― ほとおりを分け合う ―

夢本「ひだまり草子」の無配 / メイン#4で杏寿郎さんが憧れていたっていうアレをやってみる話

「行ってきます!」
「行ってらっしゃい。怪我しないようにね」
「家のことを宜しくお願い致します」
「はい、気を付けて行ってきてください」
「すまんな」
「楽しんで来てください! お土産楽しみにしています!」
「行ってくる!」
「仕事頑張ってね。行ってらっしゃい!」

 土曜の朝、玄関で自分以外の煉獄家四人をお見送りしている。
 煉獄家次男の千寿郎くんは今日から二泊三日の林間学校。
 我が家のアイドルが二日も居ないのは寂しいけれど可愛い子には旅をさせろの精神で彼を送り出す。

 千寿郎くんが林間学校に行くタイミングで槇寿郎さんと瑠火さんは夫婦水入らずで温泉旅行に行くことになった。瑠火さんと未だに温泉に行ったことのない私は槇寿郎さんが羨ましくてしょうがない。しかも今日、瑠火さんは洋服を着ていて一緒に歩く槇寿郎さんが本当に羨ましい。多分羨ましいオーラがだだ漏れで冒頭の「すまんな」っていう槇寿郎さんの言葉に続いたんだと思う。こちらこそ煩悩が隠せなくてすみません。

 杏寿郎さんも学校に行く用事があるらしく、どうせならと出る時間を合わせて槇寿郎さんが車で息子二人を学校まで送ることになった。
 四人仲良く出ていくのを手を振って見送り、しんと静まり閉じた玄関を見ていたら閉じられたはずの扉がガタガタと音を立てて開く。

「杏寿郎さんどうしたの? 忘れ物?」

 たった今元気良く出ていった杏寿郎さんが戻ってきたから忘れ物かと思いきや、腕を引っ張られてギュっと抱き締められた。
 そのままキスされるって思って目を瞑っていたら、外で槇寿郎さんが杏寿郎さんを急かすようにクラクションが一度鳴る。

「朝の忘れ物だ! 行ってくる!」

 彼が離れたのを感じて目を開けると、杏寿郎さんは唇ではなく頬に軽くキスを落とすと慌ただしく出ていって、私の発した「行ってらっしゃい」の言葉は果たしてちゃんと届いたのだろうか。

* * *

 私以外誰も居ない煉獄家はとても静かで、自分一人だけだからとお昼は適当に済ませて離れの私たち夫婦の部屋でゴロンと寝そべる。
 お昼の後は瑠火さんとお茶したり、夕食の買い出しついでにお散歩デートとかしてるから一人の時間は持て余してしまう。
 夕飯の材料は昨日の内にたくさん買ったし、今日は外に買い物に出なくちゃいけない用事もないし……正直暇だ。

 スマホをいじって読みかけの小説を開いたけどあまり内容が入ってこない。それでも他にやる事も特にないため読み進めていると、お昼後のうららかな時間はあっという間に私の瞼を閉じさせた。

 はっと目を開ければどうやら二時間くらい寝てしまったみたいで、気が抜けすぎてしまったなと伸びをしてから洗濯物を取り込でいつもより早く夕食を作ってまた一人――今度は居間で気を抜いて座り込む。
 いつもならこの時間だと千寿郎くんはもう帰ってきていてその日の出来事を話してくれて、瑠火さんの書道教室がなければ三人で一緒に夕食の準備して……。
 午前授業とかで極稀に杏寿郎さんも夕方には家に居ることもあって。
 ――やっぱりこの家は一人だと広過ぎる。

「あ、そうだ」

 ぼーっとしていたらふと閃いたというか思い出した。今日は家に誰も居ないしやるなら今日しかない。杏寿郎さんから前に聞いた“憧れている”と言っていたあれ。
 やろうと決めたらちょっと緊張してきた。杏寿郎さん早く帰ってこないかな。いや、心の準備が整うか不安だからちょっと遅くても……。でも早く帰ってきてほしい。

《今日何時に帰ってくる?》

 居間のテーブルに行儀悪く顔と腕をべったり乗せてスマホでメッセージを送る。程なくしてテーブルの上でスマホが震えてメッセージを開けばさっき送った相手からの返信が届いた。

《今学校を出たから一時間もせず着く! 帰りに何か買うものはあるか?》
《買うものはないかな。大丈夫。夕食作って待ってるね》

 あと一時間くらいか……。あと一時間待てばこの家に私をあたためてくれるひだまりが戻ってくる。
 途端にやる気の出てきた私は夕食の仕上げをしようと腰をあげた。

* * *

「ただいま!」

 玄関から朝と変わらない元気な声が聞こえて、何となく落ち着かなくて家の中をウロウロしていた私は急いで玄関に向かった。

「おかえりなさい! 杏寿郎さん!」
「ただい――む?」

 玄関で靴を脱ごうとしている杏寿郎さんを目の前に、立ちふさがるようにばっと大きく腕を広げる。気合いが入りすぎたのか足も大きく広げてしまい大の字状態。

「どうした? よもや家の中に入れてもらえないのだろうか?」
「え? お、おかえり、なさいの……その……」

 的外れなことを言う杏寿郎さんに説明するという羞恥プレイが始まりそうで今すぐ逃げ出したい。もしここに穴があれば即入っている。
 自分から行くには勇気が足りなくて手を広げたけど、分かってもらえないことは想定していなかったからどうしよう。やっぱり自分から行くべきか。
 話すより動いた方が早いと思っていたら杏寿郎さんの口角が段々上がっていくのが分かった。

「杏寿郎さん……」
「どうした?」
「口が笑ってる」
「よもやっ!」

 言われて気付きましたみたいにわざとらしく驚いて見せる彼とは反対に私の口は尖っていく。玄関でおかえりの抱擁に憧れているっていうから頑張ったのに、気付かないふりをする杏寿郎さんは意地悪だ。

「もういい。何でもないっ!」
「ナマエ!」
「……」

 背を向けようとしたら元気に名前を呼ばれて恨みがましく見れば、杏寿郎さんは笑顔だけど私はもう完全に拗ねている。杏寿郎さんはちょっと前の私と同じように手を広げているけど知らんぷりを決めた。

「おいで!」

 踵を返して台所に逃げようと思えば相変わらず満面の笑みで、名前を呼んだときと同じテンションで言われる。
 そんな言葉で私がのこのこ行くなんて思わないでくれ。無言の抵抗でじとっと見ていると杏寿郎さんは眉尻を下げて眼を細めた。

「ナマエ……おいで」

 ……その言い方はズルい。少し命令口調とも取れる言い方だけどそんなことは全然なくて、むしろ懇願に近いんじゃないかというような口ぶり。
 こうやって私から行かざるを得ない状況を作ってれる杏寿郎さんの優しさに甘えて、広げられた腕の中にポスンと収まる。

「わざと気付かない振りしてたでしょ?」
「すまんすまん、慌てる顔が少し見たかった」

 後ろの頭をポンポンと叩かれてもう少し文句を言おうとしたら腕にぐっと力が入り隙間なく抱き締められた。

「……ただいま」

 あ、なんだろうこの幸福感。いつも部屋でおかえりなさいって抱き締めているのに場所が違うだけでこんなに変わる?
 久しぶりに家でずっと一人だったから寂しかったのかな。
 どう表現したらいいか分からなくて口が変な風にわなないて、拗ねていた感情は杏寿郎さんの体温に全部溶かされ流れていってしまった。

「……うん、おかえり……おかえりなさい」

 自分からも力を入れて抱き締めれば負けじと抱き締め返されて、苦しいくらいの抱擁は心地いい。

「でもやっぱりちょっと苦しっ……」

 背中を叩けばすんなり私から離れる杏寿郎さん。ちょっと名残惜しいなんて思ったのも束の間、杏寿郎さんは拘束を緩めただけで顔を私の胸元に埋めてきた。
 甘えてくれるのは嬉しいけど杏寿郎さんは未だに靴も脱いでいない。

「今日は甘えん坊だね」
「妻に甘えて何が悪い」
「ふふ、私だけ、だね」
「ああ、ナマエだけだ」

 ぐりぐりと胸元で顔を動かす杏寿郎さんは大きな子どもだ。私も大概甘いなあなんて思いつつ杏寿郎さんの頭を撫でていたら裾から大きな手が入り込んできた。

「杏寿郎さーん、ここ玄関だよー?」
「……だがナマエにも同じことが言えるぞ?」
「何が?」

 言葉と行動が伴っていない杏寿郎さんは胸元から私を上目遣いで見上げてくる。

「“何時に帰ってくる?”なんてメッセージ、一人寂しかったんだろう?」

 さっき送ったメッセージのことを引き合いに出されてぐってなる。

「……夕食の仕上げのタイミングどうしようか思っただけだし」
「いつもいる母上が居なかったからな!」
「まあ、否定はしないけど……。でも……」
「ん?」

 一年三六五日のほぼほぼを瑠火さんはこの家で過ごしているから、その絶対的存在が居ないのは確かに寂しさを感じた。でもそれよりも……。

「杏寿郎さんに早くおかえりって言いたかった。“ここ”で……」

 恥ずかしくて顔を見られたくないから見上げてくる顔を抱き込んで杏寿郎さんの視界を奪う。
 玄関を開けて開口一番にただいまと言う言葉と彼の笑顔に、言葉だけでなく全身で応えることを私だってやってみたかったのだ。今日も無事に帰ってきてくれて良かったといち早く全身で感じたい。
 瑠火さんと槇寿郎さんが玄関で毎日これを繰り返している理由がやってみて初めてちゃんと分かった気がする。

「早く帰ってきて良かった」
「うん、ありがとう……おかえり」

 疲れている杏寿郎さんに早く楽な格好に着替えてご飯を食べてほしい。お風呂にゆっくり浸かって疲れを取ってほしいけどもうちょっとこの体温を感じたい。
 そう思っていたら抱き込んでいた腕から逃れた杏寿郎さんと眼が合い、彼は何も言わずに私の首元に唇を寄せると強く吸ってきた。

「ん」
「ご飯も食べたいんだがなあ……」

 首元に付いたであろう跡をベロリと舐めるとそのまま首、顎を伝って私の唇に到達する杏寿郎さんの唇。厚めの大きな舌は体温以上に熱を持って私の中に侵入してくる。

「ね……玄関」
「誰も居ない」
「そ、だけ、ど。っ、」
「今すぐナマエに沢山甘やかされたい」

 いつの間にか靴を脱いで上がってきている杏寿郎さんに、当然ながら私の顎は上を向いて彼から与えられるものが流れ込んでくる。裾から侵入していた手がまた動き始めたから慌ててその腕を抑えて顔を離した。

「駄目!」
「む!?」
「ご飯ちゃんと食べて! お風呂も入って! ちゃんと疲れを取って!」

 自分も仕事に忙殺されていたときがあるから分かる。食事の大事さも、リラックスして疲れを取る大切さも。
 それを怠ってしまえばどんどん余裕がなくなって悪循環が始まってしまう。流されかけた自分のことを棚に上げて怒るように言えば、杏寿郎さんは目を丸くした後裾の中から手を抜いた。

「ナマエの言うとおりだな!」

 分かってくれて良かったと思って上がり気味だった肩を落とせばくるりと反転させられて背中を押される。

「今日明日は家には俺たちだけだ。食事の準備も気張らなくていい。明日は朝も昼もコンビニか出前にしよう! というか買ってきた!」
「え? うん?」

 確かに滅多に使われないエコバッグを持っているとは思ったけどそこには明日の食事が入っているってこと? 私の背中を押しながらにこりと笑う杏寿郎さんの意図がいまいち見えない。

「さあ! そうと決まればご飯だ! 風呂も直ぐに入るぞ!」

 何で急にこんなことを言い出したんだろうという疑問は彼の言葉と行動で直ぐに解決した。

「その後存分に俺のことを甘やかしてくれ。それが俺の最大に元気になる方法だ」

 耳元で喋りながら腰をするりと撫でられて身体が跳ねる。杏寿郎さんを見上げれば笑顔だけど有無を言わさぬ圧。
 あ、これ下手したら朝方まで寝れないやつだ。お昼に意図せず昼寝をして良かったと思いつつ、この後を期待する自分に顔を赤くしていると急かすようにまた背中を押される。
 折角だし沢山甘やかして、その分沢山甘やかしてもらおう。そんな風に思いながら私たちは二人仲良く家の奥へ進んだ。

* * *

 習性とは恐ろしいもので、いつも起きているであろう時間に意識が浮上する。
 目覚ましはまだ鳴っていないけどそもそもセットしてたっけなんてぼんやりした頭で考えていれば頬を滑る温かい手。

「起きたのか?」
「うん。おはよ……。今何時かな?」
「おはよう。いつもより少し早いくらいだ。まだ寝ていなさい」
「……杏寿郎さんはいつ起きたの?」
「ナマエが起きる少し前だな。撫でていたから起こしてしまったようですまない」
「大丈夫……」

 お互い簡易的に事後処理だけして寝たから寝間着の浴衣は帯を絞めることもなく前が開いている。朝から杏寿郎さんの胸板は目に悪いと思いつつも、寝起きの頭は理性もなく手が勝手にそこへ伸びた。
 数時間前なのか、ほんのさっき前までなのか曖昧だけど散々触れていた杏寿郎さんの胸をペタペタと一頻り触っていると腕を掴まれる。一瞬で視界がぐるりと回って、目の前は杏寿郎さんで変わらないけどその向こうは壁ではなく天井が見えた。
 彼の鮮黄色の髪が重力に逆らうことなく私に落ちてきてこそばゆい。

「朝の起き抜けから熱烈な誘いを受けてしまったな」

 覚醒していなかった頭は完全に覚醒して自分が何をしていたかを遅れて理解する。
 朝からはしたないとか思われないかな。でも食事の準備も気張らなくていいって言ってくれたし、昨日沢山甘やかしたし甘えたけどもっとこの温もりを独り占めしたい。世界で私だけが享受できる特権だ。

「お誘い……した」

 身体が熱いのは寝起きでも夏の気候のせいでもないはず。まだ昨日の熱が身体に残っているよとお腹の奥が疼く。
 昨日の勢いのままに甘えてみれば、杏寿郎さんは私の言葉が意外だったのか一瞬言葉を詰まらせた。
 布団に縫い付けられていた手首から杏寿郎さんの手が外れてまた頬を撫ぜる。手の甲で撫でられる気持ち良さに擦り寄れば静かに笑う声が聞こえた。

「朝から甘えん坊だな」

 そんな風に言う杏寿郎さんの目はとても優しいけど、その奥は熱を宿して私の期待を高まらせる。

「腰が痛いのでそこはちゃんと甘やかしてね」
「……善処する」

 ほんの少しの間に一抹の不安を覚えたけど、お互いお腹が空いたと言い出すまでまた隙間なく甘い熱を分け合った。

初出:2021/08/07


ほとおりを分け合う:火照り(熱)を分け合う