壱
華奢な体と整った顔を強張らせて、まだ幼い少年は褥の傍らで正座をしていた。これから全うする、勤めの為に。
「ふうっ…」
少年の大きな息吹きは、殆ど溜め息だった。これから身に起こる出来事を予測すると、つい出てしまう。少年は白襦袢の襟や、高めに結わえた髪に乱れはないか、あちこち体を確認した。落ち着かない。何かをしていないと、不安で小さな胸が押しつぶされてしまいそうだった。
少年の名は森乱法師。天下に一番近い男、織田信長の小姓として仕えている。
織田信長の重臣であり、乱法師の父の森可成は、六年前に戦死した。尊敬する父のように、形は違えど同じ主君に仕えることは、乱法師にとって喜ばしいことだった。乱法師は、小姓としての務めを果たせるよう、幼い頃から厳しく躾られ、出仕したのは、たった四日前のことだった。
出仕の日、顔合わせは何名かの家臣が同席していた。家臣達は、乱法師の美しさに息を飲んだ。
しかし、乱法師はそれどころではない。以前から信長の噂は耳にしていた。己の才、そして強運で世の中を着々と手中に収めていた織田信長。大器を持ちながらも、性格は苛烈で聞いた話は良いものばかりではない。改めて目にして、その風格、威厳が想像以上で緊張していた。どうにか表に出さないよう、気を引き締める為に背筋を張り、頭を垂れた。
「森乱法師にございます」
語尾が僅かに揺れた。気付かれてはいまいか。
「可成の三男の…」
「はい」
「似ておらぬな」
信長は乱法師の顔を見た途端、そう言った。乱法師はどう返答すればいいのか分からなかった。
槍の名手の父は、戦でも数々の武功を挙げ、その体躯、顔付きは勇ましかった。女顔の痩せた子供の乱法師が、似ているところは一つもない。
「…母に似たのだと思います」
言葉を探し当てた乱法師は、信長の目を見詰めて言った。
「ほう、汝の母は、美しいのだな」
「はい、とても…」
乱法師は慌てて口を抑えた。自分を賞賛してしまっていることに気付き、口ごもる。その微笑ましい姿に、家臣たちがくすくすと笑い出した。
「気に入った、此方へ参れ」
信長は微笑を浮かべた。空気が穏やかになったことに安心した乱法師は、傍らに身を置き、跪いた。
信長の手が乱法師に伸びた。節くれ立った長い指、大きな掌。その手が乱法師の顎を捉え、持ち上げた。
信長に顔を近付けられる。顔付きは精悍で、肌は若々しい。自分と親子以上に歳が離れている男には見えない。乱法師は、信長の顔をまじまじと見つめてしまった。一際、冷たい目が印象的で、奥底を見据えてしまうような暗さに吸い込まれそうになった。
「乱法師」
「はい、お館様」
「その名は、汝には似合わぬ」
信長の手が乱法師を解放した。
「此からは、蘭。蘭丸と名を改めよ」
「らん、丸…?」
「そうだ。花の蘭だ。美しき花ぞ。汝のようにな」
「蘭…、花で、ございますか?」
「それはぴったりですな」
一番年上の家臣がにこやかに笑った。乱法師は顔を俯かせた。
乱法師は可成が敬愛する信長の幼名から肖った名前であった。信長も、それを知っている筈だ。自分にはその名前を持つ資格はないと言われているようだった。
「不服か?」
「い、いえ…!」
乱法師は頭を垂らす。
「有り難き幸せに御座います」
「お蘭」
信長は事も無げにそう呼んだ。まるでおなごのような呼び方。乱法師は一瞬間を空け顔を上げ、「はい」と答えた。
「悔しいか?」
「何も悔やんではおりません」
「嫌なら言うてみろ」
「いいえ。蘭も、好きです。」
自分に言い聞かせるように蘭と自称してみた。信長に仕えた時から、この身の全ては信長の為に存在する。信長がそう呼ぶならば、乱法師ではなく、お蘭なのだ。
「良いぞ」
信長は満足そうに笑った。
それ以来、信長と言葉は交わしていない。小姓として新参者の乱法師改め蘭丸は、直接的に信長に関わるような仕事を任されるには早く、顔を合わせることもなかった。
そして今晩、初めて雑務以外の任務を与えられた。それは、伽の命だった。二度目の顔合わせで体を重ねるとは思ってもいなかったが、信長直々にと言うのだから、失敗は許されない。
「ふう…」
もう一つ溜め息をついた。色んな教本を紐解き、読み漁って知識を得ても、不安が募る。体や髪をいつもより念入りに洗い、甘ったるい匂いの香油を体に擦り込んだ。入浴時に、相手との繋がる箇所に触れて確認すると、頼りなく小さく、不安は増していった。
襖の向こうから足音が近付いてきた。とうとう、時は来た。しかし、襖を開けたのは意外な人物だった。
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