やうやう積もるは恋う色:11(完)

 電気の点いていない薄暗い部屋で唇を合わせては離して、また直ぐに合わせてを何度か繰り返す。私の唇から離れた杏寿郎さんの唇が流れた涙を吸うように頬に寄せられた。
「甘いな」
「甘い?」
「ああ」
 いつもよりとても抑えた声音で言うと、確かめるように目元に口付ける杏寿郎さんに恥ずかしさが込み上げてくる。
「副交感神経が働いていると……」
「ん、」
「甘くなるらしい」
 目元でちぅとわざとらしく音を立ててやっと目が合うと、杏寿郎さんはペロリと舌を出して自分の唇を舐めた。
「恥ずかしいですよ」
「俺は嬉しい」
 また唇が触れて私の下唇が甘噛みされる。同じように何度か食まれて薄く口を開けば今まで我慢していたのを埋めるように舌が入ってきた。
「……ふっ……ん」
 角度を変えて隙間なく合わさる唇に熱が全て集まっていって、杏寿郎さんの首に腕を回せばそのまま布団に押し倒されるようにゆっくり体が傾いていく。息継ぎをするためか一瞬離れて見えた杏寿郎さんの切ない顔に胸が苦しくてお腹の奥が疼いた。
 鼻から抜ける自分の音が恥ずかしくて、杏寿郎さんの体を叩くとゆっくりと顔が離れてギュッと抱き締められる。
「はぁ、すまない……事を急いだ」
 はいともいいえとも何とも返事のしづらい事を言われて、言葉ではなく抱き締めた手に力を込めて返事をする。

「何か食べるものを持ってこよう」
 私に重なるように乗っていた杏寿郎さんはさっきの切ない顔はもうしていない。私の上から退いて立ち上がり部屋の電気を点ける杏寿郎さんを掴んで止めた。
「む?」
 部屋から出ていこうとする杏寿郎さんを思わず止めてしまったけどどうしよう。ほんのちょっとの時間とは分かっているけど一人になりたくないなんて子どもみたいで言えない。
「え、と。何でもないです。引き止めちゃってすみません」
「……一緒に居間に行けるか?」
 私の意を汲んでくれて、しゃがみ込み顔を覗き込む杏寿郎さんの目はとても優しい。頷いて差し出された手を取って私も立ち上がる。
「……目に毒だな!」
「はい?」
 足元に落ちていた布団を掛けられ胸元で合わせられる。
「寝乱れているようだから直したほうがいい!」
 言われて布団に隠れた胸元を見ると少し動けば見えてしまうほどに着崩れていた。
「すみません!」
 後ろを向いてくれた杏寿郎さんに謝って急いで直していると、眠りに落ちる前に聞いた音が聞こえた。
「あ」
「ん?」
 窓辺に掛けられている風鈴に近付いて絵柄を見るとやっぱり花の絵柄だ。
「これ、桔梗……」
「ああ、この風鈴は父上が母上に初めて贈ったものらしい」
「そうなんですか!?」
「幼少時に母上に聞いてな。その時に花言葉の事も聞いたんだ」
 いつか教えてくれると言っていた、桔梗の花言葉だけを知っている由来。
「息子の俺が言うのも何だが、父上の母上に対する想いはずっと色褪せないのだろう」
 槇寿郎さんが瑠火さんへ初めて贈ったって言うことはそれこそ何十年も前のはずなのに、電気の点いた明るい部屋で見る桔梗の花は色褪せることなく、それこそ花言葉のように“変わらぬ愛”をその色と音に宿している。
「初めての贈り物がずっと残っているって素敵ですね」
 想いを花言葉に乗せて贈る槇寿郎さん、それをずっと大切にしている瑠火さん。そしてそれを自分も繋げようとする杏寿郎さんもみんな素敵だ。
 愛とか口にすると結構恥ずかしいけど、それを恥ずかしがることなく真っ直ぐ口に出来るのはみんなお互いを信じているからなのかな。
「私、勘違いしてていいんですよね?」
「どういうことだ?」
「桔梗のバッグチャームを貰った日に、もしかしてなんて期待しちゃっていたんですよ。でも期待しすぎてもなって思って。瑠火さんとお揃いに落ち着けたんです」
 いつもは杏寿郎さんからだけど私から手を握るとギュッと握り返された。
「きちんと段階は踏むつもりだ。それまでに心変わりがあるかもしれない。それでもゆくゆくはここに……贈り物ができる事を俺は信じてる」
 握っていた手を少し解いて掴まれたのは薬指。その律儀さと誠実さは杏寿郎さんらしいと思う。
「はい、私も信じて待っていますね」
「よし! この話はお終いだな! 腹が減っては何とやらだ! 母上が夕食を作って待っている」
「はい!」
 風鈴の下で交わした言葉はきっといつか現実になる。それまでお互いの信頼をより深いものにしていこう。胸を張って左手の薬指を杏寿郎さんに差し出せるように。

* * *

 杏寿郎さんと居間に向かえば瑠火さんだけが居た。杏寿郎さんに隠れるようにしている私に「体調はどうですか?」と聞いてくれる。杏寿郎さんは隠れる私を瑠火さんの前に出すと「一度自室に戻る」と言って居なくなってしまった。
 杏寿郎さんの気遣いに感謝して瑠火さんの前に座って深くお辞儀をしながら最初の問いかけに答える。
「沢山寝てスッキリしました。ありがとうございます。それと、ご迷惑お掛けしてすみません」
「迷惑なんて掛けられていませんよ」
「でも料理も書道教室も休んでしまいました」
「迷惑ではなく心配はしました」
「……ごめんなさい」
 どちらにせよ手間を掛けさせてしまったと、もう一度頭を下げた。
「一人でよく頑張りましたね」
 瑠火さんは私に近付くと優しく頭を撫でてくれるから、さっき止まったはずの涙がまたボロボロと溢れてくる。
「私は貴女の笑顔が何より大切ですよ」
 私を撫でていてくれた手が背中に回り全身を瑠火さんに包み込まれた。杏寿郎さんとはまた違う温もりが私の凝り固まったものを全部溶かすから私は謝罪と感謝を繰り返しながら瑠火さんにしがみついて本格的に泣き出す。
「ごめ、なさ……瑠火さん。ぁ、りがとう、ございま……」
「泣き虫ですね」
 笑いながら私の背中を叩いてあやしてくれる瑠火さんに、煉獄家の母の前では私だけじゃなくみんな絶対泣き虫になる。そう思いながら気の済むまで泣き続けた。

* * *

「今日は客間でそのまま泊まるのだろう?」
 泣き腫らした顔のまま胃に優しいご飯をいただき、体力も気力もだいぶ回復する。昼間と同じように白湯が出されてほっとしながら飲んでいたら、杏寿郎さんが確認するように聞いてきた。
「はい、そうさせていただきます」
「では俺の布団もそこに持っていこう」
「は?」
 私と瑠火さんが同じ顔をして杏寿郎さんを見るけど、本人は何処吹く風で気にも止めていない。
「一人寝は寂しいだろう? 安心してくれ。布団は離して敷く」
「なりません。年頃の女性と部屋を共にする事は母が許しません」
「母上、彼女とは恋仲の関係故問題ないかと。それに想いを通じ合わせた即日に手は出しません」
「当たり前です」
 布団は離すから安心とかそういう問題じゃないし、今しれっと恋人になりました報告したよね? しかも瑠火さんも何事もなくというか、当たり前のように返した?
 瑠火さんと杏寿郎さんは噛み合っているようで噛み合っていない変な話をしている。当事者であるはずの私はといえば蚊帳の外でそのやり取りを眺めていた。
「私が客間に布団を持っていこうと思ったのですが……」
 ぼーっと見ていたら瑠火さんからとんでもない発言が飛び出して私の目が丸くなる。え、もしかして今日瑠火さんと同じ部屋で寝れるってこと?
「選択権は貴女にありますがどうしますか?」
 急に私に最後の選択権が振られたけど迷うことなんかないよね?
「私、絶対に瑠火さんと寝たいです」
 その時の瑠火さんの勝ち誇った顔と杏寿郎さんのショックを受けた顔。ついでに言うと後でその事を知った槇寿郎さんが今日は瑠火さんと眠れないと、この世の終わりの顔をしていた事はこの先ずっと忘れない。

 今日は瑠火さんと枕を並べて色んな話を聞こう。槇寿郎さんとの馴れ初めとか、杏寿郎さんの小さい頃の話とか。
 そうだ、あの風鈴の話も絶対に聞こう。


 ひだまりのように心が温かくなる話を——。