「変な島があるぅ?」

訝し気に声を上げたのはビィだ。
変な島がある―――そんな情報をグラン達に提供したのは馴染みあるよろず屋シェロと、同じくその情報を握っていたユーステスだった。
ユーステスもグランサイファーの、騎空団の団員ではあるが元は巣である組織に属した身だ。
暫くユーステスは艇から姿を消していた。組織の任務だとは聞いていたが、シェロからの依頼の詳細を聞くために訪れた先に姿を現すとは予想していなかったので驚いたものである。

「変な島…っていっても、どんなふうに変なの?その島の地形や風土による特徴って線もなくはないと思うけど」
「一つ目は気流なんですよ〜。並みの騎空挺では近づく事すらできない複雑な風が吹いてるんです〜」
「…自然発生している気流ではなく、明らかに島から発生している」
「その風で、艇が吹き飛ばされちゃうんですか?」
「吹き飛ばされる、という程ではないんですが〜、下から突き上げられたかと思えば上から叩き付けてくるような風のようで〜、艇が安定せずにどんどん流されてしまうそうなんです〜」

気候にも影響を及ぼしているとなると、星晶獣が関わっている可能性もある。
風と聞けば思い浮かぶのはポート・ブリーズの守り神であり星晶獣・ティアマトだ。ルリアを通してティアマトに触れたグランは、ティアマトの本質は穏やかな凪であると知っている。
空を泳ぐように移動する騎空挺にとって風は命と同じものだ。その風に牙を剥かれてはたまったものではない。

「でも、気流だけでも大変そうなのに一つ目ってことは他にもあるんですか?」
「そうなんです〜。実は、その島は全空の生態系とは異なった、独自の生態系を確立しているようなんです〜。というのも、その島が見た所大樹に飲みこまれているような姿をしているんですね〜」
「ルーマシーのような森ではなくて、まさか一本の木に?」
「いえ、複数の大樹が絡み合っているようなんですよ〜。その島にしか存在しない独自の進化をした品種のようで〜、なんでも大砲を数発受けて傷一つつかなかったそうで〜」
「嘘だろぉ!?それ本当にただの樹なのか!?」
「ひょわぁ……」

ビィのひっくり返った声と、ルリアの唖然とする声を背景に思考する。
確かに、変な島だ。まるで島自体が意思を持って外部からの干渉を拒んでいるようにも感じる。

「もしかしてユーステスが此処にいるのって、その島に何かあるの?」
「任務だ」
「任務かぁ…でも並の騎空挺じゃあ駄目なんでしょ?僕達に手伝わせてよ」
「危険すぎる。それにこれは…」
「遠慮すんなって、仏頂面の兄ちゃんは水臭えなあ!」
「そうですよユーステスさん、ユーステスさんから頼ってもらえたらラカムさんやグランは喜びます!」
「…とても安全な道ではない。いいのか」
「僕だってその島の事気になるし、もしも星晶獣の事なら力になれるかもしれない」

とことんお人好しな少年たちだ。危険だといっているのにそれでも進んで人の助けになりたがる。
危なっかしくはあるが、そんな彼らが周りに齎す『平穏と静寂』は、ユーステスが何より愛し尊ぶものそのものだった。




艇が激しく揺れる。突き上げられ、叩き落されたと思いきや弄ぶように横に弾かれ艇内は阿鼻叫喚だ。
ラカムが冷や汗をかきながら舵を取るグランサイファーでこの状況なのだから、以前この島に挑んだ騎空挺は如何程の被害だったのか想像したくもない。
難攻不落の島―――テセウスが放つ乱気流は咆哮の如く唸りを上げていた。

「っルリア掴まっていろ!私から離れるな!」
「カタリナ…!」

カタリナにしがみ付くルリアがふと、面を上げた。ふと過ぎった、慣れ親しんだ気配。
尚も咆哮を上げるテセウスへ向ける青い眼差しが揺れた。

「星晶獣…」
「何?」
「テセウスから、この風から、星晶獣の気配がするんです!ほんの少しだけ、今にも消えちゃいそうだけど…!」
「ならそいつを黙らせれば、島へ上陸できるってこったな…!」

解を得たラカムが勢いよく舵を切った。

「ルリア、看板へ!星晶獣を誘き出す!掴まってて!」
「俺も同行する」
「ユーステスさん!」
「そもそもこの状況は俺が元だ。責任は取る」

フラメクの雷を構え、グランとルリアの足取りを支えながらユーステスは看板へ躍り出た。
乱気流は雲の質さえ変え、穏やかな白だったその色は重い灰色へと変貌し冷たい風を運ぶ。
踏ん張らなければユーステスの身体さえ紙のように吹き飛ばしてしまいそうな風だ。片腕で子供二人をしかと捕まえながら看板のロープを手繰り、飛ばされないよう身体を固定する。

ルリアが両腕を前へ突き出し、力を絞り出す。風の唸りが変わった。
風がやがて一つの形に収束し始める。それが朧気な女の姿に変わった瞬間、ユーステスは銃口を向けた。
女は苛烈な風を向け乍ら、それだのに安堵したような―――目を細めて、泣きそうな顔でこちらを見ていた。
しかし、引き金に掛けてしまった指を今更止める事など、できなかった。

「フラメクの、雷―――――蒼天を焦がせ」

撃ち放たれた青いいかずちが女の身体を真っ直ぐに撃ち抜く。悲鳴が空に轟いて、ユーステスの耳を劈いた。
しかし、途端にあの荒れ狂う暴風が止んだのにも気づく。

ラカムがこれ幸いと舵を切り、グランサイファーは恐らく全空で初めて、難攻不落の島テセウスへ上陸した。



「しっかし、おっかねえ風だったな…ここ最近で一番肝が冷えたぜ」
「あたしはちょっと船酔いしたかも……」
「私はまだ足元が揺れている感覚がするぞ…」

イオとカタリナがやや青い顔をして島に降り立つ。
ラカムも操舵手としての意地なのか顔色こそ平時なものの未だ冷や汗が止まらないようだ。

「何だか様子がおかしかったわね、あの星晶獣」
「私も感じました。あの星晶獣は必死で、何かを…守ろうとしている感じがして…でも、ユーステスさんに攻撃される直前、嬉しそうな、安堵したような感情が、流れ込んできて…」

ルリアの言葉に、星晶獣同士として何かを感じ取ったロゼッタが彼女の肩を抱いた。
あの星晶獣は何かを守っていた。全てを拒む暴風は、外界の脅威から何としてでも守りたいものがあったのだろう。
それでも一瞬ルリアに流れ込んだ彼女の感情は酷く安堵して、解放されて、泣き出したいくらいに優しいものだった。

「…つまり、あの星晶獣が守らなければならない程のものがこの島にはあるという事だ」

何かがあれば報告しなければならない。ユーステスの声はいつにも増して硬かった。
それらの声に耳を傾けていたオイゲンが、蔓を掻き分けてポツリと漏らす。

「ありゃあ、子を守ろうとした母親の顔だぁな……」



足を踏み入れたテセウスは天然の要塞と名称しても差し支えなかった。
独自に進化したのだという植物はその全てが鎧のように固い幹で行く末を阻む。星晶獣が介入したのだろうか、ロゼッタの手を以てしても容易に進めない。
ルリアが微かに感じるという先程の星晶獣の気配を辿り、疲れを押して歩みを進めた。
天まで覆う樹木の壁に時間の間隔さえ狂い始めた頃、ふと漂った甘い香りが鼻を掠めた。

「……花の香りよ」

ロゼッタの呟きと同時に、最後の蔦を切り開く。
身を縮めながら歩まねばならなかったほどの狭い道が突如開けた。広間だ。
古けた石畳の隙間から伸びる草花。朽ちて倒れた石の柱。天からは眩い光が降り注ぎ、その先には匂い立つほどの若葉が生い茂り瑞々しい花が咲き乱れ、色とりどりの蝶や鳥たちが飛び交う、宛ら楽園のような光景が広がっていた。
きれい、と呟いたのは誰だろう。嵐のさなかにあるとはとても思えぬ神秘だった。

そしてその中に、フラメクの雷に貫かれたあの星晶獣が横たわっていたのにいち早く気付いたのはルリアとグランだった。
彼女は視線だけをグラン達に向けた。その瞳に敵意などなく、ただ穏やかで慈愛に満ちたものだった。
その中の誰もが久しく向けられる事のなかった眼差しだった。

《―――ああ、汝は、きっと害さないでいてくれる。汝を、待っていた。幾星霜もの刻を、ずっと……》
「………貴女は…?」
《我が名は、…カシオペイヤ。このテセウスで、ひとつの命をずっと守っていた…》

彼女がゆっくりと指示した先には古い神殿のような建物があった。朽ちており原型を留めてはいなかったが、明らかに何かを祀っていたのだろう。
泣きそうな顔で彼女は笑っていた。心底安堵したような表情だった。
ルリアがゆっくりと歩み寄り、カシオペイヤの頬に触れた。一粒の涙がルリアの手を濡らす。
星晶獣も涙を流すのだ、その光景に見入る。

《あの子をまもってほしい、妾には、もうその力がない》
「あの子?」
《妾は…居場所を、この島を、この美しき命たちを創った…あの子に、報いたかった…幾度もの狼藉があった………それでも、妾は、妾達は…その度に…この、楽園を…あの子を、守って……ああ……》
「カシオペイヤ、貴女」

ロゼッタが紡ごうとした言葉に、カシオペイヤはひどく美しく微笑んだ。
深い安堵と歓びをたたえて、その眦が閉じていく。身体が淡い光に包まれていく。命が、消えていく。

《―――アンドロメダ…あなたに、このいのち…を…還します―――――》

ルリアの手をすり抜けてカシオペイヤの姿が光に変わる。収束し、光が消えると先程までカシオペイヤが横たわっていた場所には一羽の蝶がはためいていた。
蝶が神殿の中へと羽ばたいていく。

「グラン、」
「……追おう」


神殿の中も朽ち果てていた。砕けて落ちた天蓋から光が降り注いでいる。
舞った塵が光の粒に見える。見たこともない虫や鳥、花が神殿内に息衝いていた。
蝶は進む。やがて蝶が留まった場所で、グラン達も足を止めた。

「――――――女の子が、います」

天蓋から差す光の中で、花や蝶たちに囲まれて、少女が眠っていた。
蝶が少女に留まると、蝶はゆっくりと彼女に溶け込んでいくように消えていく。途端周囲に飛んでいた鳥たちが一斉に羽ばたいていった。

光を反射してきらきらと光る極めて長い髪が全身を覆っている。何も身に纏っていないその身体は痩せ細っていた。
その痩躯が身動ぎし、一瞬で空気が張り詰めた。
グランがルリアを下がらせるのと同時にユーステスが一歩、少女に歩み寄った。
何故かそうしてしまった。あのユーステスの一撃がカシオペイヤを致命させたからなのか。
――恐らく、彼女にとっての『平穏と静寂』を奪った形となった事が引っ掛かっているのか。フラメクの雷に指をかけたまま、ユーステスはしゃがみ込み少女を抱き起こす。
長い髪を掻き分けて現れたその容貌は作り物めいていて、それ以上に―――思わず息を呑んだほど、美しい顔立ちをしていた。
不思議ないろの睫毛が震えて、だがそれは開かれる事は無い。
身動ぎ、呼吸、気配からして恐らくこの少女が目を醒ましたのだろう。だが目を開く気配がどうしてもないのだ。
警戒しながらロゼッタが少女を覗き込んだ。

「……恐らくだけど、この子自分で瞼を開ける程の力もないんだわ」
「そ、そんなに衰弱してるの!?」
「いいえ、衰弱しているというより…まるで赤子ね。生まれたばかりの赤子は自力で目も開けられないもの。この子の気配はそれだわ」

その推測を皮切りにラカムやオイゲン達も駆け寄って少女を覗き込んだ。
薄く息をしている少女に、妻と子を持った経験のあるオイゲンが顔を顰めた。

「どうする、団長」
「グラン…」

選択を委ねるユーステス、そしてどこか縋るようなルリアの声がグランに投げかけられる。
グランの心は既に決まっていた。

「……この子をグランサイファーで保護しよう」




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