それは糸じゃなくて鎖
「蘭さんはどんな女が好みなんすか?」「オレの好み? 弁えてる女」
「……というと」
「必要以上に連絡しないし、甘えない、後腐れのない奴」
なるほどなぁ。となると私は論外だな。蘭が取り巻きの誰かに聞かれた質問に答えているのを聞いて、そんな感想を抱く。
私はいつも彼から少し離れた特等席で、彼の一挙一動を追っていた。熱を帯びた視線を向けていることくらい、目ざとい彼なら気づいていたはずだ。
それでも、あえて踏み込んでこない彼に合わせて、私も「都合のいい取り巻きの一人」でいることに必死だった。
でも私は、恋人ができたら毎日メールも電話もしたい。時間が許す限り会って話したいし遊びたい。
別れようなんて言われたら、泣いて喚く自信がある。彼氏いない歴=年齢だけど、絶対そうに違いない。
蘭には憧れのような恋愛感情を抱いていたからつらいけど、ずぶずぶに沼る前にわかってよかったと思っとこう。
嫌われないように、本当の自分を押し殺してまで彼の隣にいるのは、きっといつか息苦しくなるから。
その日から私は、蘭の取り巻きに混ざって彼の隣を陣取ろうとすることをやめた。
やめたというより、時間もお金もかかる趣味にハマってしまって自然と足が遠のいた、という方が正しい。
でもね、めっちゃ楽しいの……! 何もかもが新鮮だから、毎日通い詰めたくなるくらいに。
今しか見れないものを目に焼き付けて、声を張り上げて偶像を崇める。それがこんなにも楽しいなんて。
恋をしなくても、こんなにときめくことができる。スポットライトを浴びた彼らを見て、ありとあらゆる感情の波にのまれる。
見返りなんて求めなくていい。好みに合わせようと背伸びする必要もない。ただ純粋に「好き」でいられることが、こんなにも自由で解放感にあふれているなんて知らなかった。
今日のライブも楽しみだ。しっかりオシャレしていざ会場に向かおうとしたところで、持っていたチケットが風にあおられて飛ばされてしまった。
慌てて追いかけると、誰かが拾ってくれたようだ。私は拾ってくれた人にお礼を言おうと、足元からスッと視線を上げた。そしてそのまま硬直した。
「ありがとうございま……っ!?」
「へー。最近見ねェと思ったらこんなとこ行ってんの?」
冷たい目で見下ろされる。けれど、その瞳の奥にはいつもみたいな余裕がない、ような気がした。
息が上がっていて、きっちり整えられているはずの髪が微かに乱れていて。まるで、血眼になって私を探し回っていたかのような……そんな錯覚すら覚える。
「なんで、ここ、に」
「つめてーよなぁ。オレのことほっといて他の男にうつつ抜かしてんだから」
何故なのかわからないけど、彼の声は、いつもよりずっと低くて仄暗かった。
「あの、返し」
「ヤダって言ったらどーすんの?」
「ほんとに返して!」
「じゃオレのお願い聞けるかー?」
「聞く! なんでも聞く!!」
「うわ必死すぎだろ。じゃアイドル追っかけんのこれっきりにしろよ」
伸ばした手が止まる。
「返事はぁー?」
どう転んでも地獄でしかない。私が答えをためらっていると、蘭は忌々しげにチケットを指先で挟み、ゆっくりとチケットを破ろうとし始めた。ビリ……と嫌な音がし始めて、
「やめて!! これっきりにするから破らないで!!」
私は反射的に、そう叫んでいた。
蘭はピタリと手を止めて、ひどく満足そうに目を細める。
その機嫌の良さそうな表情を見て、私は激しく困惑した。どうして? なんで急に、こんな嫌がらせを?
私は彼にとって、大勢いる取り巻きの一人にすぎないはずだ。私がどこで誰に夢中になっていようが、蘭にはこれっぽっちも関係ないことなのに。
それに彼は「弁えている女がいい」と言っていたじゃないか。わざわざこんな所まで来て干渉してくる理由がまったくわからない。彼の意図が読めず、ぐるぐると頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
私が呆然としていると、蘭はチケットを私に押し付けるように渡してきた。蘭は手を止めて、満足そうにチケットを渡す。
「じゃ、外で待ってっから。もう他の男に目移りすんじゃねぇぞ」
……どうしてだろう。少し前の私なら、その言葉が飛び跳ねるほど嬉しかったはずなのに。
今は、私を縛り付ける首輪のようにしか思えなかった。
蘭がチケットを破ろうとしたあの日から、私の世界は変わってしまった。
楽しいはずの時間なのに何も頭に入ってこず、私はライブが終わった時点で逃げようと試みた。
わざと人ごみに紛れてみたものの、彼はすぐさま私を見つけたらしく、背後からがっしりと抱きしめられて身動きが取れない。恐る恐る振り返ると、その表情は予想に反して笑顔だった。
当たり前のように私の荷物を取り上げて「帰んぞ」と言う。財布の入った鞄を取られてしまうと、私は電車にすら乗れない。蘭から逃れることを諦めて、私は彼と一緒に帰った。
それから3日経ち、私の携帯は蘭からのメールと不在着信であふれかえるようになった。一日で大体メールを100通ほど送っているらしく、ほかの連絡は瞬く間に埋もれてしまった。
受信メールを開く気力もないまま、ぼんやり画面を見ていると、着信画面に切り替わった。通話開始ボタンを押せないでいると、やがて諦めたのか着信が切れる。
代わりに、1通のメールが届いた。
件名は「外見て」とだけ。本文を読まなくても分かるようにしたのだろう。
ノロノロと窓辺に近づき、アパートの窓を開ける。視線は、自ずと下に降りた。瞬間、血の気が引いた。
……いる。朝の4時なのに。
蘭は私と視線が合うと、嬉しそうにゆるりと手を振り、そこから歩き出した。待って、まさかこっちにくるの!?
嫌だ怖い逃げなきゃどこにどうやって?
私はパニックになった頭で、クローゼットに閉じこもった。居留守を使えば、あきらめて帰ってくれるだろうという希望的観測によって。そんなことはないとわかっていても、偽物の希望にすがりたかった。
インターホンが鳴らされる。1回。2回。何度も連打されたのち、今度はドアを強く殴りつける様な音。それすらも聞こえなくなった後、鍵の回る音がした。
うそ、なんで鍵持ってるの。
ドアが開いて、閉まる。フローリングが軋んで、誰かがこちらに近づいてくる。
「おーい、いるんだろー? ナマエー、返事しろよー」
体調悪ぃのかー、とやけに呑気な蘭の声が耳に入る。心臓の音が外まで漏れ聞こえてしまいそうで、私は必死に息を殺して潜んでいた。
でも、それだって長続きしないわけで。少し光が差し、一気に視界が開ける。とうとう私は、蘭に見つかってしまった。
「何してんだよそんなとこで」
私が何も答えず黙っていても、蘭は気にした様子もなく話し続けた。
「ま、いーや。それよりさ、これ。オマエに似合うと思って」
押し付けられた袋の中には、銀色の豪奢なネックレスが入っていた。それを受け取った瞬間、私の首に、目に見えない鎖が音を立てて繋がれた気がした。
それからというもの、私の生活はすべて彼に塗りつぶされていった。 どこへ行くにも一緒。何をするにも彼の許可がいる。
携帯は相変わらず彼からのメッセージで埋め尽くされ、他の交友関係は物理的にも精神的にも断たれてしまった。
最初は息が詰まるほど怖かったし、どうにかして逃げ出そうともがいていた。
けれど、人間というのは恐ろしいほど環境に適応してしまう生き物らしい。 私が逆らわなければ、彼は決して私を傷つけない。むしろ、何もかもを先回りして世話を焼き、これ以上ないほど甘やかしてくる。
自分で何も決めなくていい。ただ彼の機嫌を損ねないように微笑んでいれば、すべてが穏やかに回っていく。その圧倒的な拘束は、いつしか「何も考えなくていい」という麻薬のような安堵感にすり替わっていった。
「……何聴いてんの」
ふいに隣から伸びてきた手が、私の耳から有線イヤホンの片方を抜き取り、当たり前のように自分の耳に差し込んだ。
二人の間にぴんと張られたイヤホンのコードが、まるで私と彼を繋ぐリードのようだな、と思った。 少し前なら、この逃げ場のない距離感に怯えていた。
「んー、知ってる曲だと思うよ」
彼の肩にコテンと頭を預けると、蘭はひどく満足そうに目を細めて私の髪を撫でた。今は、蘭のあたたかさが、とてつもなく心地よかった。
……あぁ、もう深く考えるのは疲れた。彼に怯えて、逆らって、逃げる隙をうかがうのもしんどい。 自由はない。けれど、こんなにも執着されて、狂おしいほどに愛されるのも悪くない……。
堕ちていくような心地よい微睡みの中、私はそっと目を閉じて、思考を手放した。
タイトルは腹を空かせた夢喰い様よりお借りしました。
