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仮免試験を終えて、夜。
風呂にも入ってご飯も食べて、各々が自由な時間に入った頃。
零仔は轟の部屋に来ていた。
仮免試験の数日前にお互い、仮免が終わったら話したい事があるとお互いに打ち明けていた。
そして仮免が終わった。
色々ゴタゴタしてたから、こうして二人でゆっくりと話し合うのは久しぶりのように思えた。
話し合う、と言っても。お互い何処から話せばいいかわからず十数分間ずっと無言なのだが。
とりあえず。
「…とりあえず仮免試験、お疲れ様。色々大変だったわね」
「ああ…そうだな。そういえばお前、あいつと知り合いだったのか」
「ああ…夜嵐君?入試で少しの間お話したのよ。その後連絡を1,2回?取ったくらい。…というか貴方案の定彼のこと覚えて無かったのね…凄いわよ逆に…」
「俺もなんであんな五月蠅ぇ奴を覚えて無かったのか…」
「それだけその時は周りが見えてなかったのよ、貴方は」
その自覚があるだけに轟はバツの悪そうな顔をした。
夜嵐は良くも悪くも直球で突っ込んでくる。零仔も自分の殻に引き籠っていたあの時、あの夜嵐との会話が一瞬だけでも「対等」という関係を思い出させてくれた。
遅かれ早かれこうなっていたかもしれないが、あの夜嵐との会話が無ければもっと皆と打ち解けるのは遅かったかもしれない。
轟にとっても、今日の夜嵐との事はひどく印象に残ったはずだ。
「……アイツに直球でぶつけられて、思い知らされた。……どんなに逃げても、俺は、親父の血からは逃れられない。…どんなに否定しても、俺はあいつの息子だ」
「………焦凍くん」
「否定するだけなら簡単だ。…受け入れなきゃいけねえってのは、難しいモンだな」
目に見える繋がりよりも見えない繋がりの方が強固となる時もある。「血」の繋がりというのはその一つであり、呪いのようなものだ。
その呪いに今尚縛られ続けている零仔とて、その苦しみは自分の事のように理解できる。
「アイツの事を否定して拒み続けても、俺の中にいつだってアイツの面影があった。アイツの血を感じる時があった。…いつか親父のようになっちまうんじゃねえかって恐怖がどこかにあった」
ぽつりぽつりと、心の中の膿を少しずつ取り除くように零されていく。
呪いは遅効性の毒だ。
自分はどうなってしまうのか。恐ろしい化け物になってしまうかもしれないという恐怖がどれほどのものか。いつか自分が自分の中に反する事を無意識のうちにしてしまわないか。
呪いとは何よりも恐ろしく、そして死ぬまでこれからは逃げられない。
だからこそ。
「…貴方は『貴方』よ、焦凍くん。忘れないで。私のヒーローは轟焦凍、貴方よ」
「エンデヴァーの息子」に救われたんじゃない。
零仔は確かに、「轟焦凍」という一個人の心と在り方に救われたのだ。エンデヴァーの息子として彼を見た事など一度もない。
「確かに貴方は、…よく似ている。でも、ただそれだけ。貴方はエンデヴァーじゃない。貴方は貴方よ…貴方が私を救けてくれた。貴方は絶対に強くて、何より優しいヒーローになれる。貴方とても優しい人だもの」
「…お前は、昔もそうだったよな」
「?」
「いつだって俺が欲しかった答えをくれた。俺が望む未来を言ってくれた。心読める個性でも持ってるんじゃねえかって一時期本気で思ってたこともある」
「大袈裟ね」
「それくらい、お前は俺の事分かっててくれてたんだよ」
「………そうしなきゃ、今まで、…生きてこれなかったんだもの」
轟の呼吸が一瞬詰まった。だが、それもほんの一瞬だった。
零仔が気付かない程度のその動揺を直ぐに呑み込んで、轟は意識を傾ける。
「…皆「賢い」とか色々褒めてくれるけど、そういう大層なものじゃなくて。……お父さんと生活するのに、そうしなきゃ耐えられなかっただけ」
今日の父親の機嫌は?呼吸は安定しているか?
目が不自然に泳いでいないか?冷蔵庫の中身は?今日は帰ってきているのか?今日は帰ってくるのか?
ヒステリーはどれくらいで治まる?今日は何をされる?
息を潜め乍ら父親の一挙一動を注意深く観察した。家では極度の緊張状態の中で只管父親の行動を予測し、行動し、また構えた。
そうしなければ生きていけなかったから。
そうしなければ殺されてしまうから。
いつもの極限にまで洗練された観察力洞察力は、そんな父との5年間の生活で構築された。
「……初めてだったの。……誰かの涙を止める為に、誰かの心を知りたいと思ったのは」
「……」
「貴方に出逢わなければ私、きっと数年前には自殺してたかもしれない」
誰かの涙を止める為に誰かの心を必死で読もうとした。
彼が優しい子なのだという証明をしようと必死だった。あの必死の努力が、きっと今の自分を構築している。
父の心の把握だけをしたまま大人になっていたなら、きっと零仔は耐えられなかった。
「貴方がいてくれて本当に良かった。私の優しいヒーロー」
感謝しかない。
彼の優しさに救われてここまでこれた。
このまま、彼とヒーローになれるのならそれは一体どれだけ幸せなのだろうと思う。
轟は一瞬呼吸を置いて、静かに告げた。
「……零仔」
「うん?」
「……俺は、きっと本当はお前が思うような優しい人間じゃねえと思う」
卑屈だろうか、謙遜だろうかと彼を見た。
だが彼の表情は驚く程に冷静で、同時に凪いでいた。
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