妄想、愉悦。





  

 建て付けの悪い戸がきい、と耳障りの悪い音と共に開く。蘭丸は寝返りを打って、寝床が広いことに気付いて目を開けた。
 どうやら源太郎は仕事に出るらしい。それなのに、蘭丸は起きられずにいる。布団から這って出て、散々叫んで枯れた喉から声を絞り出す。
 掠れた声に気付いた源太郎がこっちを見て、駆け寄って来る。

「お蘭、寝てていいだよ」

「すみません、また、寝坊してしまって…」

「いっぱいしたからな…四回か?」

「…六回です」

「そんなにしたか?」

「源太郎様は六回です…」

「そっか」

 源太郎は蘭丸を抱き上げて、布団に寝かせた。

「もうちっと寝てろ。朝飯、炉端にあっから起きたら食えな」

 源太郎は颯爽と家を出て行った。どうやら、昨夜のことも全然体に響いてないようだ。
 いつものことながら、凄いと思う。あんなに働いた後、激しく蘭丸を求め、大概蘭丸が先に眠ってしまうのだが、源太郎は殆ど先に起きる。無理している様子もない。自分にもそれだけの体力があれば、朝支度の世話も出来るのに。

 気付いたらもう一度寝ていて、目覚めた頃には源太郎が用意した食事も冷めていた。
 有難く思いながら遅めの朝食を取り、布団を干して、少ない着替えを洗って隣に干した。今日は天気が良いから何時もより丁寧に掃除しよう。以前から、気になっていた場所がある。

「よ、いしょ…」

 天井に繋がった天袋へ、台に乗り手を伸ばす。首まで届かず、奥は見えないが、手探ると何かが当たった。掴んでみると硬く、まあるい形をしていた。握って目の前に持ってくる。

「石…?」

 爪先で石の刻み目の埃を削り取る。楕円の形に沿ってくっきりとした線が外側に二本、それよりも細かい線が内側に二本入って、更にその内側には不規則にねじれた模様が刻まれている。そして、線の合わせ目の上部分が小さく盛り上がっていた。

「目かな…。一つしかないけど」

 どうやら貝の石像らしいと判断した蘭丸は、後で磨いてみようと懐にしまって、もう一度手を伸ばした。何かの紙の束が指先に当たる。背伸びして、引き寄せ、やっと掴んだ。

「わっ」

 薄汚れた本だった。引き下ろそうとした時に、冊子から紙の束がはらはら落ちる。蘭丸は慌てて台から降りて拾い集める。

「あ」

 蘭丸は手を止めた。目の前にある紙は、見事な美人画だった。憂えた表情や、見事な着物の柄、しなやかな体の曲線。蘭丸はため息を尽きながら眺めて、他の絵も拾い集めた。構図こそ違うが、どれも美しい女性が描かれている。そして、どの絵の女性も華やかで繊細で、どことなく儚げで、匂い立つような艶を纏っていた。
 素晴らしい。安土にいた頃、蘭丸は色んな芸術品を目にしたことがあるが、こんな風に美しい女性の絵は見たことがない。どうやら同一の作者のようで、右下に同じ印がある。

「しょう…らん?」

 印には不思議な形の字で小蘭と書かれていた。この人も蘭なのかと、不思議な縁を感じた。冊子の中もぱらぱら捲る。

「…!」

 中には春画も混ざっていた。印は同じ、あの絵と同じ面影の美しい女性が男性と激しく絡み合っている。女を知らない蘭丸には刺激が強すぎて、途中で本を閉じ、急いでもとの場所へ戻した。

「掃除、掃除と…」

 まじないのように何度も口にしながら頭を切り替える。箒を持って部屋を掃き始めた。

「ん?」

 部屋の隅に、まだ拾い忘れた紙があった。蘭丸はどきどきしながらゆっくり手に取る。

「……!」

 極めつけの春画だった。女が、豊かで柔らかそうな乳房で男のものを挟んでいる。蘭丸は急いでそれを本に挟んでしまった。







 夕刻。足音が聞こえて、蘭丸は戸を開けた。泥と汗に塗れた源太郎が眩しい笑顔を見せる。抱きつきたい衝動を抑えながら蘭丸は笑顔で迎えた。

「お帰りなさいませ」

「ただいま」

 源太郎が蘭丸をきつく抱き締める。鼻先に埋まった肩からは汗と土の匂いがした。けれど、ちっとも不快じゃない。息苦しさに、躊躇いもなく鼻から吸い込むと、源太郎は力を緩めた。蘭丸がふう、と顔を上げると、今度は口付けてくる。蘭丸は抱き締め返して受けた。
 幸せなひととき。けれど、不意にあの絵が頭を過ぎる。源太郎がわざわざあんなところに置いたのはきっと自分には見られたくなかったからだ。それなのに、思いがけず知ってしまった。

「お蘭?」

 小さな嫉妬と罪悪感に苛まれていたら、何時の間にか唇は離れていた。

「どうしただ?」

「い、いえ…」

 蘭丸はついはぐらかしてしまう。

「疲れただか?掃除、頑張ったもんな」

 源太郎は蘭丸の頭を撫でた。

「いえ、大したことでは…。それより、湯浴み、しましょうか?食事の用意も出来ていますが」

「風呂!」

 源太郎は蘭丸の腕を引っ張りながら風呂場へ向かった。背中を流し合って、風呂から出てから食事をする。

「うまい!」

 源太郎は、蘭丸の不慣れな手料理も世辞なく美味しいと食べてくれた。

「お蘭は何でも出来るだな」

 源太郎は少々柔らかすぎる米と、煮崩れた野菜を屈託なくぱくぱくと口に運んでいた。

「今日も失敗してしまいました」

「そんなことないだよ」

 源太郎は満足そうに腹をさすり、皿を持って表に出て行った。

「蘭が洗います」

「歯、磨くついでだ」

 源太郎は構わず出ていってしまった。蘭丸も急いで食事を流し込んで、鍋と皿を持って後に続く。井戸端で食器を洗い、月見をしながら並んで歯を磨く。

「雲、増えたなあ。明日は雨か」

 源太郎が見上げたまま呟く。雨だったらいいのに、と蘭丸は思った。そうしたら、一日中二人で過ごせる。そして、我儘な思惑を振り払おうと小枝を強く噛んだ。

 屋内に戻り、蘭丸が布団を敷いていると、源太郎は足元にある小さな塊に気付いた。

「あれ、これ…」

「今日、掃除している時に見付けました」

「こんなに綺麗だっけか?」

「少し、磨きました」

「へぇー。懐かしいだ。これ、おじいのおじいが…」

「古いものなのですか?」

「ああ。おじいが、よく話してくれただ」

 源太郎は敷いた布団にしゃがんで、昔を懐かしんでいた。

「どんなお話を?」

「昔、おじいのおじいが…」

 笑顔の源太郎の表情が固まった。

「……で、これ、どこで見つけた?」

「あ、あの…、あちらに…」

 蘭丸は言い辛そうにその方向を指差した。源太郎は一目散に駆けて、台に乗り手を伸ばして弄る。そして、丁寧に紙が挿まれた冊子を手に取り、振り返る。

「見ただな?」

 蘭丸は、申し訳なく頷いた。

「本当に、何とお詫びしたら宜しいか…」

「ああ謝らなくていいだよ!」

 源太郎は、あからさまに肩を落とす蘭丸の前にやってきて、手を握った。

「おらこそ、お蘭を傷つけてないかって…」

「そんなこと、絶対にありません!」

 否定の仕方が必死すぎる。これでは、あからさまに絵に嫉妬しているみたいだ。

「そうか?」

「い、いえ…」

「ご、ごめんな」

「謝らないで下さい…」

 沈黙が続き、源太郎が蘭丸の肩を抱きながら口を開く。

「で、これ、どう思った?」

「……とても、綺麗だと思いました。こんなに美しい女性画、見たことありませんでしたから」

「そっか。これな、ずっと前、妹と街行った時、見つけて…おりんがこの絵、気に入って買っただ」

 ぱらぱら捲って、その絵を取り出す。最初に蘭丸が目にした絵だ。

「それから気に入って、何度も同じ人の、買うようになっただ。おらは春画を隠れて買ってたけど。おりんが死んでからは、ずっとしまってたが…」

「何故ですか?」

「だって、おりんが好きな絵、一人で見てたってつまんないだよ」

「……」

「でも、今はお蘭がいてくれるから平気だ。ああ綺麗だなって思う」

「源太郎様…」

「なあ、これ、少しお蘭と似てる」

「私と?」

「ああ。目、きらきらしてて、睫が長い」

「そうでしょうか?」

「あ、あとこれ」

「!」

 源太郎は春画を出した。蘭丸があまり見ないようにしていた、女が自分の秘所を指でさらけ出してる構図だった。絵とは言え、女の知らない部分はあまりにも強烈で、固まってしまった。

「どうした、お蘭」

「こ、これのどこが蘭に似ているのですか!」

「だから、眼だ。あと表情も似てる」

「蘭は、この絵は嫌いです!」

「なしてだ?」

「なして、って…」

 蘭丸は答えられずに頬を赤らめたまま、俯いてしまった。蘭丸の赤い耳を見て、やっと気付いた源太郎は、徐に着物の上から蘭丸の下肢を弄る。

「な、何するんですか!」

「起ってない」

「どういう意味ですか」

「おらも起ってないだよ」

 源太郎は後ろから蘭丸を抱き寄せ、股間を腰に押し付けた。

「な?」

「はい…」

「だから、こんな絵も必要ない。お蘭が嫌なら捨てる」

「其処までなさらなくてもいいです」

 源太郎は本を閉じて、蘭丸を組み敷いた。

「今日も、いいか?」

「はい…」

「良かった。嫌がられたら、生きてけないだ」

 源太郎の言葉につい笑ってしまう。

「何が可笑しい?」

「いいえ。蘭も、きっと嫌われたら死んでしまうと思います」

「絶対に死なせないだ」

 源太郎は蘭丸の耳の後ろを吸う。そして、後孔にそっと指をあてがい、その上の小さな袋を優しく揉んだ。

「痛かったら、言ってな?」

「はい…」

「気持ちいい。やっこくてふわふわだ」

「ふ…ん…」

 甘い声と共に吐息が漏れる。唇を塞がれた時には、既に蘭丸の頭の中には絵のことは抜け落ちていた。





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