リューダチカの情報を集める為に、まず彼に与えられた情報から手繰るのが最寄であるというのが満場一致の意見だった。
記憶が弄られているグラン達が唯一覚えていた情報、彼が知っていた店『タスカー』へ向かう。
そろそろ昼だし、ルリアの腹が鳴ってくる前に腹ごしらえをしておくという名目もあった。

「ボルシトゥ楽しみだね、ルリア」
「はいっ!もうお腹ペコペコです〜!」
「私も興味があるな、この付近は独特の文化で発展してきたから…ん?何やら騒がしくないか?」

タスカーへ向かう為の路地を歩いていると、進行方向の先が何やら騒がしかった。
何か揉め事でも、と思った矢先何かが割れる音と怒号が立て続けに聞こえてくる。
真っ先に駆けだしたのはグラン達で、それをカタリナ、パーシヴァル、ラカムと続く。発生源では数人の男達が初老の女性一人を取り囲んで恫喝をしている様子だった。

「もうわかってんだよババア、ここに将軍サマが隠れてんだろォ!?さっさと出せや!」
「こんな所にあの馬鹿がいるもんかい!とっとと帰んな!アンタらに跨がせてやる程ウチの敷居は低くないんだよ!」
「アンタ懇意にしてたんだろ?守ってくれてた番犬はいないぜババア、大人しく出すもん出しな」

「――――頼みごとにしては低俗且つ下品極まりないな」

舌打ちを零したパーシヴァルが「下がっていろ、家臣共」と一言置いて一歩前に出る。
圧の籠ったパーシヴァルの声に男達が気付いた。一瞬の間を置いた後、男達の顔色がサッと引く。

「えっ炎帝パーシヴァル!?なんでこんなとこにいんだよ…!」
「クソッ知るかよ!敵いっこねえ、ずらかるぞ!」
「二度と来るんじゃないよ小僧共ォ!」

尻尾撒いて逃げて行った男達に唾ごと悪態を吐き捨てた老婆は、パーシヴァルとその後ろにいるグラン達をじっと見つめて頭を下げた。
きりりとつり上がった目元は彼女の気の強さをしっかりと体現している。
しゃんと伸びた腰やきっちりと纏められた髪は清潔感があり、皸だらけの手は働き者の手だった。

「怪我はねえかい、ばあさん」
「あんな腰抜けに後れを取る程腑抜けちゃいないよ!でも助かったよアンタたち、最近ああいうのが一気に増えて辟易していたのさ」
「…星墜としが此処に隠れてる、って噂、流れてるんですか?」
「ああ…やっぱりアンタ達も、将軍様を追って来たクチかい?」

ふと、気の強そうな老婆の瞳に悲しみの影が過ぎった。
―――懇意にしていた、と言っていた。つまり彼女は星墜としを知っている。

「期待に応えられなくて残念だけど、わたしゃ本当に何も知らないのさ」
「いや、星墜としの行方よりも今は優先事項があって…そうだおばあさん、この辺にタスカーってご飯屋さんがあるって聞いたんだけど、場所知ってる?」
「ん?なんだいあんた達ウチに飯を食いに来たのかい?タスカーってのはウチさ」
「えっ!?」

老婆は二ッと笑って、背後の家を指した。小さな看板に確かにタスカーと書かれている。
目的地だったとは、と顔を見合わせるグラン達に老婆は笑いながら「お上がりよ」と招いてくれた。
もう感覚すらなくなってしまいそうな寒さから一転、小さくて狭いながらも店の中は暖炉で温まっていた。
「アンタたちは恩人さね、サービスしとくよ」と快活に笑う老婆は―――なるほど、確かに彼が言った通りに「良い人」なのだろう。

「おばあさん、あの、ボルシトゥってありますか?」
「もちろんあるとも、郷土料理だからねえ。でも決まったレシピはないんだ。ビータっていう赤いカブを使ったスープなら全部ボルシトゥなのさ」
「そうなんだ、じゃあ各々の家庭で全部味や具が違ったりするの?」
「そうだよ。私が作るボルシトゥだって、母親から代々受け継いできたものだからね」
「わあ…グランサイファーでも、ローアインさんやファスティバさんに作ってもらいましょうよ!グランサイファーオリジナルのボルシトゥ!」
「おっいいアイデアじゃねえかルリア!」

カウンターでワイワイと話を膨らませていくルリアたちを、厨房から老婆は微笑んで見守っている。
その目は、やはりどこか寂しそうで、遠くを見ているようだった。
先程の、星墜としの話の時と同じ悲しみの影が過ぎる。――彼を思い出しているのだろうか。
彼女の知る星墜としは、一体どんな男だったのだろう?



「美味しかったです〜〜!」
「ハァーッ…お嬢ちゃんアンタ、そんな細っこい身体のどこにあんな量入っちまうんだい…」
「それはウチの騎空団の七不思議のひとつだよね」
「えっそうなんですか!?」
「知らなかったのかよ」

運ばれてきた大盛りのボルシトゥを瞬く間に完食してしまったルリアに老婆は度肝を抜かれた様子だった。
やはり初見には刺激が強かったか。パーシヴァルも今でこそ慣れたものの、最初は彼女と同じように引け腰だったのを思い出す。

「それにしてもアンタ達良くウチを知ってたねえ。この店は常連しか来ない古い店だってのに」
「ああ…ある人から教えてもらって。美味しくて、ここの女将さんならパビヂチーリの事を一番よく知ってるって」
「誰だいそんな買い被った情報を教えた馬鹿は」
「女将殿は知っているか?……彼はリューダチカ、と名乗っていたのだが」

パリン、と老婆が手に持っていたカップを落とした。
手が大袈裟なくらいに震えて、「ああ、ああ」と震えた声を上げる。
割れたカップに見向きもせず、老婆はカタリナに駆け寄って肩を思い切り掴んだ。

「おっ女将殿!?」
「リューダ、リューダチカと名乗っていたんだね!?背が高くて、エルーンの…赤い瞳の………」
「そ、そうです!そんな見た目でした!逃げてしまったミセリコルデを捕まえてくれて…」
「ミセリコルデ……慈悲の鳥を、………ああ……ああ……!」

とうとう瞳から大粒の涙を零して、老婆は泣き崩れてしまった。
あれだけ男たちの前で気丈に振舞っていた様子からは想像も出来なかった姿に、しがみ付かれていたカタリナは老婆の肩に手を置いて擦っていた。



取り乱してすまなかったね、と先程の狼狽っぷりを思わせない落ち着いた声で彼女は切り替えた。
割れてしまったカップも片付けて、全員分と自分の分のコーヒーを入れてカウンターに腰掛ける。
あの涙は悲しみからくるものではなく、心の底からの安堵からくる涙だった。

「…リューダチカというのはね、この国では愛称なのさ。『〜チカ』はあんたらの国で言う君やちゃん付けと同じようなもんなんだよ。あの男の名前はね、リュドミールってのさ。あんたらならもう知ってるだろう」
「…………じゃあ私達が会ったのは、そもそも星墜とし本人だったというわけか………」
「そりゃあ術があるなら僕らの記憶に細工なりなんなりするよね。…でも、」
「………国王さんが言っていた事をするような人には、とても見えませんでした」
「…私も同感だ」
「オイラもそう思うぜ」

己も育った施設にいた小さな弟妹達を全て虐殺した――――彼が?
ぶっきらぼうで不愛想な態度と口調ではあったがとても穏やかで、親しみがあって、慈愛で満たされていて。
あんなに分かりやすく「子供が好き」だと伝えてくる人が、と考えてどうしても引っかかってしまった。

「あの子が子供達を虐殺だなんてそんな事するはずないよ。一から十まで子供達の為に生きて戦ってきた男なんだ、あんまりだよ…あの子は被害者だ…!」
「おばあさん…」
「子供達を殺されて一番辛いのはあの子のはずなのに、…ミセリコルデがあの子の傍に行ったのが良い証拠だ、リューダチカは悲しみの中にいるに違いないよ…」

――――ミセリコルデ。慈悲の名を冠す鳥。
人の心に触れる事が出来る為、優しい心の持ち主にしか懐かない。
だがその真髄は、その名の由来にもなった性質である。ミセリコルデは傷つき疲弊した心に自ら触れに行き、すり寄り、その心の主の代わりに涙を流す鳥だ。
あの鳥は、ルリアから飛び立って彼の元へと降り、彼にすり寄っていた。慰めるように。
リュドミールの言葉、合わない辻褄、そして老婆の言葉。本当に、星墜としは罪を犯したのだろうか?

「わたしは、あの子を信じている」

祈るような老婆の声が静かに響いた。





「…小僧、お前は戻りな」

白銀のライフルを手入れしながら投げた言葉に、背後で控えていた褐色のエルーンは銃の手入れから視線を僅かに上げた。

「お前と協力者、二人で捌ききれるのか」
「長期的にみりゃ無理だ。だがお前が此処に留まってはガキ共の方が手薄になる。害されるのはお前さんの望むところじゃあねえと思うがな」
「死ぬつもりか」
「…それが運命であればな」

灰青の瞳を細める。その先にある赤い瞳は淡々と己の死を客観視しているようだった。
クーデターを完遂させる事。それが組織から与えられた任務だ。
結果的にこの男の―――リュドミールのバックについて情報を撹乱し、この男を然るべき時まであの国王たちの目から隠す事が任務の主な動き方となったが。

「……お前『は』、手放すなよ」

星を墜とした男は、こんなにも静かに祈るのだと知った。
名誉も、地位も、―――平穏と静寂も何もかも手放して地獄に身を置く事を選んだ男の祈りは身を伴っている。
ただ任務を完遂すればいいと思っていたが、リュドミールの傍で戦い続けている内に芽生えた『それ』に、従わなければ悔いると確信した。

「あのガキ共の傍には炎帝パーシヴァル、雷迅卿アルベール、白竜騎士団団長ランスロット、副団長ヴェイン…腕は信頼できる奴らがいる。だが、……お前がいるなら、俺も安心できる」
「…俺では力不足か」
「逆だ。俺はお前とジークフリートを今何よりも信頼している。…だからこそガキ共を守れ」

ああ、やはり。この男は優しすぎる。その優しさが今も尚その身を滅ぼし続けているというのに。
そしてまた、この男は一人で滅びゆくつもりなのだろう。
為すべきことをした後に、今までのように、たった一人で。

(柄ではないが、)

生まれる世界を間違ってしまった聖者である男へ。
――――ユーステスは祈った。彼の銃の燃料にもならないであろう、ささやかな祈りだ。


(少しでもいい、この男が迎える終わりの中に、この男にとっての救いがあるように)


焦がれたほど優しい男へ、静かに目を閉じた。