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暫く涙を零し続けていた零仔だが、ずっと泣いていれば明日目が腫れてしまうだろう。
もう夜も遅い、翌朝目が腫れていては皆も心配する。
零仔が目をこすろうとするのを制して、ティッシュを取って目元をなるべく優しく拭いてやる。
涙が止まるのを見計らって、個性で冷やした手を目元に当てた。
「冷たくて気持ちいい」
「明日目が腫れるといけねえからな。皆心配すんだろ」
「…そうね」
まるで彼女に目隠しをしているような錯覚に陥った。
そこで、ふと魔が差した。
ゆっくりと顔を寄せ、零仔の唇を柔く食むように己の唇を重ねた。
視界を塞がれている彼女が、自分の唇への未知の感触に背筋を硬直させる。
「……ッ!?」
予想していたよりもずっと柔らかくしっとりとした感触は気持ちが良かった。
唇同士を擦り合わせるのが気持ちよくて、何度か角度を変えながら唇を食む。
行き場を失くした零仔の手が暫し迷った末に控えめに轟のシャツを握るのがいじらしい。
「ん、…ぅ、」
「…っ……は、」
気が済むまで感触を味わったら、目を覆っていた手と一緒に唇も離した。
いつもは白く透き通った零仔の肌はすっかり茹で上がって、困惑のあまり恐らく喉元まで出かかっているであろう言葉が出てこないのだろう。
「悪ぃ、つい」
「つい!?ついって何!?」
「嫌だったか」
「いっ…や、……じゃ、ない、けど…」
尻すぼみになっていく一応ちゃんとした否定に心の中で轟は安心した。
嫌ならば後悔はしただろうが、嫌ではなかったのなら安心だ。これは単に恥ずかしがっているだけだろう。
一応お互いファーストキスだったのだが、唇を一方的に食む割と激しめだったそれが初めてという何とも言えない結果だった。
誰だよファーストキスはレモン味って言った奴。
初めてのキスで呼吸の仕方も分からずずっと息を止めていた所為か、零仔の息が上がっていた。
窒息状態だったのもあり目尻に涙が浮かんで、恥ずかしかったせいか頬も赤らんでいる。
彼女を見ていると変な気分になりそうだった。
「…なんか、悪ぃ事してる気分だな」
「……悪い顔」
「そうか?」
「…うん、やっぱり、焦凍くん優しくない」
「だから言ったろ」
そんな事を言っておいて、轟は酷く優しい顔をしている。
彼はするりと零仔の髪を掻き撫ぜる。
熱を孕んで、少し湿った彼の手は優しかった。
「もう夜も遅いし、明日も学校だから部屋に戻った方がいいぞ」
「え?…あー、本当。もうこんな時間だったのか」
促されて時計を見れば、針が大分回っていた。
ずっと張りつめていた緊張感が解けてきたのを感じると、続いて眠気が襲って来る。
もう寝た方がいいなと断りを入れて立ち上がろうとした。……が。
「…………」
「…どうした?」
「……こ、」
「こ?」
「腰、抜けてる……」
つまり、足に力が入らないのだ。
なんて事だ。穴があったら入ってしまいたい。
轟は暫く耐えていたようだが、遂に吹き出してしまった。
「っっ…はは、はははは…!」
「わ、笑わないで!すっごく緊張してたのよ!仕方ないでしょ!?」
「ははは、っ、…悪ぃ、お前、っ」
「…っ、も〜!!」
ツボに入ったのか、轟はずっと声を上げて笑っている。それにつられて、こちらまでおかしくなってきて、終いには二人で声を上げて笑い出してしまった。
目尻に涙を浮かべてまで、そこまでかと思いもしたが考えれば轟とてずっと緊張状態が続いていたんだろう。
お互いずっとすれ違い続けて、お互いの何もかもが怖かったのだ。恐ろしかったのだ。移り行く全てに置いて行かれて。
変わらないものなんて何もない。
全部が秒単位で移り行き、置いて行かれないように必死に縋りついて今尚走り続けている。
轟と零仔はもう只の幼馴染ではいられないし、あの頃の純粋な関係には戻れない。ただ何も考える必要もなく、「好きだから一緒にいる」事が許されたあの頃には。
男と女として、異性として今はお互いを必要とする関係で、何もかもがガラリと姿を変えてしまったけれど。
――――こうして、二人で声を上げて心の底から笑い合えている。あの頃と同じように。
関係は変わっていくけれど、お互いの中に刻まれたあの頃の記憶の中の楽しかった事や嬉しかった事は変わらない。
二人の中に残り続ける限り、移り変わろうと消える事はない。
――――ああ、自分達は何を恐れていたのだろう。
姿は変われどお互いを思い合う気持ちは同じなら、きっと手を取り合って未来を作っていける。そして乗り越えて行けるはずだ。
そして、幸せになれるはずだ。
両親が為せなかった幸せを、今度は零仔が紡いでいく。彼らの続きを生きていく。
彼らの分まで、というのはとても大変だろうけれど。…きっと、二人なら大丈夫だ。
きっと、乗り越えていける。
(お父さん、お母さん。私の幸せを、どうか許してください)
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