「あらあら」

女は一人、森の中で佇んでいた。
鬱蒼とした碌に手入れもされていない森の中、小綺麗な赤い小袖に似つかわしくない太刀を抱えたちんちくりんな姿で辺りを見渡す。

(私、戦場で、……白い、廊下の…変な殿方に……よく覚えてないわ…)

頭の中で先程までの光景が浮かぶ。
確かに戦場にいたはずだった。戦って、戦って、戦って、気が付いたら真っ黒な廊下に飲みこまれていた。
黒い面妖な装束の少女が、妖しげな紅い瞳を三日月のようにして「おいで、棄てられし君」と、手を伸ばしてきて―――次の瞬間真っ黒な廊下が、真っ白な廊下に塗り替えられた。
先程の少女が消え、今度はまたしても面妖な出で立ちの男がいて。
男の「次」という言葉を聞いた瞬間―――この森に叩き落されていた。

「見たこともない木に…聞いた事もない鳥の声。南蛮かしら。寒くないのが救いね」

木漏れ日の明るさから推測するに恐らく今は昼過ぎだろう。
夜でないのが本当に救いだ。夜の森は危険すぎる。
だが随分深い森なのか、鳥や虫の声しか聞こえない。方向感覚も全くない。水の音すら聞こえないということは川は遠いのだろうか。
いや、土は湿っている。雨が降っていないという事は無い、森があるならば必ず山に差し掛かる部分がある筈だ。そこに沢くらいはある。
良くわからない場所に来てしまったが、戦場で死にかけた所で連れてこられた(?)というのに次は遭難して飢死は御免だ。

(どこかに集落とか、ないかしら)

第一目標を定め、そうして森を徘徊する事数時間。
木に実った食べられそうな果実を少しずつ集めながら当てもなく彷徨っていると、がさ、と付近の茂みが不自然に揺れたのを見た。
動物だろうか?と近づいて草木を分ける。

「!あら、あらあら」
「……!!」
「――、―――!」

子供がいた。女と男の二人。
見たこともない程の鮮やかな金色の髪に若草の瞳、長くとがった耳。このような姿の人間は初めて見た。
これが南蛮人だろうか?でも以前見た南蛮からの宣教師はこんな風に耳が尖っていなかったような。
いや、それより。彼らは酷く傷ついて痩せていた。その目には被虐による怯えが染みついている。
切り傷、殴られた痕らしき痣に顔を顰めた。
彼らが何を言っているのかは分からないが、すっかり怯えて泣きだしそうになっている。

「こんな所で何をしているのかは分からないけれど…酷い怪我。じっとしていなさいな」
「――ッ、――――!」
「うーん、何を言っているのかしら…?」

言葉が通じないのだろう。こちらとしても言葉が分からない。
島津は南蛮との交流を殆どしていなかったから当然だが、家柄のせいだと端から諦めるべきではなかったか。
困ったように微笑みながら、震える彼らの頬に手ぬぐいを当ててやる。
血や泥を拭ってやると、徐々に彼らの目から怯えが薄れていく。彼らは顔を見合わせていた。

「……?」
「ああ、女の子がこんなに怪我をして。それにこんな雑巾みたいな服…領主は誰かしら」
「―、―――」
「痛いですね、可哀想に…それに、こんなに痩せて。ああそうだ、これをお食べなさいな」

ニコリと笑って、集めた木の実を差し出す。
子供達は木の実と交互に見比べて、本当に貰ってもいいの?と言いたげに見つめてくる。笑みを深めて頷くと、彼らは泣きながら木の実にかぶりつき始めた。
民を飢えさせる領主などたかが知れる。

(お豊さまなら、彼らを飢えさせることもなかったであろうに…)

今は亡き夫の姿が脳裏にチラついた。その時だった。
風を切る音がすぐ側からして、咄嗟に子供たちを胸に抱いて伏せた。先程まで頭があった場所には深々と槍が突き立っている。
子供たちの心底怯えたような悲鳴が胸の中から聞こえてくる。
槍が飛んできた方向を見遣ると、またもや南蛮のものらしき甲冑を身につけた男達が三人、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながらこちらへと向かってきていた。

「――!!、―!!!」
「あら、あら。あの人たちかしら?あなた達をそんなにしたのは」

子供たちは必死な形相で袖を引き、首を振っている。まるで「逃げろ」と言っているようだ。
この怯えようは確実にあれらの脅威を知っているのだ。槍を引き抜きながら子供達を背に隠した。
男達がすぐ前までやってきた。

「―――、―――?」
「いきなり槍を投げるなど。それも女子供にとは、貴方がたに士道はないのですか」
「――!――――」

嗤っている。女子供と侮っている。
つくづく程度の知れる兵士だと呆れた。全身を舐め回すような視線が実に気持ち悪い。本当に、程度の知れる。
男の一人が腰の剣を、「抜いた」。

「あら、あらあら、剣を抜きましたね?」

剣を抜くと言うことは、確実にこちらに害を与えるという布告だ。
ならば。くるくると手先で遊ぶように槍を転がし、構える。腐っても島津の女だ。武器の扱い方は心得ている。
奴らは侮っている。呼吸を聞く、見る、そして機を待ち――――

今。足を踏み出した瞬間、その場の地面が大きく砕けた。
土の陥没した音に一瞬男達が目を剥いたその次の瞬間には破裂するような空気音と共に突き出された槍が一人の鎧の隙間に突き立ち、首から噴水のように血を吹き出していた。
そのままぐるん!と槍を力任せに振り払い、先程殺した男を支えに弾くように身体の軸を変え、撃ち出すように遺体を槍で投げ飛ばした。
男が悲鳴を上げてぶつかった遺体に押し潰され、その上から一気に槍を突き立てる。
やがてそれらが動かなくなると、圧倒されて腰が抜けかけている生き残りの一人に視線を遣った。

「―――――!、――――――――!!!!」
「あらあら、何を言ってらっしゃるの。皆目、理解できないわ」
「…ッ、――――!ッ、―――!」
「明確に命乞いをしてくだされば考えます。でもごめんなさいね、貴方何言ってるか分からないんですもの」

槍を振り回す。必死に剣で槍を防いでいる男で暫く遊んだあと、足を槍で突き刺して身動きを封じた。
悲鳴。ああ、汚い悲鳴だ。

「言葉が分からないんですもの。『もっとしてくれ』と言っていると思われても文句は言えませんよ?」
「―――――!!」
「そんな風に睨まれても知りません。だって先に剣を抜いたのは貴方じゃあないですか。私達を脅し、弄ぶつもりだったのでしょう。なら貴方達が弄ばれるのは道理ではないですか」

返り血の付いた真白い頬には、あまりに似つかわしくない美しい笑みが浮かべられていた。
この美しく穏やかな女が、真っ向から弱肉強食を説いているなど誰が思おうか。嫋やかな仕草で槍の血を払い、虫一匹殺せなさそうな細腕で大槍を弄び、甲冑を纏った男三人を手玉に取るように叩き伏せる。
男の目が、恐れるように、祈るように、縋るように女を見た。女は笑みを深めた。
―――――女神のようだ、と。場違いにもそう思った、それがこの男が見た最後の光景であった。




「まあ、本当に沢があります!」
「―――!」
「――、―――」

男達をあっという間に打ちのめした際に付いた頬の返り血で怯えられはしたものの、子供達はすっかり懐いた。
通じぬ言葉で必死に身振り手振りを加えて水はあるかと聞けば、子供達はこっちだと手を引いて沢まで連れて来てくれた。
男達の懐から奪い取った水筒に水を入れる。これでしばらくは持つか。

「けれど、集落はないわね…あら?」
「――――!」
「あら、あらあら、なにかしら。なにかあるのかしら?」

沢に案内されたと思ったら、子供達は更に手を引いてどこかへ歩き出す。
何時間も歩き、徐々に日が傾き始めた頃。

彼らに連れられて着いたのは、彼らのように耳の長い人間達が住む集落だった。


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