衰退する感情_2

 目一杯泣いて、何事もなく仕事に行って、また帰ってきて思い出して泣く。
 蘭とあの女の子が仲睦まじく歩く様子を見てしまって、慌てて隠れる。そんな日もあった。
 ――恋人だったのは私の方なのに、どうしてコソコソしなきゃいけないんだろう。
 ふとそう思った瞬間、全てがどうでもよくなった。蘭が笑っていようが、私が泣いていようが、何も変わらない。
 だったら、私も私の人生を生きよう。どうせもう、何も聞き入れてもらえないのだから。
 そんな結論に至り、好きだった人を意識的にシャットアウトすると、気持ちがだいぶラクになった。
 私に必要なのは、忘れること。蘭からの罵倒が頭の中で再生されそうになる度、私は強制的に違うことを考えた。蘭の失望した眼差しが浮かぶ前に、目を閉じて違う映像を無理やり思い浮かべた。
 そうやって少しずつ、私の記憶から彼を追い出していった。

 それから半年。時折蘭を思い出すことはあっても、何の感情もついてこなくなった頃。仕事で用があったから六本木に来たら、街中で偶然彼を見かけた。でもなんとも思わないまま、通り過ぎて行こうとしたら、ガッと体を掴まれた。
 取り巻きの人たちが一斉に驚いたような声をあげる。私も驚いている。
「やーっと来たかー。遅ぇよ」
「遅いって、なにが?」
 思わず聞き返す。
「頭冷えたから会いにきたんだろ?」
「……会いにきたも何も、もう私たち別れたでしょ?」
 本心から出た言葉だった。だって私はもう、蘭に嫌われているはずなのだから。
 が、その答えで蘭は満足しなかったらしい。私を引っ掴んだまま、取り巻きたちに何か声をかけて離脱する。抵抗しようとしても、全然振り解けない。ようやく手を離してくれたのは、彼の家に連れ込まれた時だった。すかさず逃げようとすると、玄関ドアを蹴り上げられる。
 大きな物音に縮こまってしまい、その隙に私はリビングに連行される。
「そんな警戒すんなって。取って食ったりしねぇから、ほら座れー」
 やけに上機嫌な蘭は、私をソファに置いたまま来客をもてなす準備を始めている。なんだろうこの違和感。まるで半年前のまま、関係性が変わっていないとでも思っている?
 渡されたコーヒーを見つめる。半年前ならなんの疑問も持たずに口をつけただろう。でも今はためらいが強い。
 じっとしていると、蘭が口を開いた。
「オマエ、痩せたよなぁ」
 私は視線だけ蘭に移す。誰のせいでこうなったと思ってるんだ。
「あの女にアレコレやられたんだろ?」
「そうかもね」
「あいつ酔うとなんでもベラベラ喋んのな。オマエにやったことぜーんぶ白状したぜ?」
 だからオレの前じゃ酒飲みたがらなかったんだろーな、と蘭は続ける。
「だからさ、あいつはもう外に出てこねぇよ。存在もろとも」
 見る? と言って蘭は携帯を取り出したけど、私は丁重に断る。
「な、これで安心だろ」
「……話はそれだけ?」
 コーヒーカップを置いて、私は立ち上がる。
「私が辛かったのは、他の女の子に蘭を奪われたからじゃないよ」
 そこで初めて、蘭の口元から笑みが消えた。私の口から、言葉が勝手に飛び出す。
「一番辛かったのは、あなたが私を信じてくれなかったこと」
 私は間髪入れず続ける。
「あの時私を信じずに突き放したってことはさ、一緒にいた時間が長い私より、あの子を取ったってことよね」
 蘭の口から、ひゅっと息が漏れる。彼は何も言わない。視線だけ泳がせている。それからやっと出てきた言葉は、
「……もう終わったことを蒸し返すなよ」
 だった。
「そうね。だから私と蘭の関わりもおしまいにしようよ」
「は……ま、ちょ、オマエ」
「というわけで帰るね」
 私は今度こそ蘭の家から出ていく為に歩き出した。が、またしても阻まれた。
「帰るって言ったのに何?」
「行くな」
 振り返って蘭の顔を見た。必死に縋る男が、そこにいた。
「どうして? あの時『どっか行け』って言われたよ。あとは『声も聞きたくない』とかも」
 私にとって、あの言葉は別れの通告に他ならなかった。
「……もうそんなこと言わねえから」
「そっか。じゃ、未来の恋人は幸せ者だね」
「そんなんいらねえ、オマエじゃなきゃ、嫌だ」
「……どうしても?」
 蘭は必死な顔して首を縦に振る。
「だとしても、私は前みたいに笑えないよ」
「それでも……いい、から、隣に」
 今の蘭には、なりふり構わず、という言葉がよく似合う。それくらい取り乱していた。いつもの余裕を、どこかに置き忘れてきたかのように。それを見たら、ふっと笑いが漏れた。
「気持ちは戻らないと思うけど、それでもいいなら」
 許したわけでも、情がわいたわけでもない。ましてや惚れ直してなんていない。
 半年前私が味わった絶望を、今度は彼が知る番なんだ。
 結局破滅に向かうのか、あるいは元鞘に納まるのか……結末はわからないけど、せっかくだから見届けてみようという気持ちになった。それだけだ。

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