― きみの夢はぼくの夢 ―

現パロ/幼馴染

「俺は犯罪など犯さない!」

 その瞬間、今は夏だというのに店内から出てくる冷えた風が頬を撫ぜた。

* * *

 ――煉獄杏寿郎こと杏くん、千寿郎こと千ちゃんは私の家のお向かいさんに住む幼馴染。
 杏くんは私の五歳上、千ちゃんは私の二歳下。この煉獄兄弟の間に位置する年齢の私は妹のように、姉のように育ってきた。
 私や千ちゃんが小学生のとき杏くんは私たちを守るように手を繋いで登校してくれて、杏くんが高校生になったら手を繋いで登校することはなくなってしまったけれど、それでも大事にされていたと思う。

 小さい頃に「槇パパのお嫁になる」が叶わない夢だと知ったとき大泣きしたのを慰めてくれた杏くん。
 「俺のお嫁になればいい!」って頭を撫でながら笑ってくれた。私を泣き止ませる為の言葉だっただろうけど幼さ故の単純な私はその日から「杏くんのお嫁さん」に将来の夢が変わる。ことあるごとにそれを公言すれば杏くんはいつも笑って聞いてくれた。
 高二になった今では口にすることはなくなったけど未だにその夢は変わることなく恋心は育っている。

* * *

 一学期の中間考査の結果があまり芳しくなかった私は夏休み前にお母さんから「大学受験に向けて今から頑張りなさい」と言われてしまった。大学なんてまだ一年以上先だしと生返事をしていたら勝手に夏期講習の申込みをされて渋々通うことになる。高校受験のときは杏くんに見てもらったし、今回も杏くんに見てもらえばいいのにって思ったけど今年は千ちゃんが高校受験の年だ。甘えてばっかりでもいられないかと気持ちを切り替えて通い始めた夏休み――。


「杏くん!」

 夏期講習の帰り道、一軒のお店から出てくる私の大好きな幼馴染が見えたので一気にテンションが上がって駆け寄る。

「ん? む? こんな時間にこんなところで何してるんだ?」

 杏くんはハキハキした声とは裏腹にちょっと足元がふらついていた。

「夏期講習の帰りだよ。杏くん結構酔っ払ってる?」
「よもや!? 俺はまだ飲める!」
「うんうん、槇パパみたいな事言い始めちゃったね。杏くん一緒に帰ろう?」

 杏くんのお父さんが家でお酒を飲んでいるとき、陽気に「大丈夫だ」みたいなことを言い始めるとそろそろ眠ってしまう合図。杏くんがここまで酔っ払っちゃったときの癖は分からないけど槇パパみたいに眠いのかもしれない。
 そう思っていつもみたいに杏くんの手を掴んで引っ張ろうとしたら杏くんが出てきた店から他の人が出てきて騒ぎ出した。

「煉獄の妹か?」
「妹ではない!」
「なに煉獄? 女子高生囲ってんの?」

 杏くんに夢中でちゃんと周りを見れていなかったけど、大学の飲み会だったっぽい。男女問わず次から次へと出てくるから店の扉は開きっぱなしで、店内からは外の暑さを冷やすように冷風が私のところにも届き始める。
 杏くんはさっきよりも酔いが回っているみたいで掛けられる言葉に返す声も覇気がなくなってきた。


 もう一度帰ろう、と声を掛けようとしたら杏くんの腕にするりと白く細い腕が絡められていく。その腕をなぞるように視線を上にあげていけば彼の派手な髪色に負けないほど派手にメイクされたオネエさん。杏くんは私と同じように絡められた腕を見ているけど何も言わないところを見るに酔っ払ってちゃんと把握できていないのか、はたまた好みだからか。

「高校生は帰る時間だよ?」

 オネエさんの言葉は存外にお子さまの出る幕じゃないと言っていて、杏くんを掴む手に無意識に力が入る。

「きょうくーん、モテモテのご様子だけど未成年相手は犯罪だぞー」

 三竦みのような状況を打ち破るように誰かが私の呼び方を真似して杏くんの肩を掴むと杏くんは急に目を見開いた。

「俺は犯罪など犯さない!」
「わっ、」

 杏くんは肩に乗った誰かの手を振り払ったのだろうけど、それは奇しくも私が掴んでいる側だったからその勢いのまま私の手も振り払われる。
 少しよろけて店側に傾けば相変わらず開きっぱなしの扉から漏れ出る冷風が私の頬を撫ぜた。

「っ! すまん! どこか痛むところはないか!?」

 手を払われた人は興味を無くしたのかそのまま何処かへ行ってしまったみたい。杏くんはそんな人など関係ないというように私を気にかけてくれたけど、未だに巻き付いているオネエさんの腕で私のところまで来ることはなかった。

「杏寿郎くん、もうみんな次の店向かってるよ?」

 綺麗なオネエさんは杏くんを私の方へ近づけないようにしていて、杏くんもさっきと違って女性相手だからか強くは出れないみたい。
 あ、彼女や好みの人ならそもそも振りほどくこともないのか。
 杏くんのこと名前で呼んでるし、そっか。なーんだ、そっか――。

「ごめん、邪魔しちゃったね。私帰るね。バイバイ!」

 家で見る酔っ払った振る舞いとも違うし、あんな風に綺麗な人が隣に居ても顔色一つ変えない杏くんに大人と子どもの差をまざまざと見せられた気がした。
 どんなに背伸びしても全然縮まらない距離を見ないふりしてきたけど現実が突きつけらて胸が苦しくなる。
 
 次の日の朝、杏くんからかかってきた電話は取ることが出来なくて、その後に来たメッセージも既読にすることはなかった。

* * *

 折角の夏休みなのに大して遊ぶ予定も入れてなくて本屋にでも行こうとすれば、私のもう一人の幼馴染が家のチャイムの鳴らそうとしているところだった。

「千ちゃんやっほー」
「あ、丁度良かったです」
「どうしたの?」
「美味しいスイカを貰ったから一緒に食べようと思って」
「スイカ! 食べた……あー……」

 スイカは食べたいけどこういうときって大体杏くんもいることが多い。連絡を全て無視している今はできれば杏くんに会いたくないから煉獄家には行きたくない。

「うーん……」
「俺の受験勉強の息抜きに付き合ってください」

 どうしようかと悩んでいれば、可愛い弟と思っている千ちゃんにそんな風に言われて断るという選択肢がなくなった。

「……うん。あ、そしたら久し振りに私の家で食べようよ。うちのお母さんも千ちゃんに会いたがってたよ」

 うちは子どもが私だけだから杏くんや千ちゃんを息子のように可愛がっている。案の定家に来た千ちゃんをお母さんは一通り愛でたあと夕食の買い出しに行った。


 シャクリ……シャクリと千ちゃんと二人リビングでスイカを齧り、千ちゃんの勉強の進み具合を聞きながら私もそこ苦労したよ、なんてちょっと前の記憶を手繰り寄せながらお喋りをしている。

「今度俺の勉強も見てください」
「えー? 私が千ちゃんの勉強見れるかな? 私より杏くんの方が頼りになるよ?」
「……そういえば兄上と何かありましたか?」
「え!? 何で?」

 杏くんの名前を出せば今触れてほしくないことを聞いてきた。

「最近家にあまり来ないし、兄上が今日は家に来たかと毎日聞いてくるので……」
「うーん。何もないかな?」
「……」

 本当に何もないのだ。大人の世界を知らずに出しゃばりすぎた私に、杏くんには杏くんの世界があってそこにはもう私が入る事はないんだと身を持って知った。だからもう、杏くんに逢えるかもなんて思いながら煉獄家に遊びに行くのを止めただけ。千ちゃんは何やら怪しんでいたけど、それ以上杏くんのことについては触れずにいつも通り世間話をしてから帰っていった。

* * *

「ねえ、来週の夏祭り一緒に行かない?」

 夏期講習の帰り、同じ講習を受けている子たちと駅まで歩きながらそんな話題が出る。

「そのお祭りは――」

 杏くんと千ちゃんと毎年行っているお祭りだ。でも今年は三人で行けないかもしれないな。今年というかこの先ももう行くことはないかも。
 断ろうとした言葉を途中で止めると私の隣にいた男子はどうした? といった様子で私を覗き込んでくる。
 杏くんの世界に入れないなら私は私の世界を広げよう。そんな結論を自分で出したことを思い出して隣の男子に大丈夫の意を込めて手を振った。

「うん、行け――「駄目だ」え?」

 突如の第三者の声に私含めみんな驚いてる。

「杏、くん?」
「すまないがその祭り、この子は毎年俺と行くと決まっているのでな」

 みんな誰? って顔をしているし、私は私で何でここに杏くんがいるのか分からない。

「諦めてくれ」

 杏くんは特に自分のことを説明せずに私の隣の男子に笑いかけるとそのまま私の手を掴み、駅とは違う方向へ歩き出すから慌ててみんなに別れを告げて引っ張られるように追いかけた。

「杏くん急にどうしたの?」
「電話に出ないしメッセージも既読にならない。三日に一度は家に来ていたのに全然来ないから直接会いに来た」
「夏期講習とか課題で忙しくて……ごめん」

 ある程度進むと歩調がゆっくりとなりやがてピタリと止まると杏くんは私に振り向いた。

「夏期講習はまだしも課題なら俺も見てやれる」
「千ちゃん今年受験で邪魔しちゃ悪いし」
「千寿郎はそんなこと気にしないだろう」
「そうだけど……杏くんに……」

 違う、杏くんのせいじゃない。本当は私が相手にされてないって思い知らされるだけだから行きたくないだけ。

「……分かった」

 下を向いたらジャリっと足音が聞こえて私に背を向けたんだなって思った。
 ほら。こんな子どもみたいにでもでもだってと言う私にとうとう愛想を尽かしちゃったかな。

「俺がナマエの家に行く」
「え? 何しに来るの?」

 離れたと思っていた杏くんはさっきよりもすぐ傍まで来ていて私を見下ろしている。

「俺が会いたいからだ」
「私たち……ただの幼馴染だよ?」
「幼馴染だが誰よりも一等大事に想ってる」

 私が一人でモヤモヤしてたことを杏くんはサラリと言ってくれるから単純な私はそれだけで嬉しくなる。

「昔からナマエはいつだって俺の世界の中心にいるぞ」
「杏くん。あのね……私ね、小さいときからずっと叶えたい夢があるの」

 久しぶりに小さい頃からの夢の話を出してみれば、杏くんは「久しぶりに聞いたな」みたいな感じで笑う。

「知っている」
「本当に?」
「俺が嘘ついたことあるか?」
「……ない」

 片眉を上げながら心外だという感じで私を見る杏くんは私の知っている杏くんだ。

「あと、二年半……」
「うん?」
「俺の夢でもあるからな! 大人になるまでちゃんと待つぞ!」

 何を言ってるかよく分かんなかったけど、ちょっと勇気を出して手を広げ指を絡ませる繋ぎ方に変えてみる。

 繋いだ手は今度こそ振り払われずに、きゅっと握り返された。

* * *
* * *

 目を覚ませば昨日の酒が頭を重くして眉間に皺が寄る。
 昨日は外堀を埋めるように酒の席に連れ出され、店に行けば見知らぬ女性も居て合コンかと遅まきに理解した。 隣に誰が座っても波風が立たないように当たり障りのない話をして、料理の油の匂いに交じって香る甘い匂いを無視して煽るように酒を飲んでいく。いつも以上に飲んでいたと気付いたのは一軒目の会計のとき。
 若干覚束ない足取りで外へ出れば大事な幼馴染が目を丸くしてこちらを見ていた。
 大事に。そう、大事に大事に思っていた。弟の千寿郎と同じように自分の妹のように――妹以上に想っている大事な幼馴染。

 手を振り払ったときのあの顔が二日酔いの頭を更に重くする。酔っていたとはいえあんな振る舞いをしてしまうなんて俺は最低だ。
 俺のことを名前で呼ぶ初対面の人の腕は白く細く、振り払えば折れてしまいそうだと思いながらなるべく傷つけないように解いていれば、彼女はもう目の前から居なくなっていた。帰りはどうやって帰ったかも正直覚えていない。

 痛む頭でナマエに電話を掛けても虚しくコール音が響くだけで、取り急ぎ謝罪のメッセージを送るがそれは既読にならずずっと未読のまま。
 スマホを失くした可能性もあるし、しょっちゅう家に遊びに来ているから何かしらのタイミングで会えるはずだ。そう高を括っていたがナマエと会えない。タイミングが悪いのかと千寿郎に日毎聞いてみれば「来ていない」と言われる始末。
 こんなに長く会わないなんて事は今まで一度もなかった。何か来れない外部的な要因があるのか――いや、仮にあったとしたら千寿郎や母上に情報が入ってくるはずだ。
 避けられている。その事実が心の黒い部分を濃くしていく。

「兄上」
「ん? どうした? 何処か分からないところでもあったか?」
「俺、昨日一緒にスイカを食べました。ナマエちゃんの家で」

 千寿郎に話し掛けられ、てっきり勉強のことを聞きに来たのかと思えば予想外のことを言われて反応が少し遅れる。

「……そうか」
「“何もないよ”って言っていました」
「どういうことだ?」
「兄上が大事に出来ないなら俺が大事にしますからね!」
「それは……千寿郎相手でも譲れないな」
「もう、それならしっかりしてください!」

 千寿郎は“誰を”とは言わずに俺を見上げてくるものだから苦笑してしまった。弟に檄を飛ばされるとはまだまだだな。

 俺もナマエもナマエの将来の夢とやらを刷り込みのようにして育ってきた。囲って何が悪い。実の弟にでさえ譲れない大事に守ってきた子を今更誰かに邪魔されてなるものか。
 だから彼女の隣に居る少年よ。

 “諦めてくれ”――。

初出:2021/07/31 お題ガチャ「【冷たい風が頬を射す】で始まり【繋いだ手は今度こそ振り払われずに、きゅっと握り返された】で終わる」