妄想、愉悦。


拾玖


  

「お帰りなさいませ」

 帰宅すると、いつものように蘭丸が笑顔で出迎えてくれた。源太郎は蘭丸の髪を撫で、挨拶代わりに口付ける。

「ただいま」

 毎日のことなのに、相変わらず蘭丸は顔を赤くしていた。

「今日はいかがなさいますか?」

「飯にする」

「はいっ」

 蘭丸は炉端でいそいそと食事の支度を始めた。楽しそうに見える。

「楽しそうだな」

「だって、楽しいですから。蘭は、源太郎様の為に働くのが好きです」
 源太郎が腰を下ろして手を拭いていると、蘭丸は囲炉裏の鍋からよくわからないものをよそった。受け取り、目の前に置いて蘭丸の真似をする。

「いただきます」

「召し上がれ」

 得体の知れないものを口に運んだ。

「旨い!」

 蘭丸の作るものはよく分からない。恐らく、城で食べたものを自分なりに再現しているのだろうが、素材の原型を留めておらず、食べてみないと何だか分からなかった。食べても分からないこともあるのだが。
 本来の料理を知らないせいか、旨くなかったことは一度もない。

「良かった。上手く出来るか不安で」

「上手だよ」

「まだまだです。もっと上手になりたい」

「良かった、元気そうで。一人になって、淋しいんじゃないかって気になってただ」

「淋しくないです。前に戻っただけですから」

 蘭丸は思い出したように見慣れない袋から筒状に丸められた紙を取り、差し出した。

「今日、小龍殿が届けて下さいました」

「小龍が来たのか?」

「はい」

 どうやってここを探し当てたのだろうか。疑問を抱きながら紙を開くと、そこには小さな蘭丸の姿があった。
 着物の色は実物よりも明るい青で、濃い紅は一段鮮やかになっているが、それ程の差しかない。今にも、絵から動き出して出てきそうだ。

「たまげた…、お蘭だ」

 正直、受け取る気はなかった。小蘭の絵を見たら、あの忌まわしい出来事も記憶から引き出されてしまう。けれど、こんなものを見せられたら、評さずにはいられない。蘭丸が見せる笑顔を、こんな風に紙の上で表現出来るのは、小蘭だからなのだろう。

「でも、これはいつもの小蘭の絵と違うだ」

「どう違うのですか?」

「こげん幸せそうなの見たことねえ」

 小蘭の描く女は、いつでも何処となく憂えていた。

「小蘭殿の絵が好きなりん殿は、この絵を喜んで下さるでしょうか?」

 問いかける蘭丸は不安げだった。

「当たり前だよ!きっと、天上で自慢してるだ」

 蘭丸の優しさが嬉しい。油断したら泣いてしまいそうだ。

「でも…、これじゃあ知らない誰かが見ても、お蘭だって気付かれちまう」

「はい、なので売り物にはしないって…。でも、小龍殿、こんなに置いていってしまいました」

 蘭丸は重そうな袋を出して、ごとり、と床に置く。

「小蘭殿は、ご自身の作品に納得しているみたいです。けれど、金銭的な利益は得ていないのに、こんなに受け取っては…」

「……」

 真面目な蘭丸は悩んでいるようだった。

「小龍、置いてっただな?」

「はい。蘭はこの姿ですから、窓越しで届けて下さった着物を受け取って、着物を渡して…。帰られてから外を見たら、袋が置いてありました」

「普通に渡しても受け取らないと思っただよ。渡されたもんは仕方ねえ」

「…そうですね。あ、あと」

 引き続き、蘭丸は袋から何やら取り出した。絵で蘭丸が持っていた花と、黒い塊。

「花とこれを」

「これ?」

 昨日小龍へと渡した石だった。汚れている。

「源太郎様、その石は、何だったのですか?」

「ああ…、これな」

 源太郎は服で石の汚れを擦った。刻んだ線や、突起部分がくっきり浮き出る。

「これな、おじいのおじいが、小さい時、人助けをしたら礼に貰ったものらしい。その人は…年老いた坊さんだっておじいは言ってた。何処まで本当か分かんねえけど」

「分からない…?」

「だって、おらが聞いた時、おじい半分呆けてたもん。だから、おらは話半分で聞いてた。内容も素っ頓狂だったしな。なあ、これ、何だか分かるか?」

「貝ではないのですか?」

 蘭丸の発言につい吹き出してしまう。

「違うだ、これはほとだ」

「ほ…?」

「女の生殖器だ」 

 蘭丸は顔を真っ赤にしていた。

「陰の石をくれた坊さんは言った。これは幸運の御守りだ、大事にしていれば、良いことが起こるって。おじいのおじいは持ち歩いてたけど、何も起こらなかっただ。で、おじいのおじいは成長して、おじいのおばあと出会って、おじいのおとうが生まれて、おじいが生まれただ。おじいのおじいは、この戦国の世で、こんな平和な毎日を送れたのは御守りのおかげだっておじいに言ってたって。おじいは、二十歳の時におばあと出会った。おばあは、綺麗だったってよく言ってただ。でも、おばあはおとうを生んだすぐ後に病で死んだ。おじいは、必死で一人でおとうを育てただ。おとうも体弱かったけどな、大人になれて、おかあと出会って、おらが生まれて、その後おりんを授かった」

「お祖父様は、立派な方だったのですね」

「ああ。そいでな、おじいは、この御守りのこと、思い出しただ。おらは丈夫だけど、おとうも、生まれたおりんも体が弱かった。だから、この御守りに縋っただ。おじいは、この石が汚かったから、洗っただ。したらな、その夜、おばあがおじいに会いに来ただよ」

「亡くなったお祖母様が?」

「ああ。死んだ時の若さで、綺麗なままで。おじいはおばあを抱いた。抱いてみたら、本当におばあだったって。でも、目覚めたらおばあはいなくなってた」

「幻だったのですね」

「おらは違うと思う」

 源太郎は蘭丸を抱き寄せた。

「おばあがいなくなった代わりにこの石が汚れてたんだ。もう、何度磨いてもおばあは現れなかった」

「もしかして、その石で蘭は…?」

「うん。お蘭はこの石のせいでおなごになっただ。おらが、おなごのお前を抱いたように、おじいも若いおばあを抱いただよ」

「でも、磨いたのは蘭なのに、蘭が女になるなんて変です」

「多分、持ち主がおらだからだよ。これは、持ち主にとって、理想の女が現れるんだ」

「……」

 蘭丸はまた頬を赤らめていた。

「源太郎様は、お祖父様から譲り受けた時に、使わなかったのですか?」

「うん。信じてなかったし」

 口にはしないが、当時は懇意の相手が既にいたから必要なかった。短い間で終わったが。

「何故、あんな所に隠すようにして…」

「まあ、陰だしな。おじいの形見でもあるし、他の奴に見られないように隠してた」

「蘭が見付けてしまって」

「いいだ。そのお陰で、おらは新しいお蘭と出会えた」

「何故、小龍殿が持っていらしたのですか?」

「あげただ。おらには必要ねえもん」

「結局、小龍殿は使わなかったのですね」

「もう使ったんじゃねえかな」

「まさか」

 蘭丸は笑った。源太郎は引き寄せられるように耳に口付け、耳朶を甘噛みした。

「…まだ、片付けと湯浴みが残っています」

「駄目か?」

「…最後にゆっくりしたいです」

「そだな。じゃあ、片付けるか」

「はい」

 使った碗や皿を持って蘭丸と外に出た。蘭丸が井戸端で碗を洗っていると、源太郎は陰の石を遠くへ投げてしまった。

「あ!」

 気付いた蘭丸は源太郎に駆け寄った。

「どうした?」

「石、棄ててしまったのですか!?」

「うん。必要ねえし」

「お祖父様の形見なのでしょう?」

「大丈夫、おじいとおばあは、きっと今、天上に一緒にいるだよ」

「けれど、お祖父様のお祖父様の御守りでもあります」

「そんな御利益あったら、おとうもおかあもおりんもまだ生きてるだよ」

 蘭丸は黙ってしまった。少しの沈黙の後、短く謝る。

「……ごめんなさい」

「謝らないでくれ。おらが棄てたのは、お蘭を取られたくないからだ」

「え?」

「小龍は、お蘭にこれを譲った。さっき、おらは陰を見せる為に磨いた。したら、お蘭の理想の女が現れちまうだよ」

「理想…。想像出来ません」

「へへ。出来ないか。ならどうなっかな。おらが女になったりして」

「……」

「何考えてるだ?」

「いえ、何も」

「なあ、お蘭」

「はい?」

「もし、おらがおなごになったら、お蘭は童貞をくれるか?」

「なっ!知りません!」

 蘭丸は井戸端に戻って皿洗いを再開した。暗がりなのにまだ紅潮しているのが分かる。源太郎は暫くその後ろ姿を見ていた。

「…源太郎様」

「ん?」

「きっと、棄てなくても、蘭の前に女性は現れないと思います」

「なして、そう思うだ?」

「蘭は女性を知りませんし、蘭にとっては今の源太郎様の存在以外、考えられません」

「おら以外?何がだ?」

「ですから、理想のことです」

 蘭丸は洗った食器を持って立ち上がった。

「そっか…」

 考えたこともなかったが、蘭丸と出会ってから、源太郎も同じ気持ちだった。
 だから、蘭丸は少年の雰囲気を残したまま女になったのか。豊満な肉体も女性らしくて魅力的ではあるが、ちっとも蘭丸らしくない。ならば、自分が女になっても、顔や筋肉質な体は変わらず、体の構造だけ変化してしまうのだろうか。想像したら不気味すぎて笑える。

「何か、面白いことでも?」

「ううん。早く、風呂入ろう」

「歯磨きがまだですよ」

「じゃあ、早く磨こう」

「はい」

 源太郎は蘭丸の肩を抱いて家に促す。細い月が二人の背中を照らしていた。




-了- 



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