ことばでも魔法でもないなにか

「私と仕事どっちが大事なの!?」
 あーついに言っちゃった。案の定、蘭はイヤそうな顔をしている。そうだよね、こんなめんどくさい女。
 でも私も、もう限界だった。彼は深夜、下手したら朝に帰ってくる。知らない化粧品の香り付きで。
 仕事が仕事だから、女の人と関わることだって想像に難くない。それはしょうがない、けど。
「オマエもそーいうこと言うタイプなんだなぁ。意外」
「ちゃかさないでよ」
「真面目に言ってんだぜ? そんな風に嫉妬されんの嬉しーから」
 言葉とは裏腹に、彼の顔は笑っていない。心底めんどくさそうな顔だ。少し考え込む間の後、蘭はこう続けた。
「ま、敢えて優劣つけんならオレは仕事をとる」
「……!」
 今の私が、一番聞きたくなかった言葉。
「もしオレが『オマエとずっと一緒にいるから仕事辞める』ってなったら、オマエだって困るだろ」
「それは、確かにそうだけど……」
 そこは嘘でも「私の方が大事」と言って欲しかった、かな。わがままかもしれないけど。
「……ごめんね、感情的になって言い過ぎちゃった」
 そう謝ると、蘭は「気にすんな」と言って頭を撫でてくれた。でもその一言で私の意志は固まった。黙って出て行こう、と。
 仕事が大事で私は二の次三の次なら、いなくなってもきっと蘭は気づかないでしょ。
 そう決心したら、あとは早かった。都内から離れたところにあるウィークリーマンションを契約して、必要最低限の荷物をまとめる。着替えと、貴重品、あとは仕事に必要な道具……。
 最後に手紙を書いた。封をして、テーブルのど真ん中に置いておけばいやでも気づくだろう。気づいて欲しい。
 今日もきっと朝帰りだろうから、置き手紙と共に合鍵を置いて、ここからおさらばだ。

 「別れましょう」という手紙を置いて、黙って家を出ていって一週間。
 蘭から一切連絡は来なかったし、私の職場に現れることもなかった。やっぱりな、という気持ち。
 仕事が大事だと言い切る彼のことだから、私のことは放っておいていい存在なんだろう。悲しい事実に乾いた笑いしか出ない。
 それまでも喧嘩して距離を置くことはあった。覚悟の決まってない家出みたいなものだったから、すぐ仲直りしたけど。
 ただ、今回は戻る気になれない。蘭に振り回される生活が当たり前だった私にとって、彼のいない毎日が新鮮で楽しいからだ。割とすんなり新しいアパートも見つけられたし。
 ウィークリーマンションから新しいアパートに引っ越して、自分だけの部屋で暮らし始めて三日。携帯電話に着信があった。ディスプレイには「蘭」の文字。しまった、着信拒否してなかった……。でも、電話に出る義理もないので、ブツっと切った。
 すると、間髪入れずにかけ直してくる。着信拒否の隙も与えてくれないので、諦めて一度電話に出た。
「もしもし?」
「おーい。いつまで拗ねてんだー?」
「……手紙見てないの?」
「オレの気を引くためにあんなこと書いたんだろ? 可愛いとこあんじゃん」
「文字読めないんだっけ」
「あ゙?」
「読めてないから、電話かけてこれるんだもんね。私たちもう他人だよ?」
「オマエが一方的にそう思ってるだけだろ」
 ……話が通じない。なんなんだこのふてぶてしさ。
「とにかく切るよ。もう話すことないし」
 蘭が何か言う前に私は電話を切り、携帯の電源も切った。ぼすん、と携帯電話をベッドへ落とす。自分もそこに寝転がった。
 せっかくの休日なのに台無しだ……と目を閉じると、不意に声がした。
「話は終わってねぇぞー?」
 何事かと起き上がると、目の前に蘭がいた。
「えっ……と?」
 なんでここが、とか、鍵は、とか、疑問が一気に溢れてくるけど言葉にならない。私の疑問を見透かしたように、蘭は笑って言う。
「今そんなんどーでもいーだろ」
 そのまま彼は私を起こし、ベッドのふちに座らせる。起こした私の前に膝をつくと、小さな箱を取り出した。ふたを開けたその中には、ダイヤモンドが燦然と輝く指輪。
「……これは」
「給料3ヶ月分ってやつ?」
「……私に?」
「当たり前だろ」
 もしかして、仕事が大事だと言っていたのはこのためだった……?
「言ってくれればよかったのに!」
「言うワケねェじゃん、ダセェだろそんなん」
 箱を閉じるなり、彼は私をぎゅっと抱きしめる。
「それより。返事」
「な……」
「オレはナマエと結婚してぇの。返事は?」
 耳元で囁かれて、体が熱くなる。せいせいしたと思っていたのに、私はまだ蘭が好きなままだ。静かに彼の背中へ腕を回す。
「……私でいいの?」
「ナマエ『が』いいんだよ」
 私はちょろいな。聞きたかった言葉だけで、寂しさなんて全部なくなってしまう。
「ずっと、一緒にいてくれますか」
「当たり前だろ。もう離さねぇからなー?」

 唐突なプロポーズのあと、蘭は当たり前のように
「つーことで帰ってこいよ♡」
 と命じた。私はキョトンとした顔で、
「えっなんで?」
 と答える。
「……帰ってこねェの?」
「うん。一人暮らし楽しいから、しばらくここに住むよ」
 おや。おかしいな。私がはっきり断ってから、蘭の目が笑ってない。
「ほんとに帰ってこねェの?」
「こっちの方が職場に近いし」
「ふーん。ま、ナマエがそーならそれでいーけど」
 大人しく引き下がり、蘭はそのまま帰っていった。なんだろう、嵐の前の静けさって言葉がしっくりくるこの感じ……。

タイトルはまばたき様からお借りしました。


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