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二日目、夜。
合宿所付近の崖の上に、数人の黒い人影があった。
「疼く…疼くぞ……早く行こうぜ…!」
「まだ尚早。それに、派手な事はしなくていいって言ってなかった?」
目深くフードを被ったローブの男が催促するのを、ガスマスクの華奢な少年が諫める。
華奢な身体に学生服を纏うそれはまだ幼さを感じられる。
「ああ…急にボス面始めやがってな。今回は、あくまで…狼煙だ。虚ろに塗れた英雄たちが地に堕ちる、その輝かしい未来の為のな」
無造作な黒髪。焼け焦げたような肌を身体中で繋ぎ合わせたような姿の男が、にたりと笑う。
その後ろでずっとマスクをいじっていた女子高校生姿の少女がぼやいた。
「ていうかこれ嫌。可愛くないです」
「裏のデザイナー・開発者が設計したんでしょ。見た目はともかく、理には適ってる筈だよ」
「そんなこと聞いてないです。可愛くないって話です」
「…どうでもいいから早くやらせろ。ワクワクが止まんねえよ」
「黙ってろイカレ野郎共」
少女とフードの男のぼやきを一蹴する。
己の背後から聞こえた新しい足音にゆっくりと振り返りながら、諫める様に静かに。
「まだだ…決行は…10人全員揃ってからだ」
「おまたーーー」
「仕事……仕事……」
「………」
新たに三人。
サングラスをかけたガタイの良い大男。
そして歯だけを剥き出しに曝け出した全身拘束具の男。
そして爬虫類のような姿をした男。
「威勢だけのいいチンピラをいくら集めた所でリスクが増えるだけだ。やるなら『経験』豊富な少数精鋭」
崖から見下ろしたその先に、合宿所の明かりが見える。
今あの中では子供達が寝静まっている頃だろう。
己達を狙う敵の影がすぐそこまで来ているなんて考えもしないまま。
「今回の本命はあのカワイコちゃんのお迎えでしょお〜?」
「そうだ。何があろうと『栂野零仔』だけは絶対に殺すな。特にムーンフィッシュ、マスキュラー、手前らはな」
「それ以外ならいいんだな?」
「『爆豪勝己』もだ。だが優先順位は前者でいい」
「あの子の『情報』見たけど…ホンット、逸材ね。ヒーロー共にあげるにはあまりに惜しいわぁ」
サングラスの男は懐から写真を取り出す。
体育祭でテレビに映っていた零仔の写真だ。
今回の彼らの本当の目的である。
「ああ、そうだ…ヒーロー共には勿体ない。宝の持ち腐れだ」
全てを壊しに来た。
彼女が何とか自分を保つ為の脆い壁を。
先ずは死柄木弔が、彼女の心に罅を入れた。
僅かに情報を漏らす事で彼女の心に入り込み、雁字搦めに絡めとる。
今の彼女はボロボロだ。
きっと気を抜けば崩れ去ってしまう程の、脆い城だ。
氷の女王を溶けかけの城から引き摺り出す。
「だから俺達が、連れ帰る」
***
「…!」
目が覚めた。
疲れていたのと前日寝ていなかった為に就寝が皆よりも大分早かったからだろうか。
騒がしかった女子部屋はすっかり静かになっている。
そういえば芦戸は補習帰りだったなと思い出す。
(……トイレにでも行くか)
少し意識が覚醒してしまった。
明日の朝少しでもスッキリ起きる為にもここでトイレに行っておこう。
皆を起こさないようにこっそりと部屋を出て、トイレに行った。
トイレをさっさと済ませ、見つからないようにトイレを出る。
するとそこに予想だにしていなかった先客がいて、思わず足を止めた。
「あ?」
「あ……」
「……ロン毛かよ」
爆豪だ。爆豪もトイレに来たらしい。
少し髪が跳ねているのを見ると、零仔と同じく先程まで寝ていたのだろう。
彼の事だからいつものようにさっさと戻るのだろうなと思っていたが、何故か爆豪は零仔を怪訝そうに見ていた。
何だろうと思いながらも部屋に戻ろうとしたとき。
「テメエ夕飯準備の時、泣いてただろ」
「…!」
知らない振りをすればよかったのに、思わず爆豪を振り返ってしまった。
これでは図星だと言っているようなものだ。
玉ねぎを切っていた所為だなんて言い訳はもう限りなく効果は薄いだろう。爆豪は確信しているからだ。
「今日も昨日も、合宿の前もボケッとしてやがんな。クソ辛気臭ぇツラ晒しやがって、胸糞悪ィ」
「…気を悪くしたなら謝るわ」
「チッ…目の前でベソベソされるとムカつくんだよ。中途半端に距離取ってアイツらと仲良しごっこしてんのもな」
「なっ…」
『仲良しごっこ』。
その言葉が思っていた以上に、胸に痛みを与えた。
「ごっこなんてつもり…!」
「自覚もねえのかよ。中途半端に燻ぶって中途半端に周りと関わって、そんだけでも胸糞悪ィのにメソメソベソ掻きやがって。雄英は半端ヤローについてこれるような場所じゃねえんだよ」
「…っ」
「やる気ねえなら、とっとと帰れや」
ざくりざくりと胸に刺さる。
仲良しごっこをしてるつもりなんてこれっぽっちもなかった。
皆が好きだ。好きになれた。
心の底のどこかで、ここに居てはいけないのではないかという思いがいつもどこかにあった。
それでもここが居心地よくて、受け入れてくれるのに甘えていた。
それでも、ここは『ヒーローを育てる場所』なのだ。
そんなつもりのない人間が、いていい場所ではないのだと。
「……爆豪くんには、分からないわよ」
「…あ?」
「『当たり前』に庇護され、愛されてきた人間には、…分かるはずないわ」
親に暴力を振るわれた事もない癖に。
親から拒絶された事もない癖に。
誰かに存在を否定された事もない癖に。
「っ、当たり前に『ここにいていい』って言われてきた人間に!何が分かるって言うのよ!」
ずっと抑え込んできたそれが、栓が切れた。
爆豪が、その気迫に気圧されるように、唖然とした表情を見せる。
胸が震えている。息が震えている。手足が冷えている。
何も考えられない。これじゃあ、馬鹿みたいだ。
その時向かいの階段から足音がして、相澤とB組の担任ブラドキングが駆けてくるのが見えた。
「五月蠅いぞお前ら、今何時だと……栂野?」
思わず部屋へと走っていた。
後ろからブラドキングが呼び止める声を聞こえるが、こんな姿をもう晒したくはなかった。
(最悪だ、私)
部屋に戻ると静かに襖をあけて、布団に入る。
幸い誰も起きていないようだった。
男子の部屋はトイレからかなり離れているから、聞こえていない事を願う。
頭まですっぽりと布団を被る。
足音は聞こえない。追ってきていない事に安堵した。
涙が出ないように枕に顔を押し付ける。
(もう、いっそ死んでしまいたい)
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