愛車のマスタングを駆り赴いたのは小さな書店だ。
顔なじみの店主が経営する場所で、天井の一部がガラス張りであるから薄暗い店内に絶妙な加減で光が差し込む。
古書の匂いと本屋独特の埃の匂い、そして店主の人柄を赤井は気に入っている。
暫く「プライベートでは」顔を出さなかったからか、店主は赤井を見るなり朗笑した。
「Hi,シュウ。プライベートか?」
「同僚達にそろそろ休めと蹴り出されてな。暇つぶし用に見繕いに来た」
「新刊をいくつか取り置きしておいた、好きなのを買いな」
「Thanks」
付き合いも長いからか店主も赤井の好みを把握している。
狙いの新刊もちゃんとそこにあって、つくづく店主には感謝するしかない。他にも用意されていた小説は赤井が気になっていたものばかりだ。
これは出費するな、と笑みを零す。
その中で、それなりに整列された棚の中にある1冊の恋愛小説を見つける。
「ン?シュウ、そんなモン読むのか?」
「いや、同僚が好みそうなものだと思ってな」
「コレかい?」
「そんな可愛らしいものじゃない。職場でのパートナーだ」
店主が立てた小指にNoと返す。
無論「ただのパートナー」という素っ気ない関係でもない。文字通り人生や命を預けあった仲だ。
硝煙と軽い香水の匂いを漂わせる相棒がこのような恋愛ものを好むと知った時は人生でも有数の衝撃を受けたのを覚えている。
『素敵じゃないか、劇的な恋なんて』と、照れる様子もなく素直に憧れを述べた彼女は正に恋に恋する、まるで少女だった。
まだ彼女が10代の頃だったか。今よりずっと可愛げのない時代だったな、と知らず笑みが零れる。
店主はそんな赤井を見てニヤニヤしていた。
そんな可愛いものじゃないと否定しつつもこれでは説得力など欠けらも無い。『特別』だと公言しているようなものだ。
「会計」
「あいよ」
思わず無愛想になった声色に店主の笑みがが深まるのを感じた。
店を出る際「今度は彼女も連れてこいよ」と声をかけられたので否定する気力も起きずに片手をあげるだけのジェスチャーを返した。
「……作り過ぎたか」
張り切りすぎたと早くも悔いた。
一口サイズのキーライムパイを作ったはいいが、数が多い。
これはいくら赤井の好物といえど食べきれない。保存もそう長くはきかない。
うーむ、と頭を捻る。ジョディ達は確か今日も仕事だったはずだ、彼らに差し入れとして持っていくかと処理先に目処を立てる。
パイだけ差し入れに行くのもどうかと思うが、「まだ仕事気にしてるの?」とジョディに小言を言われるのが見える。大人しくこれだけにしておこう。
そうと決まればさっさもオーブンに入れてしまおう。綺麗に並べて温度を設定し、スイッチを入れた。
焼き上がる前に洗濯機が仕事を終えたようなので手早く取り込み、乾燥機にかけた。
パタパタと慌ただしいが、この忙しさがなかなか好きだった。
そうしている内に外から聞き慣れた車のエンジン音が聞こえてくる。フルーツを剥きながら玄関を覗くと案の定赤井が帰ってきたようだった。
「Hi,お目当てはあったか?」
「ああ、あとお前が好きそうなものもいくつか見繕ってきた。……それから、何やら甘い匂いがするが」
「ああ、キーライムパイを焼いているんだ」
それにヒュー、と口笛を鳴らす。赤井はリリーの作る料理をいたく気に入っているが、その中でもキーライムパイは特にお気に入りのひとつらしい。
キッチンに寄ってオーブンの中を覗く赤井は正直シュールで笑いそうになる。あ、フルーツつまみ食いした。
「秀、つまみ食いをするな」
「置いておくのが悪い。それはそうとパイが多くないか」
「作りすぎてしまったんだ。出来たらジョディ達に差し入れに行こう」
「ジョディ達に?最近アイツ体重を気にしていたぞ」
「そういう事を言ってやるからデリカシーがないだのとどつかれるんだぞ…体力勝負なんだ、カロリーは取っておくに越した事はないさ。パトリックは多少制限がいるが」
「フッ違いない」
「あっこらまた摘むな」
つまみ食いの時の動きが素早い。こいつ。
膝裏を軽く蹴ってやるが、赤井は微動だにしない。これは威力の問題ではなく体格と重量の問題なので致し方ない。
「痛いぞ」とは言ってくるが嘘だろう。そこまで力を込めてはいないはずだから。
「丁度脹脛の凝りが取れたか?」
「お望みとあらば全身の凝りを解してやらんでもないぞ」
「骨まで解れるだろう、遠慮する。…しかし、少々運動が不足して肩や腰が凝り気味なのは悩ましいな」
ここ数週間は張り込みや後始末に追われて軽い運動不足に陥っていた。それはリリーもどうしたものかと思う。
ジムに行くのも手だ、ジムにはプールもある。明日行くのもいいかと予定を組み立てている最中。
赤井がああ、と声を上げた。なにか思いついた声だと頭をあげると、何やら嫌な予感のする笑みを浮かべている。
「風呂上がりにでも運動するか?」
「それで足りるのか?もう少し全身を使った方がいいだろう」
「ホォー…?いいんだな?御要望であるなら仕方がない」
赤井の笑みがひどく深まり、ゆっくりと伸ばされた手が髪のすだれを縫って首筋を撫ぜる。
その手つきにぞわ、と背筋をなにかが走った。赤井が『何』をしたいのかなんて、すぐに理解してしまった。
すっかり飼い慣らされた身体がその指に期待するように全身に血を巡らせてしまうのに、顔に熱が集まってしまう。
こんなのバレバレじゃないか、と顔を手で覆った。頭上からくつくつと赤井の笑い声が聞こえる。
「期待している」
「うるさい…」
明日の朝食を仕込まなければ。きっと明日は、そう満足に作れない。
普段は男女の差なんて殆どなくて、リリーも自身が女である事なんて頭に殆どない。
赤井だってリリーを女として扱う事はあまりない。その遠慮ない距離感が心地いいのだ、が。こうして時折、酷く揺さぶってくる。
その瞬間だけ赤井とリリーは相棒では無く、男と女になるのだ。
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