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入試の日。
キンと凍てついた冬の日だ。
いつもより早く起きて、いつもより早く朝ご飯を食べた。いつもはよく喋る食卓は今日ばかりは無言で、静かだった。
でも、学校のような不快感はない。心地の良い沈黙だった。今日の朝ごはんは好きなものばかりだった。
いつもより早い時間だが、家を出る事にする。
零仔が立ち上がると、祖母と祖父も立ち上がった。祖父は厳格な人でとても厳しい人だったけど、それ以上に愛情をくれた。優しさをくれた。本当のお父さんのようで。
「―――、零仔」
玄関で、呼ばれる。
呼び止めるというほどの抑制力もない。ただ、聞いてくれたらそれでいいという程度の、柔らかな耳の制止だった。
ゆっくりと振り返った。
「…合格できる。私達の子だからな」
「ええ、私達の自慢の娘ですもの」
氷がほぐされていく。
緊張が解けていく。この二人だけが居場所で寄り処だった、そんな二人から背を押された。
そうだ。この二人の為に、自分を鍛えに行く。
この試験を超えなければ意味がないんだ。
「――――行ってきます」
深く息を吸って、家を出た。
振り返る事は、しない。
***
雄英は大変巨大な学校だった。
流石超名門、違わぬそれは要塞のようにも見えた。
推薦枠の零仔だが、雄英には推薦枠にも筆記試験がある。その筆記試験を終えれば次は実技だった。
筆記試験の回答量は膨大だった。
正直に言えばかなり堪えた。握り慣れた鉛筆を持つ指が痛くて時折手を払い、痛みを誤魔化しつつすべての問題に回答した。
流石超名門、偏差値79なだけあり相当問題は高難易度。だが雄英が見ている本質はそこじゃない。
筆記が終了し、次は実技に入る。
人気ヒーロー、プレゼント・マイクに呼ばれて受験会場へと向かった。
しかし中々の大声量だ。プレゼント・マイクの個性はその馬鹿みたいにデカい声だから、広い会場内にも五月蠅いくらいに響き渡る。ちなみにプレゼント・マイク、生まれた時にその産声で両親は耳血を出したらしい。怖い。
体操着に着替え、凍てついた外に出る。
零仔の受験番号は20番。
実技のコースはを遊園地だった。
中々に大規模なのが流石雄英といったところか、こういうのを作れる個性を持った人がいるんだろうか。
寒空で氷のように冷たい指先に血を巡らせていく。身体を温め、血行を促進させ、準備運動の効率化を図る。
横に並ぶのは数人の受検者達。一般受験と違いこちらは少人数ずつの体制での受験となる。
3qマラソンという内容、このコースを無事走り抜け、時間内にゴールへ行け、という至極単純な受験内容だが、ここは雄英、必ず障害は現れる。
元々自身の身体強化の個性ではない零仔にとって制限時間ありのレースは分が悪い。推進力にもならないこの個性では、純粋に己の身体能力の身で挑むしかないのだ。
それも想定して徹底的に体を鍛えて来た。
元よりこの個性は敵の弱体化を図る個性、こちらは素の身体能力でしか挑めない。
気合注入の為にグローブを嵌め直し、長すぎる髪を束ねようと手首に手をやったところで気づく。
(…ゴムがない……)
手首につけていたはずなのだがどこかへ行ってしまったようだ。
困った。別に痛くもかゆくもないが、単に邪魔になる。一気に気合を削がれてしまった気がして微妙に機嫌が悪くなりつつあった。
「あのスンマセンッッッッ!!!!!!!」
「ヴォッッ!!!!????」
直後、背後から突き刺すような奇襲の如き大声がして、こちらまで変な声が出てしまった。
振り返ればかなり大柄な坊主頭の少年がいた。
ここにいるという事は同い年、同じ推薦なのだろう。
「え、えっと、あの、」
「この髪ゴムアンタのッスよね!!!!!!????」
こ、声がでけえ。
なんだこのありとあらゆるすべてをテンションで乗り切る系の男は。この男の圧倒的テンションと迫力に完全に気圧されていたが、いま彼から聞いた言葉に彼の顔から目線を下にやると、その大きな厚い手の上には小さな髪ゴムが乗っていた。
間違いなく零仔の髪ゴムだった。
「あっ、えと、はい…私の、です」
「よかった!!!!!その長い髪だと試験には邪魔だと思ったんで!!!!!!ライバルッスけど、ライバルだからこそ公平に競い合いたいッスから!!!!!!」
なるほど。その凄まじいテンションに気圧されていたが、かなり潔白な精神だ。
正直というか素直なのだろう。
そして初対面でここまで自分の人格で人を圧倒できるのはある一種のカリスマなのではなかろうか。少なくともこういう人間は見た事がない。
「自分、夜嵐イナサ!!!!よろしくお願いしまッス!!!!!!!!」
やべえ名乗られてしまった。
これは避けようがない。
「……栂野、零仔」
「栂野!!!!うん、お互いにベストを!!!!!!んで、合格しよう!!!!!!」
そう言われて、ああ、となった。
いまここで、彼と自分が「対等」であること。
ここは城じゃない。自分は氷の女王じゃない。彼と同じ、受験生だ。
彼と自分は間違いなく、同じスタートラインに立った、全く同じ立場のライバルである。
そして、「好敵手」だ。
「―――うん。お互いにベストを尽くしましょう」
その時、先生が合図を出した。
もうすぐ、試験が始まる。
イナサの隣、スタートラインに立った。髪ゴムで髪を束ね、静かに息を吸って吐く。
心臓の音がまるで秒を刻んでいるようだった。
カウントが始まる。
3
2
1
試験が、開始された。
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