01.とある不良少年の回想録

床に倒れたままピクリとも動かなくなった最後の1人を見て、ようやく片付いたとため息をついた。大人数を相手すればするほど拳の皮は捲れ、今日は特に苛ついていたこともあり顔面を繰り返し殴りすぎて歯の跡がモロについている。殴っても殴っても湧いてくる奴らは、便所にたかるコバエによく似ていると思った。

「じゅうさん、じゅうよん…チッ。こんだけノして14万かよ、使えねえなクソ」

一人一人のポケットを漁って出てきたのは諭吉14枚。食事は適当な商店街から奪えばいいものの、このままでは家賃も払えるかどうか分からない。顔も思い出せない親が置いて行った家は、俺にとって厄介な他無い建物になっていた。未成年が自宅の解約なんか出来るわけ無いのに、何の契約もせず黙って出て行ったアイツらには本当に早く死んで欲しいと思う。今生きてるかどうかも知らないけど。
ぐうと鳴った腹をさする気力もなく、14万円を尻ポケットに突っ込む。今月を凌ぐにはもう一戦交わす必要があるのだ。

「どんな地獄絵図だよ」
「…誰」

背後から聞こえた声に振り向けば、この辺りでは見かけない男が一人立っていた。妙な服装だが、あまり違和感を感じさせない不思議な男だった。

「みょうじなまえで合ってるな」
「質問に…ああいや、もうアンタでいい」

学生というのは金欠者が多く、中々金が集まらないのだと伝えれば、目の前の男は生気の感じられない目をスッと細めた。ゆっくりと近づいてくる男にまだ痛む拳を構える。しかし俺の目の前に飛んできたのは肘でも足でもガラス瓶でもなく、一枚の契約書だった。

「欲しいモンがあるならある程度買ってやる。ただ保護者への礼儀は常に忘れないように。相澤消太だ、よろしくなまえ」
「…は、?」

契約書には、今男が口にした相澤消太の名前と印鑑。そして俺の名前と、空欄になっている印鑑マークが記されていた。ホゴシャ。保護者とは、自身が小学四年生に上がってからまったく顔を見せなかったあの男女の事ではなかったか。

「死んだの」

感情の抜けた声で聞けば、相澤もまた感情のない声で答えた。その前に一呼吸置いたのは、自分への配慮か何かかとぼんやり考える。

「…金の取引をバックれてヤクザにやられた。本来ヒーローの出る幕じゃあないが___」

お前の個性を野放しにしておくのはもったいないと校長が判断してね。そう続ける相澤の目には、真っ直ぐと自分が写っている。なまえは急に居心地が悪くなり目を逸らした。ヒーローというのは、この歳になると中々耳に入らない単語だった。普段生活していた地域ではテレビはおろかラジオも設置されておらず、外部の情報など拾ってきた新聞くらいでしか得られない。特に興味もなかった。

「雄英高校、知ってるか。ヒーローを目指す高校生が集まる名門校だ。俺はそこの教員をやっていて、今回お前をそこに入れたいと提案したのは学園長だ」
「俺にヒーローを目指せって?さっきの現場を見て?」
「その武器を金のためじゃなく国民のために使って欲しいのが学校側の考えさ。喧嘩だってただのカツアゲじゃない、生きる為にお前が選んだ手段だろう」
「ああそうさ。俺は今までそうやって生きてきた。これからだって1人でやっていける」
「残念だが俺が見てしまった以上この先施設に連れていかれるしかないぞ」
「…4年間を経ての救済、か。今更にも程があるんだよ」
「分かってる。校長が目をつけなきゃ死ぬまでここに現れることも無かったかもしれない。見えないかもしればいがね、俺はこれでも悔やんでるんだ」

街を一望して、彼は初めて悔しさに顔を歪めた。なまえはそんな顔もするのかと少し驚いた。
肌は荒れていて髭や髪の手入れも碌にしていない。しかし彼が伸ばしてきた手には無数の傷跡があり、それは自分と少し似ている事に気がついた。細身の体とは裏腹に大きくゴツゴツとした手が頭に乗る。そのままさらりと髪を撫でられた。

「今までよく頑張って生きてきた。…遅くなって悪いな」

自分は救済を求めていたのだろうか。涙はとうに枯れて出なかったけれど、胸の内側がじわりと暖かくなるような感覚はあった。相澤消太。プロヒーロー。自分を助けにきた人物。そして今日から、自分の保護者となる人物。何度か心の中で復唱した後、意を決してなまえは口を開いた。

「これからは、アンタが俺の世話をしてくれるんだな」
「ああ」
「…じゃあ、よろしく」

消太さん。何でもないような顔で呼んだつもりが、言った後から羞恥心が後から追いかけてきて、柄にもなく顔が熱くなった。この出会いが人生を、はたまたなまえ自身を大きく変えるということを、2人は何となく分かっていたのかもしれない。

___とある不良少年の回想録より