「………………」
「………………」
目が合ってしまった。ここは中庭だ。私の密かなお気に入りの場所。
そこに思わぬ来客が訪れたのはついさっきで、その来客は数十分前に私の主であるディミトリ殿下から話を聞いていたベレト殿であった。
私は中庭の薔薇の香りを楽しんでいたところだったのだが、今この状況でその作業に戻れるほど神経が図太いわけでもない。
「昨日はありがとうございます、ベレト殿。殿下達や私めの命まで助けていただいて。殿下からお話はお聞きしております、ここの教師として就任されるのだとか」
「ああ。…殿下、とは青獅子の?」
「ええ。そういえばまだ名乗っておりませんでしたね。私はグゼル=タバサ=ヘップバーン。青獅子学級の級長にしてファーガス神聖王国の第一王子、ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッド様の従者を務めております」
「ベレト=アイスナーだ。これから最低一年、よろしく頼む」
「では、先生。ベレト先生ですね」
彼は相変わらず全く表情が動かないのでなんとなくしかわからないが、どうも「先生」に戸惑っているようだ。
ほんの少しだけ目が揺れていた。逆にそれくらいでしか感情が読み取れないのもすごいけれど。
昨日まで普通の傭兵として暮らしていたのに突然貴族のお坊ちゃまお嬢様相手に「先生」になってしまったのだから、戸惑うなという方が土台無理な話だ。
「もう修道院は回られましたか?」
「粗方は」
「それは良かった。実は殿下から貴方を見かけた時迷っていたり困っているようなら助けてやって欲しいと言われていたのですが、無用な心配だったようで」
「………いや、そうでもない」
「?どこかわからない所が?」
「…現在地が」
あっ、絶賛迷子だったのかこの人は。本当に態度に出ないな。
思わず「あっ…」という顔をしてしまった私に、ベレト殿…いや、先生はなんとなく不服そうな顔をしていた。
意外に我が強いのだろうか。少し面白い。
「ここは中庭ですよ。ここを抜ければセイロス騎士団の兵舎や馬小屋に続いています。生徒の宿舎からも近いですし、今来た方向に戻れば食堂方面に抜けますよ」
「助かった。猫を見ていたら道が分からなくなって」
「猫?」
「此処には動物が沢山いる。よそ見をしていると直ぐに道が分からなくなる。…さっきもドゥドゥー?に道を教えてもらったばかりだった」
「あら……」
あの戦場で感じた恐怖があまりにも杞憂に感じてしまう程に、何というか、彼は気が抜けるような人だった。
一切動かない表情はやはり不気味だけど、実は何も考えていないのでは?と感じてしまう。
…そして、私は家業柄悪人を腐る程見て来たけれど、彼からはその匂いはしなかった。
悪い人間ではなさそうだ。だがこの世の中、悪人が善行を成す事もあれば善人が悪行を成す事もある。彼が真の善人とて私達とは分かり合えない人間である可能性もある。
警戒は怠らないが、殿下が懸念しているタイプの人間ではなさそうだ。一先ずは安心か。
「此処の見取りは過ごしている内に覚えられます。それはそうと先生、黒鷲、青獅子、金鹿の学級のいずれかを受け持つのですよね?気になる生徒などはおりましたか?」
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