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「…優しいヒーローにはなれても、優しい人間じゃねえと思う」

凪いだ表情の中の左右色の異なった瞳には、仄暗い光が宿っていたように見えた。
その光に一瞬身が竦むような思いを抱く。
彼の手がゆっくりと、確かめるように伸びて来て。零仔に拒絶の意思がないのを確認すると、その手が一房髪を取った。

「焦凍くん?」
「言ったろ。…話したい事がある」

恐ろしく静かで抑揚のない声だ。
恐怖に似た緊張が走る。それでも、恐怖に似て非なるものだ。
こういう時、いつも彼が酷く異質な存在に見える。肌と石、紙と鋼鉄。そう思わせるだけの異質さ、乖離性。

「……今から、俺が話す事が少しでも怖えとか、気持ち悪ぃと思ったら…部屋に戻れ」

扉に鍵はかかってない。
逃げようと思えば逃げられる。彼はそう言っている。
今から恐怖を植え付けられるかもしれない。
でも、この部屋に来るからには相応の覚悟があって来たのだ。…もう彼から逃げるのは止めにしたかった。
きっと彼だって、怖い筈なのだから。

「…俺は、…お前が大事だ。傷つけるのが怖え。…俺はお前を大事にしてえのに、いつも俺の中で親父が過ぎる。…お前が、強くなっていくのを見ていく反面で、全部投げだして泣いて縋ってくれないかと思ってた俺がいた」
「っ、」
「お前がウチに泊まったあの夜に本気でそう思ってた。…でもそれと同じくらいにお前に強く立っていてほしかった。何度もそんな自分を嫌悪した」

轟には轟の苦悩があった。
零仔に笑っていて欲しい、幸せになって欲しいと願う自分と、全部投げ出して縋りついて欲しいという自分。
全てが同じ強さで衝突して、相殺されていく。

「いつかお前を母さんみたいにしちまうんじゃねえかって、考えるのが怖かった。…外がお前を傷つけんなら、いっそのこと閉じ込めちまった方がお前は幸せなんじゃねえかっていつの間にか考えている俺が、……」

息が上がりそうなのを堪えている。
それでも彼の目は凪いでいた。覚悟を決めている眼だった。

「………俺が、お前を幸せにしたかったんだ」

懺悔するような細い声。
そこにあるのは諦めだろうか。それとも。

「この感情の名前をずっと探していた。…愛なのか、恋なのかもわからねえ。…でも、こんな暴力的な感情がそんな綺麗な名前なはずじゃねえって事はわかる」

手が微かに震えている。


ここで逃げれば、きっと自分達は「日常」に戻るのだろう。
全部忘れようとして、クラスメイトとライバルに戻っていく。少し昔に知り合っただけの幼馴染に戻る。
轟は大人気のヒーローになるだろう。彼の隣には、彼と同じく優秀な女性が現れて。きっと彼の事だから将来は安泰だろう。
そう在ろうとすれば、そう在れる。
成ろうと思えば成れる未来。お互い全部リセットできる。

彼の手は震えている。
慈しむように零仔の髪に触れる彼は、「逃げていい」と言っている。その手がまるで縋るような其れに気づかぬふりをしながら。
そして、「逃げる」ことが賢明である事もまた確かだ。

――――それでも。


(私は、愚かだ。愚かな女だ)


彼の手に、触れた。
本当は怖い。彼が怖いんじゃない。「これを望んだ」自分が怖い。
どれだけ彼を不安にしただろう。どれだけ彼を苦しめただろう。懺悔するのは自分の方だ。

これは愛ではない。ましてや恋でもないと轟は言った。
映画のような美しいものか?漫画のような可愛いものか?ドラマのような切ないものか?
否。どれも違う。これは、愛でもなく恋でもなく、もっとずっと、深く重いもの。
そんなものに何故名前が無いのか。名付けてしまえばきっと、これはあまりに安っぽくなってしまって簡単に切り売りできるモノになってしまうからだ。
だから一生、これからずっとこの感情に名前なんてないんだろう。
ただ、この感情のほんの一端を相手に伝える言葉が一つだけ存在する。


「焦凍くん」


今から懺悔をしよう。



「私はね、貴方が好きよ」



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