最後に聞きたかった、ただそれだけだった。

全身の力を抜き、冷たい銃の引き金を手放せる、たった七文字の魔法の言葉を。





「ふわふわだぁ…!カタリナ見て、可愛い!」
「可愛いなあ…!ふわふわだ…」

蕩けるような笑顔を見せるルリアとカタリナに、グランとビィは顔を見合わせて笑った。今日も平和である。
ルリアの腕の中で大人しくしているのは、心優しい者にのみ心を開くという白い鳥だ。
依頼を終えて暫く休暇を取ろうと騎空挺を停め、ルリアたちを連れて街を降りたのは正解だった。

――――帝国、パビヂチーリ。依頼を受けた後立ち寄った最寄りの空域で最も栄えている国だ。
ウェールズと不可侵を結び、嘗てフェードラッヘとも交流のあった歴史ある軍事国家である。
現在グラン・サイファーが停泊しているのはパビヂチーリの近郊の村だが、綺麗な花と美しい水で満ちた穏やかな雰囲気と村人の温かな出迎えは依頼で疲弊した団員たちの心を癒した。
暫くこの村を楽しんだらパビヂチーリに行こうかと皆で話し合い、解散した後にルリアたちの腕の中に飛び込んできたのは、村で幻の鳥と呼ばれている白い鳥だった。
ルリアの胸にすり寄る鳥は心の底からルリアに身体を預け切っている。

「それにしても、優しい奴にだけ懐くってのはどういう事なんだろうな」
「何でも、相手の心に触れる鳥らしい。相手の心に触れ、その在り方を映し出す鏡のような鳥なんだそうだ」
「じゃあルリアはすごく心優しくて綺麗なんだね」
「えへへ、そうですか?」

幸せを呼ぶ鳥だと村人たちはにこやかにルリアたちに教えてくれた。
だが、その鳥にはもう一つ特徴があるのだという。

「そういえば、その鳥はミセリコルデと呼ばれているらしい」
「ミセ、…何だって?姐さん」
「ミセリコルデだよ、ビィ。慈悲、って意味を持ってるんだって。何でも、優しい心の持ち主以上に――――」
「あっ、鳥さんが!」

丁度人通りのない路地へ差し掛かったその時、グランの言葉を遮るようにミセリコルデがルリアの腕から飛び立った。
今日はよく晴れている。その白い羽は良く映えるだろうに、それは大空へ舞い上がる事はなかった。
グラン達が進もうとしていた進路にいた先客の下へミセリコルデは飛んでいき、やがて肩へと止まった。
ミセリコルデがその人物に対してはルリアよりも強く、ややしつこくすり寄っているように見える。

背中を向けているが随分と背が高い、男性だろう。
目深く被ったフードに二つの山が出来ている所を見るとどうやらエルーンのようだ。

「鳥さんが……」
「ン?こいつは嬢ちゃんのかい」

ルリアのやや名残惜しそうな声に、男が振り返った。
血のように赤い視線が射抜く。グランの隣でカタリナが息を呑むのが分かった。
190はあろう長身が、グラン達を真直ぐに見下ろして射止めている。凍り付く程覇気を感じるのに、冷たさなど一切感じない穏やかな目だった。
その絶世の美丈夫は肩に留まったミセリコルデを慣れた手つきで降ろすと、呆けているルリアに「ほれ」と手渡した。

「そいつは野良猫より気紛れで移り気だ、しっかり捕まえたまま大通りへ引き返しな」
「っへ?えっ、」
「お前さんらここに来たのは初めてだろう。こんな鳥抱えてそんな綺麗なナリしてこんな所に入り込んじゃあいけねえな」

複数の気配と息遣い。自分達以外の気配に、一瞬で緊張が走った。
―――囲まれている。気配の消し方からして恐らく素人だが、息がやけに荒い。何かに興奮しているのだろうか。
男はハァ、と溜息を吐いて懐から煙草を取り出し火をつける。嗅いだ事のない銘柄の香りがした。

「あいつらの狙いは俺だよ」
「え…?」
「お前さんらは別に関わらんでいい。さっさと行きな、あとはどうにでもなる」

穏やかな声、穏やかな視線、穏やかな表情。どこか新鮮で懐かしささえ感じるそれは、グランが騎空士となってから久しく感じなかった『子供』への慈しみそのものだった。
いや、グランだけではない。ルリアにも、ビィにもそれらは降り注ぐ。
心の底から安堵を与える、子供を庇護する大人のそれだった。この男はグラン達を暴漢共から守ろうとしている。
ぶっきらぼうで投げやりな言葉遣いでそれらを覆いながら。

初めて、それもたった今出会ったばかりであるこの名も素性も知らぬ男に対して安堵感を覚えてしまっていた。
だがそれに流されそうになるのを、戦士としての己が振り切る。腰に下げていた剣を抜いた。

「僕も手伝うよ。僕だって騎空士だ、自分の身くらい自分で守れる」
「は?」
「ふふ、グランならそういうと思っていたさ。ルリア、ビィくん、私から離れるなよ」
「うん!」

男は呆気にとられたように目を少し見開いた。そして少し困ったように眉を下げる。

「…おいおいお前さんら。進んで厄介事に首突っ込むこたぁねえぞ、今なら俺と偶然すれ違っただけってので誤魔化せんだぞ」
「なんだ、訳ありか。だが困っている人間を捨て置いて安全圏に逃げられるほど非情な人間でもないのでな、私達は」
「グラン達のお人好しっぷりは全空一だぜ、全くよぅ!」
「そういうわけなんだ、お兄さん」
「…………………それはアレか、俗にいう騎士道精神ってやつか?」
「そうなるのかな?僕は騎士じゃないからわからないけど、周りにたくさんいるから影響されたのかもね」
「ハァ……………やっぱり、性に合わねえなあ…」

フード越しに頭を掻いて、また大きなため息を吐く。
そんな男とグラン達の前に、漸く気配が物陰から飛び出した。
ざっと20人ほどだろうか、思ったより数が多い。男は気だるげにそれを見渡している辺りどうも手慣れている。

「見つけたぜぇ、手こずらせやがって…!」
「これで引き摺ってきゃ俺ら一生遊んで暮らせますぜお頭ァ!」
「その後ろのガキ共はお仲間かい将軍さんよォ」
「いーや、偶然すれ違っただけの天下一のお人好し共なだけだ。無関係さ」

(将軍…?)

そのキーワードに一瞬カタリナの脳裏に何かが過ぎったが、あまりに些細なことであったため掻き消えてしまった。

「無関係ねえ。なら、そのガキ共も殺しちまうのかい?将軍さん」
「…………さァね、好きに妄想すりゃいいさ」

その言葉に一瞬、男の瞳に影が差した。だがそれも一瞬で、次の瞬間には不敵な光が宿っていた。
カタリナとグランは剣を抜いた、目の前の敵たちも銃やナイフをチラつかせている。男はいつまで経っても手札を見せない。ただ煙草をふかして様子を窺うまでもなく、敵を見遣っている。
余裕があるように振舞っている、というわけでもない。多くの戦士達を見て来たグランには余裕があるように見えるのと、興味がない振る舞いの違いは分かる。
此の男の振る舞いは、後者だ。彼らを敵とすら見ていない。

「舐めてんのか、てめえ!」
「来る!」

皮切りだ。雪崩れ込むように此方へ走ってくる。男は依然煙草を吸っている。
グランとカタリナは体勢を低くし構えた、その次の瞬間グランの頭上を何かが掠めた。

「なってねえなあ、お前さんら」

男の声だ。ひどく気だるげな様子で足を掲げている。数人が地に伏せている。
何があったのだ、と考えて一瞬後、グランは漸く一瞬前に己の頭上を掠めたのが男の長い足だと気付いた。
グランの頭上を掠める程足を高く掲げ、たった一度の薙ぎで数人を蹴り飛ばしたのだ。顎を打ち据えたのだろうか、起き上がる気配がない。
手は煙草を持ったままだ。凄まじい体幹である。

「体幹と腕の動きがバラバラ、足もダバダバ、タコのがマシな動きするぜ。腰を使いな、腰を」
「コケにしやがってェ!!」
「されたくなけりゃちったぁオツム使え」

数人、また数人。男は足一本しか使っていないというのに彼らの攻撃は一度も当たらず、次々と戦闘不能になっていく。
キレが違う。威力が違う。身のこなしも、しなりも、身体の柔らかさも違う。
男の長い足は時折槍のように、と思ったら次はムチのように、まるで生き物のように的確に急所を狙う。

「弱ぇ、弱ぇな。俺の首はんな安かねえぞ。ハァ〜…舐められてんのはこっちだっつの、それともオツムが足りねえのは上か?」
「何言って、ガァッ!!?」
「オラオラオラいつまで舐めプしてんだ!こっちは足一本っつうハンデをくれてやってんのに、もう煙草吸い終わっちまうぜ」

グラン達は武器を使っているというのに丸腰の男はグラン達が3人倒せば既に6人目を始末している。
瞬く間に狩り尽くされ、気がつけば地面には20人ほどの死屍累々が積み上がっていた。


結局吸い終わらなかった煙草をふかし、男は欠伸をする。眠たげな顔がグランへ向いた。…抜けるような白い肌の下に、うっすらと隈が出来ているのに気づいた。

「悪ぃな、面倒事に付き合わせちまってよ」
「いや、結局貴殿が殆ど片付けてしまって我々は出る幕がなかったようだった」
「…そういう意味ではねえんだが…まあ、いいか。お前さんら、この付近に来るのは初めてなんだろう?だったら気をつけな、この辺は今騎空士共や賞金稼ぎ共で溢れ返ってピリピリしてる。下手な騒ぎを起こさねえようにした方が身のためだ」
「この辺、って…パビヂチーリも?」
「アー…お前さんらの目的地はそこか?依頼かなんかでも?」
「ううん、寧ろ休暇で。暫く忙しかったしこの辺は初めてだから」
「なるほどな、道理で」

男は穏やかに笑んだ。慈しむような、安堵するような表情はどこか野性的ですらある怜悧な美貌に不思議と似合っていた。
嗚呼、本当に美しい人だと思った。かっこいいだとか、渋いだとか、其れよりも前に純粋にそう思える。
その美貌をフードやら何やらで覆い隠してしまうのがどこか勿体ないとすら思えて仕方がない。

「まあ…パビヂチーリは良い所だよ。パビヂチーリに着いたら『タスカー』って名前の飯屋がおすすめだ。手ごろな値段で味も良い、何よりそこの女将は良い人だ。パビヂチーリの事なら女将が一番よぉく知ってる」
「分かった、行ってみる」
「ああ、それとこれは忠告だ。お人好しで節介焼きなお前さんらに一番よく効く忠告だと願いたいね。……パビヂチーリの王と宰相には決して気を許すんじゃねえぞ。特に嬢ちゃん、お前さんだ」
「えっ私ですか?」

ルリアを指して『忠告』だと釘をさす男に、グラン達は訝しげな視線を送る。
男は穏やかに微笑むだけだ。打算も何もない、ただ穏やかなだけの―――遠くを見るような目で。

「別に鵜呑みにしなくてもいい、ただ頭の片隅には入れときな――――と、長居しすぎたな」

随分と短くなった煙草を手の中で揉み消して、男はグラン達に背を向けた。
倒れている男達の数人、恐らくボスであろう男と一緒に引っ掴んで引きずって行く。
彼らの様子からして、お尋ね者なのだろうか?いや、それにしては、とどうしても引っかかる何かが喉の奥から出かかっている疑問を堰き止める。
ああ、行ってしまう。

「待って、お兄さん、名前は!?」
「グラン?」

ビィが驚いたようにグランを見たが、ルリアは驚く事は無く同じ問いをしたかのように真っ直ぐに男の背中を見ていた。
男の足が止まった。
ゆっくりと、赤い眼が振り返る。困ったように笑っていた。



「―――――――リューダチカ、とでも」