上司の三途と部下子ちゃん_2
三途目線。
「よお」
気安い声とともに、武臣が廊下の隣に並ぶ。
「何の用だ」
「そう気負うなよ。いるだろ、オマエの部下。ナマエってヤツ」
「そいつがどーした」
「オマエあの子に相っ当嫌われてんのな。さっき二者面談したら、三途さんの所で働くのはもうイヤです、鶴蝶さんのところで働きたい、だとさ」
軽い雑談でも投げるかのように、武臣はさらりと言ってのける。嫌われてる? 嘘だろ、オレはアイツのこと手放したくねェのに?
「なんで」
「そりゃそーだろ。ナマエの髪の毛引っ張って抜くとかただの苛めじゃねえか」
「……あ、れは」
「あれやりたかったんだろ? 『好きな人を惹きつけるおまじない』。千壽が昔読んでた雑誌の」
バレていた。昔、千壽が散らかした物を片付けさせられていた時。たまたま女子向け雑誌のページが目に入った。開きっぱなしだったそのページには、
「好きな人の髪の毛と、自分の髪の毛を結んで常に持ち歩いてみて。好きな人がアナタを意識しちゃうかも!」
なんて書いてあった。当時のオレはさっさとそれを片付けて、つい最近までそんなことも忘れていた。
……ナマエの伸びた髪が、視界に入るまでは。
ナマエが梵天に入るきっかけは、運び屋の一人を始末したことだった。
些細なミスを犯し、警察に足がつきそうになった男。逮捕されて組織のことをゲロられる前に、オレが始末した。
その数週間後。警察署の近くで、そいつによく似た若い女がオレの目に留まった。その男には娘がいるということを、昔何かの会話で聞いたような記憶があった。
気づけば足が向いていた。理由はわからねぇ。
泣きじゃくるでもなく、気丈に立つ姿が妙に頭から離れなかった。あんたの父親と付き合いがあった、と言うと少しだけ警戒心を解いたようだ。
そこからそれとなく聞き出してみる。やはりナマエは行方知れずになった父親を捜すため、警察に届けを出していた。気持ちが張り詰めていたのか、ほかにもいろいろ話してくれた。
ナマエの母はかなり昔に病死して、父子二人で暮らしてきたという。
そいつはナマエを大学に入れてやりたくて、仕事を掛け持ちして金を稼いでいたようだ。梵天のことは黙っていたようだったが。
「父にもう一回会って話したいんです。手掛かりは、全然つかめてないんですけどね……」
涙の跡を残したまま、ナマエは唇を真一文字に結ぶ。これ以上泣くまいと、こらえているようだった。
「どーすンだよ、これから」
「……とにかくできることは何でもやって、就職します。もともと高校を卒業したら、就職するつもりでしたから」
父は、大学に行けと言ってくれていましたが、とナマエは続ける。
「じゃ、うちの企業で働け」
「え?」
「オマエなんか資格あんだろ。簿記2級とか」
「……あるには、ありますけど」
ナマエの父親が、昔運び屋同士の雑談で話していたことを思い出す。娘は優秀で、将来のためにいろんな資格取ってるんだ……なんて誇らしげに話していた。
怪訝そうな顔のナマエに、オレはさらに畳みかける。
「家だっていつ追い出されるかわかったもんじゃねェ。悪くねー提案だと思うけど?」
「それは、はい」
「決まりな。明後日にでも面接すっから準備しとけよ」
呆然とするナマエを残して、オレはその場を離れた。
情けをかけたわけじゃない。あいつをほっといたら、父親がどうなったかをいずれ知るに違いない。その過程で、
……そうして、ナマエはオレの部下となった。というより、かなり無茶を言ってオレの部下にさせた。初めはフロント企業に配属させようと思ってた。
が、蘭と竜胆が目の色変えて、ナマエを自分のとこに引き入れようとしたから、オレが持てる限りの権限を使った。
それはそうと、あいつはナマエの父親が自慢していた通り、優秀だった。逐一メモを取り、わからないことはとにかく聞いて覚え、些細なことでも報告を入れる。何より弱音を吐かねえ。
あっという間に、事務処理のエキスパートとして重宝される立場になった。
思った通り、膨大な仕事に忙殺されてナマエは次第に父親どころではなくなっていった。追い打ちをかけるように、定時間際にわざと仕事を追加して、毎晩のように残業させることも忘れない。
「……あの、どうしていつも隣で見張るようなことをしているんですか?」
一度ナマエにそう聞かれたことがあった。
「決まってんだろ。オマエがサボってねぇか、しっかり確かめなきゃだからなァ」
そう答えたけれど、本音は違った。目が離せなかったからだ。
……だから常に睨まれている、と思われてたんだろう。でもやめられなかった。他の部下と何気なく話してる時も、大人気なく割って入って仕事を割り振った。
オレと話す時は作り笑いしか貼り付けねェ癖に、他のヤツら……オレの部下とか、灰谷兄弟とか、そういうヤツらの前ではヘラヘラ笑ってっから。
始業時刻に姿を見せなかった時は、焦って何十回と電話をかけた。ナマエが死んでたらと思うと、居ても立っても居られなかったからだ。本当はあいつの住むアパートにすっ飛んで行くつもりだったが、マイキーに止められた。ナマエもそこまでガキじゃねぇだろ、と。
そしてあの日。経費精算を片付けろとナマエに指示を出した時だった。
きっちり進めてるか確かめに行くと、パソコンに向かうあいつの後ろ姿が目に入る。忙しくて切りに行く暇もなかったんだろう。肩よりずっと伸びた髪が揺れた、その瞬間。昔目に入った雑誌のページが、不意に頭をよぎった。
馬鹿馬鹿しい。そんなガキみてぇなモン、信じる気なんざねぇ……はず、なのに。
気づけば、ナマエの髪に手が伸びていた。
す、と5本程度の髪を掬い取り、そのまま勢いよく引き抜く。髪が切れる音の後に、
「痛っった!!」
ナマエの声がフロアに響いた。しまった、と思う間もなくあいつが振り返る。素知らぬ顔で言い訳をしたが、納得いかねぇといわんばかりの顔だ。オレはそれ以上言い訳するのを止めて、さらに仕事を押し付けた。
これからやることを、ナマエに見られてはいけないから。
しかしあいつは優秀だということを、オレはすっかり忘れていた。オレがあいつの髪を持って立ち尽くしているうちに、さっさと仕上げてしまっていたらしい。
よりによって、結ぶ瞬間を見られていた。全く気付かなかった。あいつ事務処理だけじゃなくて潜入捜査もイケるクチか?
「おーい。春千夜ー。聞ぃてんのかー?」
武臣の声で、オレはハッと我に返る。
「……ンだよまだいたのかよ」
「そりゃあな。ナマエって子どーすんだ? 鶴蝶のとこで働きたいって言ってただろ」
「却下だ」
「ほお。なんでまた」
「オレはそいつに嫌がらせしてるつもりなんざねえよ。これからもこき使ってやるだけだ」
「……あっそ。次は異動願いじゃなくて退職届突き付けられっかもな」
ま、頑張れよーと言いながら、武臣は気の抜けた足音と共にオレから離れた。何気ない一言のはずなのに、急に自信がしぼんでいく。
……まさかとは思うけど、な。明日からは、少し態度を改めるぐらいはやってみてもいいのかもしれない。
