妄想、愉悦。


参拾弐





 大きな動きがあったのは、数日経ってのことだった。何時もと変わらない夕食を終え、風呂の準備をしている時に、激しく家の戸が鳴った。

「誰だ?」

 訝みながら源太郎が声を上げると、「俺だ、桃太だ」と返ってきた。何やら様子が可笑しい。源太郎も同じことを思ったのか、慎重に戸を開いた。

「桃太、どうかしただか?」

「おうめは、おうめはいないか?」

 桃太は源太郎の肩を掴んで屋内へと足を踏み入れる。

「おうめがいる訳ないだよ」

「そ、そうか、そうだよな…」

 桃太は頭を抱える。持っていた提灯が落ちそうになったのを、源太郎が受け止めた。蘭丸が歩み寄ってみると、桃太の顔色は悪く、憔悴している表情なことに気付く。

「桃太殿、うめ殿が…?」

 桃太は頷いた。

「帰って来ない。奉公先に迎えに行ったら、普段通り暗くなる前に帰したって」

「思い当たる所は?」

 桃太は頭を横に振った。

「もう行った。あの二人の家を尋ねたらあの二人は通いじゃなくずっと奉公先にいるって。それ以外に親しい奴なんていないし…」

 桃太の肩は震えていた。まだ少女の妹がこんな夜に、何処にいるのか分からないなんて、どれだけ心配だろうか。

「よし、おらも探しに行く」

「え?」

「桃太、ちっと待っててくれ。お蘭、灯りの準備だ」

「はい」

 蘭丸は竈から火を拾い、提灯へ移した。源太郎は外出の準備をしている。蘭丸が提灯を引っ掻けて自分の頭巾を手に取ると、源太郎は蘭丸の腕を掴んだ。

「お蘭は此処にいろ」

「え?私も…」

「駄目だ、お蘭は待ってろ」

 余りにも強い声で言うもので、蘭丸は驚いた。しかし、気持ちは分かる。源太郎はうめと蘭丸を引き合わせたくないのだ。

「わ、分かりました」

 源太郎の気迫に、蘭丸は思わず従ってしまった。源太郎はすぐに何時もの優しい笑顔に戻った。

「すぐ戻る。帰ったら、風呂頼むな」

「はい」

 源太郎は蘭丸の頭を撫で、桃太と出ていった。蘭丸は外まで見送る。風はないが、空気が冷たい。
 蘭丸は二人の背中を見守りながら身を案じた。うめの行動範囲なぞ知る由もないが、そんなにすぐに見付かるものだろうか。源太郎は、うめが見付かるまで、若しくは体力の限界まで探し続けるに違いない。

「あの…!」

 蘭丸は源太郎の元へ駆け寄った。源太郎の腕にしがみつく。

「やはり、私も行きます!」

「駄目だ」

「なら、約して下さい。絶対に、すぐに見付けて早くに戻って来て下さいね」

「ああ」

 源太郎は頷いた。すると、源太郎は蘭丸の肩を家に押し返した。

「早く、お蘭は中に戻るんだ。お蘭も絶対に待ってろ」

 蘭丸も頷いて中へ戻ったが、その約束は互いに守ることが出来なかった。



 待つ間は時間の流れが酷く遅く、蘭丸が確認の為に外に出ても月の位置は殆ど変わらなかった。しかし、繰り返しているうちに雲が現れ、隠してしまった。蘭丸は、ただ待つことが出来ずに松明を作り始める。提灯の明かりだけでは心許ない。始めから持たせれば良かったと悔いながら。
 薪を集めて土間で括っていると、戸を外から叩かれた。

「源太郎様!?」

 蘭丸は駆け付けて戸を開く。しかし、居たのは源太郎ではなかった。

「桃太殿?」

 蘭丸の反応に桃太はびくりと肩を揺らし、その場で頭を抱えた。

「…源太郎はいないのか?」

「え?だって、桃太殿と一緒に…」

 俯いた桃太の瞳が、屋内からの僅かな灯りで揺れている。

「も、桃太殿…」

 蘭丸は汚れたままの冷たい桃太の手を握り、家へ引き入れた。板間に座らせて、湯で濡らした手拭いで顔を拭く。仕事終わりの源太郎と同じように、桃太の顔は汚れていた。手拭いを畳み直して綺麗な面で手を拭く。

「すまない」

 桃太は消え入りそうな声で告げた。蘭丸は顔を振る。

「桃太殿…あの…」

「源太郎とは別れたんだ。源太郎が二手に別れた方が効率がいいって提案して。俺は農場の方へ、源太郎は俺がさっき探し回った山の方もう一回行くって。往復したらまた別れ道で落ち合おうってなったんだが、待っても来なくて、もしかしたらと思ってここに…」

「……」

「源太郎まで戻って来なかったら…!」

 桃太は振り絞るような声を出して、綺麗になった手で顔を抑えて俯いた。蘭丸は、台所から椀を取り、鍋の中をよそって桃太の手を取り載せた。

「……?」

 桃太が濡れた顔を上げた。蘭丸は箸を手渡す。

「残り物で申し訳ありませんが、空腹では何も出来ないので」

「こんな時に、飯なんか…」

「こんな時だからこそ、です。待つにしろ、探し回るにしろ、根気の要ることですから」

「……」

「今日は私が作ったので、あまり美味しくないかも知れませんが」

「そんなこと…」

「召し上がって頂けますか?」

 桃太は頷いた。

「有難うございます」

 蘭丸は礼を告げ土間に降りた。掛けてある縄を取る。

「桃太殿、うめ殿の奉公先はどちらですか?」

「あの、山に向かって、寺を越えた街にある呉服屋だ」

「分かりました。其処へは行き慣れているので私も向かいます」

「はっ!?」

「桃太殿は、此処で待って頂くか…ご自宅でうめ殿を待って頂いても良いですか?」

「否、あんたを一人で出す訳には行かない。源太郎を探しに行くってなら、俺も…」

「大丈夫です。私、足は速いので往復してもそんなにかからないと思いますし」

 桃太は黙ってしまった。蘭丸は自分がいかに冷たい発言をしているかは分かっていた。一番の目的は源太郎を迎えに行って、この不安な気持ちを早く消し去りたい。その為に桃太の付き添いは邪魔だと言っているようなものだ。桃太の方がずっと不安なはずなのに。そもそも、源太郎は桃太の妹を探しに行っているのだ。

「桃太殿、ごめんなさい、私…」

 蘭丸は作りかけの松明を取った。

「食事を終えて、早く行きましょう。私はそのうちに準備しますから」

「ああ…有難う」

 桃太は少しだけ笑みを作って、食事を再開し、椀の中身をあおった。


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