」
「それは約束できない。ナマエの顔を見れて嬉しいのに笑うなと言う方が無理だ」
駄目じゃないから困るし、無茶を言いながらも嬉しい言葉をさらっと言いのける杏寿郎さんに折れるのは嫌じゃない自分にも更に困った。
ゆっくり顔を上げれば優しい顔をしている杏寿郎さんに視界が滲む。目を擦ろうとするとその手を遮られて杏寿郎さんの指で涙を拭われた。
「さて、どうしたらナマエは泣き止むだろうか」
「面白いことしてくれたら……涙も引っ込みます」
「なかなかハードルが高いな! 面白いこと、面白いことか……」
私の肩に手を乗せながら目を瞑り眉間に皺を寄せる杏寿郎さん。なにかギャグでも考え始めたのか、杏寿郎さんはむむむなんて唸り始める。私を笑わせようとする気持ちが十分に伝わってくるし、その真剣さというか、言葉のまま受け取る真面目さに涙なんて止まってしまった。
「杏寿郎さんが面白いから涙引っ込みました」
「俺はまだなにもしていないんだが?」
「杏寿郎さんが私を笑わせようと悩む姿が面白かったですよ!」
「うん?」
まだ残る涙を自分で拭いながら笑うと杏寿郎さんも笑ってくれて、二人とも百面相みたいにコロコロと表情が変わる。
そんなやり取りをしつつ、部屋でゆっくりとダラダラとお互いの近況を話して気付けばもう寝てもいい時間になっていた。
杏寿郎さんが歯を磨いている間にベッドを整えて、部屋の隅に置きっぱなしの大きな袋を引き寄せる。
「ようやく出番が来たね」
袋に入ったままで湿気っていそうな中身に一人で声を掛けていたら杏寿郎さんが寝室に入ってきた。
「杏寿郎さん! これ! これ開けましょう!」
「む?」
ガサガサ音を立てて杏寿郎さんに見えるように簡易包装された枕と真っ赤な枕カバーを取り出す。杏寿郎さんが使うものだし杏寿郎さんに開けてもらおう。
「待った! 今日開けるのは止めよう」
「え!?」
二人で買った杏寿郎さん用の枕をようやく開封できると思っていたら待ったをかけられてしまった。今開けなくていつ開けるの?
「せっかくだから俺用と、ナマエ用に買った枕は二人で暮らし始めたら一緒に開けないか?」
私の何でというダダ漏れの気持ちに杏寿郎さんは理由を教えてくれるけど、やっぱりちょっと残念だ。楽しみを先延ばしにされて膨れる頬をつつかれて、杏寿郎さんの指から顔を背けると薄く笑われる。
「いいですけど……、早く開けたかったです」
「そうだな。俺も開けたいから早く引越し先を探そう」
二人で潜り込むと余裕がほとんどなくなる一人用のベッドに杏寿郎さんと寝転んで、寝る位置を整えていたら杏寿郎さんが身体ごと私の方を向いた。
「新しい部屋もこのベッドを使おうか」
「同じサイズのを二つ並べるんですか?」
「いや、一つだけだ」
「え、小さくないですか?」
「でもこうしてくっついて寝られるぞ」
「夏は暑そうだし、喧嘩とかしちゃったら気まずそうですね」
「暑かったらその時考えよう。喧嘩したらそうだな……これだけ近いんだ。喧嘩してもきっとすぐ仲直りできる。いいことだらけだ」
その発想はなかったな。どこまでもポジティブ思考の杏寿郎さんは私との距離を縮めると当たり前のように腕枕をしてくる。やっぱり私、新しい枕必要ないんじゃないのかな? でもそれは言わないでおこう。言ってしまったら腕枕がなくなっちゃうかもしれないし、枕を開ける話もなくなってしまうかもしれない。
基本は腕枕してもらってたまに枕使えばいいよね。逆かもしれないけどまあいいか。
楽観的に考えて擦り寄ると杏寿郎さんは嬉しそうな顔をしたあとあくびをした。目尻に浮かぶ涙を指でなぞると気持ちよさそうな顔をするのが可愛い。
「今日はもう寝ましょうか」
「ん。明日も仕事……頑張れ」
「今年の仕事もあと二日なので気合い入れてやります」
「気合いも大事だが……無理は駄目だ……ぞ」
「はい」
杏寿郎さんもだいぶお疲れの様子だ。途切れ途切れの声は段々小さくなって、言葉ではなく寝息が聞こえてきた。ちょっと顔を浮かして覗き込むと、静かに寝息を立てる杏寿郎さんにぽかぽかと気持ちが温かくなる。
「おやすみなさい」
私も寝よう。布団を顎が隠れるくらいまで上げて口に弧を描きながら目を閉じた。
目覚ましが鳴るより前に目が開く。
私がこんな目覚め方するなんて珍しい。仕事のある朝を杏寿郎さんと迎えるなんて片手で数える程度しかないから緊張してるのかな。
時計を確認したら目覚ましが鳴るまであと数分。二度寝するほどの時間もないしこのまま起きてしまおう。
杏寿郎さんを見るとまだ夢の中にいるみたいだから起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出した。
顔も洗い終わって部屋に戻ると同じタイミングで扉が開く。二人とも驚いて一瞬動きが止まって、先に通常運転に戻ったのは私だった。
「杏寿郎さん起きたんですね。おはようございます」
「……おはよう」
「どうしました?」
杏寿郎さんのテンションが目に見えて低い。怒ってはいないみたいだけど、杏寿郎さんは休みだし、もうちょっと寝たいのかな。
「もう少し寝てますか?」
「起きたら……隣にナマエが居なくて……」
「ん?」
「全部夢だったのかと焦った」
顔を見られたくないのか杏寿郎さんは私の肩口におでこをつけて腕もしっかりと腰に巻き付けてきた。あやすように背中を撫でたら杏寿郎さんはくぐもった声で小さく唸る。
「すみません、起こすのも悪いかと思って」
「ん。次からでいいから……声だけでも掛けてくれると助かる」
何この大きい甘える長男!? 朝から杏寿郎さんの可愛さで心臓発作を起こすかと思った。
瑠火さん! どうしたらこんなに格好良くて可愛い長男が育つんですか!?
爆発力満点の甘えを見せる杏寿郎さんを愛でていたいけど朝の時間は待ってくれない。杏寿郎さんも気を取り直して通常に戻ると二人慌ただしく準備を再開する。
昨日の夜コンビニで買った朝食を適当に食べて支度を終えると杏寿郎さんも家を出る支度が終わっていた。
二人で駅に向かう中、いつもと同じ景色なのになんだかいつもと違う。コートのポケットに入るはずの手は杏寿郎さんに握られて、冷たい空気に晒されているけど全然気にならなかった。
改札を抜けると逆方向の電車にそれぞれ乗り込む私たち二人の時間はおしまい。
杏寿郎さんが乗る電車が先に到着して、杏寿郎さんは私の指先を軽く握ったあとゆっくり手を離す。
「行ってらっしゃい。頑張っておいで」
「……行ってきます」
杏寿郎さんに小さく手を振ったあと、空いているベンチを見つけて腰をおろした。私の乗る電車も到着したけど一本遅らせよう。こんなニヤついた顔のまま電車に乗ったら不審者だと思われてしまう。
一緒に暮らし始めたらこんなやり取りが毎日になるってこと!? 朝の一件もあるし私の心臓持つ? 強心薬とか飲まないと駄目かもしれない。
一緒に駅に行ったり玄関で見送ったり見送られたりするんだなんて考えたら胸がギュッと苦しくなる。
そう遠くない同棲生活に淡く甘い想いを馳せていたけど、そんな感情はようやく乗った満員電車の人の波で直ぐに弾けた。
2023/02/28:初出