― 月がとても丸いから ―
私の勤めるキメツ学園は教師陣の持ち回りで宿直当番の制度がある。
この学園に赴任して一年以上経つし、初めてではない宿直当番だけど夜の学校はやっぱりちょっと怖い。
「ひとりでーもーこわくなんてーなーいーさー、おばけなんてーおばけなんてー……」
適当に考えた歌を暗い廊下に虚しく響かせながら最後の教室を確認し、腰に手を当てた。
「校内はー、異常なし!」
大きく声を張って、暗い廊下の不気味さを紛らわすように自分の足音を態と立てて小走りで戻る。
宿直当番なんて一人じゃなくて誰かとペアにすればいいのに。そうすれば憧れの煉獄先生とペアになってあわよくば仲良くなれるかもしれない。
「はぁー、煉獄先生ってなんであんな格好いいんだろ」
私より数年早くこの学園に赴任している煉獄先生は科目は違うけれど授業の進め方のアドバイスをしてくれたり、事務作業を手伝ってくれる頼れる先輩だった。
ある日飲み屋で泣き言を言って励ましてもらってから、頼れる先輩から格好いいアイドル的存在に変わる。授業で騎馬戦をしていると聞けばこっそり覗きに行ったり、気付けばもう目で追う人になってしまっていた。
煉獄先生談義はよく生徒たちと盛り上がる。授業中の笑えるエピソードとか、昼休みに男子生徒と一緒に遊んでいる様子とか色々。
それを他の女性の先生たちに話したら苦笑されてしまった。元気がありすぎて生徒と同じに見えるらしい。
私には年上の一人の男性なんだけどな。
怖く感じる校内も煉獄先生のことを考えながら歩いていたらあっという間に宿直室が見えてきた。
お腹空いたし宿直室に戻ったらスマホでドラマでも見ながらご飯食べよう。
あと数歩で宿直室の扉に手が届く所で体が強張って足が止まった。
なんで宿直室から電気の光が漏れてるの? 見廻りに出るときに電気消し忘れた?
いや、消し忘れはこの際どうでもよくて、それよりも問題なのはなんか人の気配がする……気がする。
さっきとは真逆に足音を殺して一歩、また一歩、宿直室に近付いて気配を探った。
――やっぱり誰かいる。
扉の向こうから聞こえる物音に息の塊が漏れた。
無理むりムリ。不審人物とか侵入者とかだったら私一人で立ち向かえる自信ない。
スマホは手元にあるし、一度他の先生に連絡しよう。
男性の先生の方がいいかな。悲鳴嶼先生ならきっといい解決方法を導いてくれるはず。
本当は煉獄先生に連絡したいけど悲しいかな連絡先を知らない。
こんな時にまで煉獄先生に近付く口実を考える自分の能天気さに呆れていたら扉の摺りガラスに人影が落ちた。
嘘でしょ?
咄嗟に“何かあったらコレを”と渡されていた大量の札を握りしめ、扉が開くと同時に目を瞑り大きく腕を振りかぶる。
「ぎゃああああっっっっ! 悪霊退散!! あっち行けーーーーー!!」
「んぐっ!?」
「えっ!?」
見事な掌底が決まったとともに聞こえたのは私の好きな人の声だった。
「確かめもせずお聞き苦しい叫びをすみませんでした」
「腹から出ていていい声だったぞ」
夜の学園に自分以外の人が居るとは思わなかったし、しかもまさかそれが憧れの煉獄先生だったなんて。
自分の失態に謝り項垂れながら、顎を
「校内巡回が終わったなら一息入れよう」って言われて付いてきているけどどこに行くんだろう。
「この先って屋上ですよね?」
「ああ、月見でもしようかと思ってな」
「月見ですか?」
「今日は仲秋の名月なんだ」
「じゃあ今日は満月なんですね」
階段を上がる煉獄先生は学園の近くにあるコンビニの袋を持っていて、ズボンの後ろのポケットには私がさっき使ったお札が入っている。
これってもしかして逢引? なんて失態を犯したことも忘れて呑気に考えていたら扉の鍵が開く音がした。
「この辺りだと屋上が一番良く見え――っっっどっっっ、せい!」
煉獄先生が扉に手を掛けたと同時に叫ぶから自分に都合のいい下心を見透かされたのかと思って体が跳ねる。
「な!? なんですか!? どうしました?」
「いや? そうだ、月見用にここに来る途中のコンビニで団子や食べるものも買ってきたぞ」
いやいや、今絶対何かあったじゃん。話を不自然に止めて扉の先にある何かに向かって何かしてたじゃん。
気にはなるけどそれ以上は怖くて聞けない。だって煉獄先生が持っていたはずのお札が消えている。
「どうした?」
「は、花より団子ならぬ月より団子になりそうですね!」
「それもまたいいだろう」
知らぬが仏という諺もあるし、今日も学園に異常はなく平和!
仕切り直しとばかりに屋上に出る扉を開け放ち、あからさまな話題逸らしをする煉獄先生に乗ることにした。
雲一つない空に浮かぶ真ん丸な月は、思っていた以上に近い場所で大きく存在感を放ちその荘厳さに感嘆の声が出る。
「う……わ、わあ! 凄い! 月が近い!」
煉獄先生を置いて駆け出し、屋上の端へ向かって柵に手をかけた。
背伸びをして手を伸ばしたら月に届きそう。
「正に名月だな」
「こんなにくっきり凄い! 月が綺麗ですね!」
「……ふむ」
後ろから歩いてきて隣に立った煉獄先生は月ではなく私を見た。月にも負けない強く丸い輪郭を縁取る瞳には私が映っている。
「その言葉はそのまま受け取っていいのだろうか?」
「え? ……あっ!」
一瞬遅れて有名な告白の代名詞を言った自分に気が付いた。
「違います! いや、違くはないんですけど今の言葉は違くて……」
でももうここまで言ってしまえば全部言っちゃってもいいんじゃない?
「ぁ……」
――振られる。
生徒が煉獄先生に告白したときの、気持ちに応えることができないという毅然さと、でも想ってくれたことへの敬意を表したような表情をしている。
目で追うようになってから煉獄先生のことを知る機会が増えて、それに比例して自然とその場面も何度か目撃していた。
今じゃない――そう直感が告げて別な言葉を振り絞る。
「違わないのですが! 来年あたりに“死んでもいいわ”って言ってもらえるように頑張るので今は違います!」
「なるほど、そう来たか」
「今言っても駄目な気がしたので、今日はとりあえず煉獄先生が買ってきたお団子を食べて今後に備えます」
「腹が減っては戦はできぬというからな」
「そうです、勝ち戦にしたいので」
「ならば俺は今後の君に期待するとしよう」
煉獄先生がコンビニで買ったって言うお団子は月見用ではなく、パックに入ったお徳用みたらし団子。
団子を1本もらって口に頬張りながら煉獄先生を見れば、月の光によって金の髪が柔く、淡い白に見える。
うん。格好良くて、とても綺麗。
「というか、“月が綺麗ですね”で告白されたと思う煉獄先生って結構自意識過剰じゃないですか?」
「ははは、見ている分見られているということだ」
「ん? どういうことで――「うまい!」」
含みを込めた言い方に真意を訊ねようとした私の言葉は、煉獄先生の特大の声によってあっさり掻き消された。
まあいいか。今日は月より彼より団子を堪能しよう。
ご飯もまだだった身体にみたらしの甘さがじんわり広がる。
「お団子の他には何を買ったんですか?」
「さつまいもパンにさつまいもおにぎりとかだ」
「さつまいもばっかり!」
「ちゃんとお茶もあるぞ!」
次は何を食べようかなんて話し出して情緒の欠片もない私たちを、月だけがただ静かに見ていた。
初出:2022/09/15