人魚の襟足・3
ホテルの従業員に話を聞くと、どうも浜辺で殺人事件があったらしい。
やっぱりコナンの死神体質を舐めるんじゃなかった。行く先々で事件が起こる。
「言ったでしょ」
「ボウヤに真剣にお祓いを勧めるべきだな」
「人間の神事が死神に勝てるかしらね」
駄目かあ。駄目だな。自問自答で気を紛らわせながら、従業員が教えてくれた通り、彼らがいるであろう浜辺へと向かった。
浜辺には昼間揉めていた漁師たちと警察、蘭と園子、そして死神ボウヤと博士がいた。
やっぱりかあ、と天を仰いだのは仕方がない。そんな彼はポケットを漁って首を傾げていた。
あの顔を見るにもう謎は解けているようだが、どうせ変声機がないんだろうと推測できる。哀が駆け寄って届けに行った。
「お前ら!」
「やっぱり平和にはならなかったか……」
「ちょっと死んだ目をしてんじゃねーよ…」
「いや、ここまでピンポイントで事件に遭うとこうもなるだろう…」
私は正常な反応をしているまでだと主張したい。
流石にもう死体は回収されており死体は見ずに済んだ。水死体ほど目にしたくもない死体はないからな。
その時、どうやらコナンにお使いを頼まれていた様子の少年探偵団たちが何やら沢山物を持ってこっちに駆けて来た。どうやらトリックの種明かしをする為のアイテムのようだ。
タライにバケツ、貝殻、ヒトデの死骸なんて何に使うのか皆目わからないが、ほぼ部外者である百合はどうせ何もわからないのだから、見物に徹する事とする。
(……星、綺麗だな)
米花町もシカゴもワシントンも、町の光が眩しくて星なんて見えなかった。
その代わり、イラクではよく星が見えた。
空気が乾燥していて、空が高く星々も澄んで見えて。夏の夜は涼しいけれど、冬は氷点下を下回る。
凍える程寒い夜を、死体から剥ぎ取った服に包まって、気温に冷やされた冷たい銃身に身を寄せて眠った。眠れない時は星を見上げた。
冷たい夜は安心した。落ち着いて星を見上げる事が出来る孤独な夜は安心した。他者の気配や温もりは酷く気分が落ち着かなかったから。
星がこんなにもはっきり見えると、そんな故郷での夜を酷く鮮明に思い出せた。
「どうした?」
「いや、星がよく見えるなと」
「…そ、そうか」
殺人現場でなんて似つかわしくない感想なのだろうとコナンは顔を引きつらせたが、彼は準備が終わったのか直ぐに博士の方に戻って行った。
博士を麻酔銃で眠らせるのかとも思ったが、博士に推理を話させる場合は後ろにくっついて変声機で喋り、博士に口パクをさせるようだ。また綱渡りをする、と苦笑う。
暫くして、阿笠博士の口パク推理ショーが始まった。
饒舌に語られるトリックをBGMに、再び星を見上げた。焼けた砂の匂いが、酷く故郷を思い出させた。
結局、殺人事件の犯人は漁師たちの中の一人だった。身内を殺された恨みからの犯行だったらしい。
憎い相手と同じになってまでと嘆く仲間に、犯人の男は勇気を振り絞ってまでやり遂げたのに、と逆上した。
その時、ずっと犯人の言葉を聞いていた蘭が静かに「……だめです」と呟いた。
「『勇気』って言葉は、身を奮い立たせる正義の言葉。……人の命を奪う理由なんかに使っちゃ、だめです」
「……………」
彼女の言葉に、犯人は返す言葉もなく、静かに目を伏せた。
(正義、ねえ)
どんな理由であれ、どんな過去であれ、人を殺す事は決して許されない事。それを前提にして振るえる言葉である。
故に正義という言葉は百合には全く響きもしなかった。
百合は生きる為に人を殺し、生きて行く為に人を殺してきた。それが悪だと思った事は一度も、一瞬たりともない。あの漁師は殺しを行う為に勇気を振り絞る必要があった。
その勇気を大義として振りかざし殺人を犯したのならそれだけ彼は立派な復讐を果たしたと考えるのが百合だ。実に冷徹過ぎる考えだ。だが、感情というものを誇張し換算しても、それが精々の感想だった。
殺す事に、余計な大義や私情を交えると碌なことにならない。
(それは、人の命を報酬で換算する私ならではの考えなんだろうがな)
殺す予定の人一人に、人生をかけるなんて、非合理的だ。
だから百合は依頼を聞き、数秒もかけずに殺害を決意する。殺害する瞬間、ナイフを持つ手も引き金を引く指も、0.01秒の躊躇いもない。0.01秒の躊躇いがある程度の決意なら、戦場なら死んでいるだろう。
殺人は悪い事。この平和な日本の中で育まれたモラルで出来たバックボーンの下の精神論。
百合にとっての殺人は、急所を切ったり撃てば数秒で終わる行為の事を指す。そこに必要なのはモラルではなく合理性だ。
明美を喪った時だってそうだった。
煮え滾るような怒りがあった。憎しみがあった。それでも、感情に突き動かされる事なんてなかった。
(ボウヤ達からすれば、この考えはサイコパスなのだろうな)
空が白んでいく。
あっという間の夜が明けて、星が消えていく。
背後にいた哀が、あれ程警戒していた蘭に自分から近づいて行った。水平線からこぼれる朝日に照らされて、彼女たちの交流は眩かった。
無垢だと思った。
奪うことを知らない手だ。醜さを知らない手だ。
生きている世界も考え方も価値観も違う。
それは決して悪いことではないはずなのに、今ここにいる自分が酷く異物に思えた。
(私、幽霊みたいだ)
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