― これはただのきっかけ ―
鬼殺軸/年上幼馴染 「#いいねの分だけ推しに媚薬を飲ませて1時間しないと出られない部屋」で36本飲みました
「さて煉獄さん? 何故任務のあと直ぐに来られなかったのでしょうか?」
胡蝶に腹を強く圧されて息が詰まった。
「この程度ならば胡蝶の手を煩わせるまでもないと判断したんだ。申し訳ない!」
蝶屋敷の診察室で目の前に座る胡蝶は溜め息をつきながら圧迫する力を弱め、触診を続ける。
「骨に異常はなさそうですね。ただ……この痛みの原因となっている痣がなくならない、と」
「血鬼術をくらってしまったやもしれん。毒霧のようなものを吐く鬼だったから気付かない内に吸っていた可能性がある」
「……可能性が万に一つでもあるなら尚更何故診察に来なかったのでしょうね?」
「すまん! 返す言葉もない!」
「はあ……」
十中八九治りの遅い原因はそれだと、胡蝶が小言を始める前に謝ればまた溜め息をつかれてしまった。
「どれくらいで回復するだろうか?」
「鬼は斬ったので徐々に血鬼術は解ける筈ですが……煉獄さんはあまり毒に耐性がなさそうですから長引いているのかもしれませんね」
「むぅ……」
音柱の宇髄と違って、毒を馴染ませ耐性をつけるようなことはしてこなかったことがここに来て仇となってしまったか。
しかし過ぎたことを考えても仕方がない。それにそれを解決するためにこうして蝶屋敷に来たのだ。
「人体の内部機能に関わる薬は西洋医学だとまだあまり確立されていないんです」
「む?」
「ですが東洋医学であればもしかしたら……」
「治す方法があるのか?」
「効果があるかどうかは分かりませんが試す価値はあるかもしれません」
「早く治るのならば何でも試す!」
このまま指をくわえて血鬼術が解けるのを待つよりも、何かできることがあるならば何でも試す。
血鬼術が解けるのを待っている間にまた鬼が現れ、自分が戦力にならないという事態だけは避けたい。
「実験として使っても構わない」
どういった反応が出るか分からないからとためらう胡蝶にそう言えば、もう何度目とも分からない溜め息をつかれた。俺の視線に根負けした胡蝶は渋々といった様子で棚の後ろから大きい瓶を一つ出してくる。
「なんだこれは?」
診療録のある机に置かれた瓶の中にあるものは植物なのだろうか?
「これは身体の血の巡りを促進させる効果のある植物です。私たちが使っている呼吸に似た作用ですね。ただこれは血の巡りを促すだけあってあらゆる神経が活性化されます。現在把握できているものとして触覚、嗅覚の引き上げ、そして催淫作用と極稀にですが素直になるとの報告もあります。それと……」
「ちょっと待ってくれ。催淫、作用……? 素直になる?」
胡蝶の止めどない説明に聞き捨てならない単語が聞こえ思わず待ったをかける。
「自白効果ですね。催淫作用はご存知ありませんか?」
「知っている、が……」
「ですよね? これは自供させるための拷問だったり、遊郭などで精力剤の原料として使われているものです」
「自白効果もあるのか」
「いいですか? これは原料です。一切の不純物は含まれずその効果も高く出ます。それでも飲みますか?」
出るかもしれない、だが出ないかもしれない。ならば迷うことなどなにもない。
「構わない」
「……分かりました。そうしたら準備に1、2日程時間をください」
「む!? 今すぐではないのか?」
「これをそのまま丸かじりでもするおつもりですか? すり潰して粉にしたりする手間があるんですよ」
胡蝶の言葉がまた棘を含み始めたので慌てて口を閉じた。こういうときの胡蝶には口を挟まないほうがいいと宇髄に教わっている。
「服用する際ですが、この蝶屋敷ではなく煉獄さんのご自宅か人払いした藤の家紋の家、もしくは拠点としている屋敷にしてください」
「相分かった」
「……服用する場所に疑問は持たないのですね」
「副作用が大きく出てしまっては困るからな!」
「賢明なご判断ありがとうございます」
もし仮に副作用が出てしまったら周りの人間に迷惑をかけかねない。胡蝶もそこを懸念しているのだろう。一人ならば己が耐え抜けばいい話だ。
「ところで胡蝶は階級乙のナマエを知っているだろうか?」
「ナマエさんですか? 彼女はよくここに遊びに来るので知っていますが……」
「そうなのか! ナマエと共同で使用している小さな平屋があるからそこにしようと思う。日にちが決まったら鴉で教えてくれ」
「ナマエさんと、ですか? 確か幼馴染みなんでしたっけ?」
「ああ。幼少時から共に切磋琢磨してきた」
「あら、共同で家を使うなんて仲がいいんですね」
「む? そう、だな? 昔から変わらぬ関係が今も続いている」
胡蝶にしては珍しく踏み込んで聞いてくることに疑問を持つが、話題に出した一つ年上の幼馴染みのことを想うと肩の力が抜けた。
「小さな厨や厠はあるが客間と寝所しかない家だ。だが寝泊まりするだけなら十分だと二人で決めたんだ」
そうだ、あのときは二人でお互い譲れない部分と妥協できる部分をすり合わせながらいろんな空き家を探したな。彼女は厨と厠の有無を、俺は部屋の配置をとそこまで古くもない記憶だが懐かしくなる。
「……分かりました。準備が整ったら必要なものは全てそこに運ぶようにします」
「うむ! よろしく頼む!」
改めてよろしく頼むと頭を下げて蝶屋敷を後にして、そのまま俺はナマエと共同で使用している平屋へ向かった。
ここは直接会えずとも彼女との繋がりを感じることができる大切な場所だ。
何か必要なものがあれば今日のうちに準備しておこうと足を踏み入れると、つい最近ナマエが使ったような形跡が残っている。
「もう少しマメに来るか……」
もう何日か早ければナマエと邂逅できたのだろうかと残念に思い小さく本音が漏れた。
次の日、珍しく何をするのでもなく街を歩き、蕎麦を食べて戻ってくると折良く胡蝶からの鴉が飛んでくる。文には準備が整ったから明日薬を届ける旨が書かれていた。
今日は残りを部屋で座禅でも組んで精神統一を図ろう。
俺は了承した旨を胡蝶の鴉に託した。
朝、いつもどおりに目を覚まし顔を洗う。ナマエがこだわった風呂場は狭く小さな作りだが使い勝手がよく、彼女に選んでもらって良かったと思った。任務ではないが念の為隊服に着換える。
明かりを取り入れるだけの客間にある小さな窓は換気できるようにはめ殺しにはなっていない。
腰の位置より上に備え付けられた窓から外を見ていると家の扉が開く音が聞こえた。
「入るよー」
こちらの了承もなく我が家のように入ってくる人物の気配に内心焦る。今日、というか今ここに来られるのは状況が悪い。どうにかしてごまかす方法を、と考えている間にも玄関から距離のない客間の襖が開いた。
「!」
部屋に入ってきたのは予想どおり共同でこの家を使っている一つ歳上の幼馴染み――更に個人的なことを言うなら積年の想いを寄せているナマエだった。
私の鎹鴉が蝶屋敷からだと文を届けてきたのは昨日の夜のこと。
炎柱を治療するので手伝ってくれと書かれていた文を握りしめ私は蝶屋敷に急いだ。医療の知識もない私に手伝いの要請が来るなんて蝶屋敷が余程忙しいのか、それとも炎柱――杏寿郎に何かあったのか。嫌な想像ばかりが膨らむのを堪えてとにかく走った。
「すみません、わざわざ呼び出してしまって」
「丁度任務も来ていなかったし構わないんだけど……」
文にあった感じだと杏寿郎がいると思ったのに、通された蝶屋敷の診察室にはしのぶさんしかいない。
「ところでしのぶさん」
「はい?」
「なんで私がきょ、炎柱の治療の手伝いって……何か重篤な感じなの?」
診察室に通されるまでに、蝶屋敷は私の手が必要な程忙しそうだとは感じなかった。
「貴女は柱である煉獄さんを殴れる数少ない人物なので」
「……はい?」
しのぶさんの言葉の意味が分からなくて、疑問符を投げかければ彼女お得意の笑顔が返ってくる。
「煉獄さんには薬を飲んでもらうのですが、少しばかり厄介な副作用が出るかもしれないんです。なので、彼がそれに耐えられなくなったら助けてあげる方が必要なんです」
副作用ってどういうこと? 杏寿郎がそれに耐えられなくなるって相当じゃないの?
「え? それなら女の私より音柱とか風柱とか適任がいると……」
「柱はみんな任務で出払っていまして。それに今回は煉獄さんにとっても貴女が適任なんです」
「はあ……」
疑問は際限なく浮かぶけれど、しのぶさんの“ここに来た以上断ることは許さない”とばかりの圧力を感じて是も非も言えずにいる。
「殴るか助けるかは貴女にお任せします。どちらにせよ貴女にしかできないと思っていますので。半分は私のお節介もありますがそこは気にしないでください」
「うん? ん?」
後半が早口でよく聞こえなかった。表だった言葉以上に隠された意味を測りかねて、どう深読みしていいか分からない。
「準備できるのにも限界があって、飲んでいただく薬を液体にできたのはこの31本です。残りは粉末にしてこの紙に包んだので水か湯で溶かして飲んでください」
私が杏寿郎の面倒を見るのはもう決定事項なようで、しのぶさんの説明を理解するのに精一杯な私ははい、はいと生返事をしていく。ひと通り説明が終わったところでやっと口を開くことができた。
「あの、ちなみに当の本人は?」
「貴女と共同で使用しているという家にいます。今日はそちらで過ごしてください。薬を全て飲み終わってからそうですね……、半刻は必ず同じ部屋で様子を見てくださいね」
「え? ここにいないの? 半刻ってそんな急に容態が変わったりするの? そんなの飲んで大丈夫?」
「きちんと煉獄さん御本人にも伝え済みで、それでも早く治るなら飲むとおっしゃいました」
「……そう、なんだ。ちなみにどんな効果があるの?」
「痛みが早く治ります」
「えーと、副作用は?」
またもやにこりと笑顔を貼り付けたままのしのぶさんに、聞き出すのは無理だと判断した。
「きょ……、煉獄さんに聞きます」
「賢明ですね」
机の上には大量の小瓶と薬包が一つ、それと水差しが準備されているからこれからしのぶさんと行くのかな。
「ではよろしくお願いします」
「はい?」
どん、と薬が入った箱を押し付けられ成り行きで受け取ったけどどういうことなのか理解できない。
「え、しのぶさんも行くんじゃないの?」
「私はこれから任務があるので」
「そしたら別な日でも……」
「煉獄さんは一日でも、一刻でも早く治したい様子でしたよ?」
「ぐっ」
本人が治したいって言っていて準備が整っているのに先延ばしになんてできないじゃない。
しのぶさんにうまく誘導されている感が否めないけど、ここは腹をくくるしかない。
「容態が急変して対処不能になったら鴉を飛ばします」
「あ、大事なことを言い忘れていました」
まだあるの?
「煉獄さんのお名前、私の前では無理して訂正せずとも呼び慣れた名前で言っても大丈夫ですよ」
杏寿郎って名前呼びしそうになるのを名字にしていたのはお見通しのご様子だ。
「……善処します」
「はい、よろしくお願いします」
しのぶさんの色んな意味を持った笑顔に送り出されて目的の家に向かいながら、つい最近も使った家で久し振りに杏寿郎に会えるんだと考えて、ちょっと楽しみになってしまう。
飲み薬での治療なら外傷ではないだろうと呑気に家に入れば、驚いた顔をしている杏寿郎と目が合った。
「ナマエか! 久し振りだな! 息災か!?」
「久し振りだね。この通り元気だよ!」
「今日は此処に休みに来たのか?」
心なしか動揺している杏寿郎に、もう少し様子を見ようと気付かない振りをして部屋の机に持ってきたものを置いてそのまま座る。
「今日はね、しのぶさんに頼まれて杏寿郎が飲む薬を持ってきたんだよ」
「そうか。それは手間をかけた。ありがとう!」
箱に詰めた薬の小瓶を手際よく出しながら、改めてこれ全部飲むの大変だななんて考える。杏寿郎も机の向かいに座ってその様子を眺めていた。
「多くないか……?」
「これ全部と、この薬包に入ってる薬を溶かして飲めって。あと言われたのは飲みきって最低半刻は部屋から出たら駄目だって」
「う、む。分かった! 態々運んでもらってすまない、感謝する」
「どういたしまして」
机の上に出した小瓶を眺めているだけでいつまでも手を出さない杏寿郎は居心地悪そうにしている。
「……帰らないのか?」
「うん、帰らない。っていうかこの家、私の家でもあるし」
「む、そうだな。言い方を違えた、すまない。今日は任務はないのか?」
「来てない」
「ならば休息した方がいい! 俺のことは気にするな」
「……邪魔ってこと? いつもより歯切れ悪くない?」
「いや違う! 邪魔などではない!」
「薬の副反応が出るかもしれないからお目付け役も兼ねているんだよね」
「そ、う、なのか……」
「私がいて飲みにくいなら後ろ向くし。ここで押し問答しても意味がないからさ……」
一先ず準備された小瓶の蓋を開けて杏寿郎に渡すと素直に受け取ってくれた。
意を決したのか喉仏を動かし一気に飲み干す杏寿郎を眺めながら、邪魔だと追い出されなくて良かったと安堵する。ここで私ができるのはこうやって薬を渡すのと杏寿郎の状態観察くらいだ。
こと、と音を小さく立てて机に小瓶を置く杏寿郎は眉根を寄せて何か呟いている。
「どうしたの? 不味い?」
「美味くはないな!」
「あはは、薬だからね。良薬口に苦しって言うくらいだから」
「むぅ……」
せめて携帯食の干しいもでもあれば気が紛れたんだろうけど、生憎今日は持ち合わせていない。
頑張れ、という意味を込めて次の瓶の蓋を開けて渡せば素直に受け取る杏寿郎によしよし、と頭を撫でてあげた。
「なっ、」
「薬嫌がらずに飲むようになったなって思って」
「いつまでも子どもではない」
「そうだね……」
そうだよね、いつまでも子どものままじゃないよね。
杏寿郎はいまや立派な柱だし、私といえば付かず離れずの距離が居心地良くて未だに長年の想いが心の奥で燻っている。私の方が子どものままだ。
「ナマエ?」
どうした? と覗き込んでくる杏寿郎にはっとした。今はそんな私的なことを考えている場合じゃない。
「じゃあ大人の杏寿郎頑張れ! 体調に異変が起きたら直ぐに言うんだよ。その為の私だからね」
「……」
このときの私の発言はすごく無神経だったと後々思い知った。
最初は任務の話だったり、お互いの家の話をして緩やかに時間が過ぎる。10本ほど飲み切ると杏寿郎は口数を減らして呼吸を整えているようだった。
「呼吸使ってるけど大丈夫? 少し休もうか」
「……いや、大丈夫だ。……思いの外不味くてな」
そういって笑う杏寿郎に次の小瓶を差し出すと、彼はごくりと唾を飲み込む音が大きく聞こえる。それから勢いに任せて3本一気に飲み干し、口端から垂れた液体を雑に手で拭った。
その仕草がなんというか……とても艶めいている。
「ん? どうした?」
「な、なんでもない! そうだ! そういえばこの薬の副作用ってどんな症状なの? しのぶさんから聞きそびれちゃって」
「……体温が上がると聞いている」
そう簡潔に言いながら杏寿郎は次をくれと手を差し出してくるので小瓶の蓋を開けながら渡した。
空いた小瓶は15本、時間は半刻経つか経たないかくらいが経過している。
杏寿郎は時折呼吸が乱れ、歯を食いしばってはいるけれど、力が入り過ぎて歯が軋む音がしていた。額には筋がいくつも浮かび大粒の汗がそこを伝ってボタリと床を濡らす。
「ねえ、副作用やっぱり辛いんじゃないの? 落ち着けるために少し横になった方がいいんじゃない?」
「……いや、なるべく時間を置かずに飲み切りたい」
「でも……」
「そろそろ粉の方を水に溶かす準備をしてもらってもいいだろうか?」
苦しい顔をひた隠しにしてにこりと笑う杏寿郎に近付く。手拭いで目に見える汗を拭いていると杏寿郎はますます息を荒くして私から距離を置こうとするから腕を掴んだ。
「っ!」
「ほら! すごい汗かいてる。はい、この手拭いで汗拭いて熱いなら隊服も脱いで! 汗が引いて風邪引くとまずいから火鉢に火を入れるからね」
いいよね? と確認の意味を込めて覗き込むと杏寿郎ははっとした顔で呼吸に集中し直す。
「手をかけてすまない。大丈夫だから……」
大きく息を吐く杏寿郎の顔はさっきから変わらず苦しそうで、それなのにやっぱり艶めいているから私はまた何を考えているんだと頭を振りながら杏寿郎から離れた。
「粉の方準備するから、小瓶の方は自分で開けられる?」
「む、さっきも言ったがもうそんな幼子ではない」
私の方が一つだけだけど年上ということもあってこうやって世話を焼こうとすると、杏寿郎は決まって不機嫌になる。そんないつもと変わらない返しをする彼にほっとしながら火を入れた火鉢に五徳を置いて薬缶に水を入れた。
粉なら少しでも熱した湯の方が溶けやすいだろうと思って徐々に赫くなっていく炭を見ながら薬包を手に取る。確かこの薬包一包分で小瓶5本分って言ってたなと思い出しながら薬包をそっと開けると、一舐め……ニ舐めもすればなくなりそうな粉の量。
え、こんな少量なのに小瓶5本分なの?
不味いって言ってたし水で薄める前はどんなに苦いのかと思って、じゃあ匂いはどうなんだろうと興味本位で鼻に近付けたのが間違いだった。
「ナマエ、少し熱いから窓を開けてもいいだろうか?」
外に出るなと言われたけれど換気をするなと言われてないから汗をかいている杏寿郎が窓に手をかけている。
駄目――という私の言葉は間に合うはずもなく、窓は外気を一気に部屋に舞い込んだ。
「っ! げほっ、んん! ごほっ」
外の冷たい風は部屋に溜まったぬるい空気を入れ替えるように中に吹き込んで、私の鼻元にあった薬はあっという間に顔にかかる。
「! すまない! 熱さで判断が鈍っていた!」
杏寿郎が慌てて窓を閉めるけど私は薬包の粉末をほとんどといっていいほど鼻と口から吸引していた。
「ちょっと、ごめっ、鼻に入って……水……」
鼻水が垂れそうな感覚にそんなところは見せられないと、杏寿郎に背中を向けて水をせがむ。
「これを」
後ろ手に水を貰って一気に飲み干す。鼻に入った粉末はどうしたらいいのか分からなくて、くしゃみやら咳やらしながら喉奥に入れたり出したりしてみた。
「……っん、ありがと」
とりあえず鼻水は回避できそうだ。まだ苦しいけれど、涙目になりながらようやく杏寿郎に顔を向けられる。
「これ、確かに美味しくはないね」
口端に残っていた粉を指で掬って味を確かめながら感想を言ったら勢いよく肩を掴まれた。
「飲んだのか!?」
「えっ? だって鼻とか口に入っちゃったし……」
「大丈夫か!? 身体に異変は!?」
「だ、大丈夫だよ……。この薬、美味しくも不味くもないけど後からドロっと甘くなるね」
場を和ませようと次の感想を言いながら喉に絡みつくような甘さに舌を出すと、艶めいたどころではない獰猛さを伴った眼が私を捉える。
「杏、寿郎?」
「っ! すまない! なんともないならそれに越したことはない」
見間違えたのかと勘違いするほど獰猛さは一瞬で鳴りを潜めた。杏寿郎は私から目を逸らして、なるべく距離を取るようにして会話もせずに自分で小瓶を開けながら薬を飲んでいく。
残り1本となったところで、やけに喉が渇くから水を飲もうと立ち上がった瞬間、さっき吸い込んだ薬が身体を巡り熱が一気にあがる感覚に背筋が震えた。
熱いはずなのに身体が震えるってどういうこと? 風邪のような、でも明らかに風邪とは違う感覚に更に喉が乾く。
「きょう、じゅ……ろ……。これ……本当に……」
薬なの――熱い息の塊だけが口から漏れてその言葉がうまく発せられない。
胸元を押さえてしゃがみこんで呼吸を整えようとするけど頭がぼんやりとしてうまくできない。
「っん! や、だ……何?」
少しでも呼吸を整えるのをやめようとすれば身体が――疼くような痺れる感覚に、肌の触覚が過敏になっているのが分かった。
「ナマエ!」
そんな私の様子の変化に気付いた杏寿郎が最後の1本を飲み終えた小瓶を投げ捨てて私の元に駆けてくる。
「これ……、この、副作用って……」
私の予感が間違っていなければこれは――。
「血の巡りを早くして自己治癒力を高める、が……催淫作用と若干の自白効果が出る」
やっぱり。この火照りはそこから来るものだ。
「なんでそれを先に……いや、今は過ぎたことだしいいや。それよりもごめん、私呑気に頑張ってとか言っちゃっ、てっ、はぁ」
「いや、俺こそ初めにしっかり伝えておけばよかった。不甲斐ない」
杏寿郎は私より量を飲んでいるはずなのに声音はしっかりしていて、やっぱり柱たる人は違う。私と階級が2つしか違わないのにその差は雲泥より大きい。
「杏寿郎は……、さすが、だ、ね。落ち着いて平気、な――」
大きく呼吸を整えて杏寿郎に凄いと言おうとして目を合わせると、赤に金環を縁取った瞳は獣のように獲物を狙う目つきに身体が震えた。さっき見たあの獰猛さは見間違いじゃない。
「よもや……。平気だと、思うか?」
「きょ……」
しゃがんだままじり、と距離を詰める杏寿郎に本能で身体が後ろに下がる。
「はぁっ、そもそもが己の失態から始まった話だ。ナマエを巻き込んでしまって申し訳ない」
私の反応に杏寿郎は近付くのをやめて自分の眉間を押さえる。
「そんな状態で外に出てほしくない、が同室にいるのも嫌だろう。だからせめて……副作用が抜けるまで寝所で待機していてくれないか」
私に背を向ける杏寿郎に待ってくれと手を伸ばそうとすると、杏寿郎は部屋の奥ではなく入り口に向かって歩き出した。
「女性を部屋の外に追い出そうなど不躾が過ぎた。俺が寝所に行く。布団もこちらに持ってくる」
「駄目っ!」
震える足に鞭を打って杏寿郎の後ろの隊服を掴んで動きを止めれば、彼は足は止めたけどこちらを向いてくれない。いつもなら「どうした?」って笑顔で目の高さを合わせてくれるのに。
「ぁ……、しのぶさんから……全部飲み終わっても最低半刻は様子を見て……って言われ、て、るから」
「……」
「だからまだ、部屋から出ちゃ駄目」
「っぐ、この状況が分かっているのか!?」
杏寿郎は急に振り向いたかと思えば私の肩を掴み、背中に強い衝撃が走る。
「ぃ、た」
「ナマエにっ……っ、こんな醜態を、見せたくないっ」
床に押し倒して私を見下ろす杏寿郎は今まで見たことのない顔をしていて、額から落ちてくる汗が私に伝うたびに身体が、お腹の奥が疼く。
これが催淫の効果だというなら、私の何倍も飲んでいる杏寿郎は今どんな苦しみに襲われているんだろう。
少し考えれば分かるはずなのに、柱だからなんともないなんて勘違いも甚だしい。
――どちらにせよ貴女にしかできないと思っていますので。
しのぶさんの言っていた意味をようやく理解した。こんな表情はどんなに仲のいい隊士の前でもしないはずだ。そして同時に思う。この表情を他の柱に――女性にも見せてほしくない。
浅ましくもそんな考えをしてしまう自分に嫌気がさしながらこみ上げる涙を拭って杏寿郎を睨むように見た。
「“こんな”って何? 杏寿郎にとっては“こんなこと”かもしれないけど私にとっては杏寿郎の怪我が治らなかったらどうしようかと泣きたくなることだよ」
「ナマエっ、」
「醜態がどうとか、今更でしょ」
肘を床に付けて杏寿郎が近付く。金に朱を混ぜた毛先がふわりと顔を掠めて息を飲むと耳元で乞うような言葉が聞こえた。
「穢したく、ないんだ――」
鼻のくっつく距離で眼が合う。少しでも動けば触れる唇に、息を飲むと杏寿郎は勢いよく体を起こした。
「薬はすべて飲んだ! これから半刻、俺は耐える。だから、そんな顔をしないでくれ」
私は一体どんな顔をしていたんだろう。眉尻を下げる杏寿郎はそれだけ言うと私から一番距離を置いた場所に背中を向けて座った。
――時計の短針がくるりと一周するのをぼんやりと眺めている。
お互い同じ部屋にいるのに何も喋らない、声もかけないなんて産まれて初めてじゃないかという程で、息遣いだけが響く部屋はこんなに辛いと思わなかった。
「……時間だ」
壁に背中を預けているとぽつり響いた言葉。
「動けるか?」
私に背を向けたままで話しかける杏寿郎に「難しいな」って小さく返す。杏寿郎は立ち上がると部屋の襖に手をかけた。
「すまないがナマエは今日はここで過ごしてくれ。俺は寝所で過ごす」
私の方を一度も振り返ることなく、手早く部屋から出ていく。杏寿郎を見送ると私は緊張の糸が切れてそのまま横になった。
私が薬を飲んでから、杏寿郎が部屋を出てからどれくらい時間が経ったんだろう。窓から見える外の暗さと時計を見れば一刻以上経っているのに、薬の効果が抜けない。
即効性だから抜けるのも早いと思っていたのに、持続性まであるなんてとんでもなく厄介な薬だな。
明日の朝には抜けてるといいな、というか、この状態で寝れるのか心配になってきた。全然熱が治まらない。
部屋に一人残されて、いつ効果が無くなるとも分からない熱を身体の中で持て余しながら部屋から出ていったときの杏寿郎を思い出す。
あんな顔をさせたいわけじゃなかった。私のことを想って言ってくれた言葉に牙を向くようなことを返して、きっと軽蔑された。莫迦だな私。
身体の熱で思考も後ろ暗くなって、よく分からない涙が出てくる。隊服の上着を脱いでシャツになればしっとりと汗が肌に貼り付いて気持ち悪い。
溶けたい。あの粉末みたいに溶けてなくなってしまいたい。
「……ナマエ」
身体を小さく曲げて耐えていると、部屋の外で静かに私の名前を呼ぶ声がした。襖から一番遠い場所に居るのに耳に反響する声はそれだけで脳の回転を鈍くしていく。
耳を塞いでも声は届いてきて、彼が発する私の名前に身体が震える。声のする方へ誘われるように腰が浮いてよつん這いになりながら身体が扉へ向かう。駄目だ、行ってはいけない。杏寿郎が「穢したくない」って距離を置いてくれたのにそれを無下にしてはならない。彼の高潔な想いを踏み躙ってはいけない。
理性はそう叫ぶのに身体は本能に従って、私たちを隔てる一枚の襖に手をかけた。
「っぐ、何故……出てきた」
杏寿郎は隊服から着流しに着替えている。合わせ目は緩くなっていて、そこから覗き見える鍛えられた体躯に視線が行ってしまう。
「じゃあ……杏寿郎は……何で、来た、の?」
もう身体が熱くて仕方がない。触りたい。触れられたい。熱を分け合いたい。
彼の顔を認めた途端に涙が止めどなく溢れて感情の制御も効かない。
「……不甲斐ない」
杏寿郎は力が入っているのか掴んでいる指先で襖に穴を開けている。
「……しのぶさんからは、杏寿郎を助けてって言われたの。でもしのぶさんの言葉がなくても、こんな状態の……杏寿郎を助けられるのは……私だけでいたい、よ」
足を踏み出し杏寿郎の襟元に縋り付く私は真っ直ぐ顔を見れなくて、でもどうしても言いたいから震える手に力を入れた。
「私を助けてくれるのは杏寿郎がいい。ずっと好きだったの……」
言わないでいようと思っていた言葉が薬の力なのか途切れ途切れに出てくる。
拒否されれば私たちの幼馴染みの関係はきっと戻らない。それなら姉でもいいから杏寿郎の懐に入れる場所に居たかった。
ずずっと鼻を啜ると上から吐息とともに少し低くなった声が降ってくる。
「俺は……」
襟元を掴んでいた手に杏寿郎の手が重なった。
拒絶の言葉が怖くて杏寿郎の次の言葉が出てくる前に保険をかけるように口を開く。
「二度と言わないからこんなこと。全部薬のせいにして、薬が抜けたらまた明日からただの幼馴染み――ただの鬼殺隊の仲間に戻るから……だからっ!」
だから今だけは拒絶しないで――。ギュッと目を瞑っていたら重ねられていた手が私を包んだ。
「そんな、今日限りだと言わないでくれ」
襖に穴を開けていたとは思えないほど私を包む手は弱く震えている。
「俺もずっと慕って――ナマエを好いているんだ」
杏寿郎は一度私から離れると灼けるほど熱を持った手で私の頬をするりと撫でる。
想いが通じ合った嬉しさと、いつまでも冷めない薬の熱で無言でこくりと頷けば性急に腰が引き寄せられた。
「ぅむ、ぁ、はっ……」
隙間を許さない初めての接吻は、薬の後味よりも甘くどろりと私の脳内を侵食して、はしたないと思っても舌を絡める行為が止められない。
顎を片手で固定され空いた手は私の身体の線をなぞるようにまさぐり、シャツの隙間から入ってくる杏寿郎の手に肌が粟立ち縋るように身体を預けた。
気持ち良い。自分以外の――好きな人の手が肌に触れるだけで気持ち良いならこの先はどうなってしまうのだろう。
考えただけで杏寿郎に回した手に力が入る。
息が続かず少し顔を離せば名残惜しいというようにお互いの口から舌が出たまま銀糸を繋げていた。
部屋から漏れ出る灯りに照らされたそれに目を奪われていると身体が浮遊する。
「ぅえ? わ、」
杏寿郎が私を横抱きにして移動しようとしていて、ここは部屋の入り口だったと思い出した。
場所もわきまえず恥ずかしいと手で顔を覆っていると、私を抱く杏寿郎の手がやわりと動くから小さく声が漏れて更に恥ずかしい。
「いっとう優しく触れたいが……次に持ち越すので今日ばかりは許してくれ」
言外に今日だけじゃないと言われて身体と心がぞわりと反応する。杏寿郎はそのまま長くもない廊下を進み、寝所としている部屋の前で止まった。
「ナマエが、ここの部屋を開けてくれるか?」
これは杏寿郎からの最後通告だ。薬の効果で苦しいのに、逃げ道を作ってくれる年下なのに何処までも私に優しい杏寿郎に愛しい気持ちが溢れてくる。
横抱きにされた体勢から身体を少し起こして迷うことなく襖を開けて杏寿郎を見れば瞳の縁がゆらりと揺らめいていた。
杏寿郎は唇を私の瞼に一つ落とすと無言のまま開けた部屋に入っていく。
――タンッ。
理性が残っている耳に響いたのは、杏寿郎が行儀悪く足を使って部屋の襖を閉める音だった。
初出:2021/12/31
正確には出られるけどこの状況と関係性を考えるとそう言われたら出なさそうだなって