迷い人

 終始無言の朝ごはんが終わった。現在の時刻は9時15分。2時間目の授業に向けて出かける時間が迫っている。家から学校まで20分ほど見ておけばいい。逆算して、一時間ほど余裕がある。しかしなまえは、必ず早めに準備をするようにしていた。慌てたくないからだ。
 忘れ物が無いかカバンの中をチェックをしていると、魏延が横からジッと見つめている事に気が付いた。そういえば、部屋の物を壊されては困るから触るなと言っていた。それだけに、暇を持て余しているのだろう。

「出カケル……ノカ」

 振り向けば魏延が口を開いた。いくら腹が立っていると言っても、言わなければならないことはある。言い付けを守っているではないかと自分に言い聞かせ、苛立つ心を抑えて口を開いた。

「学校…あー、学問をするところへ行くの。昼食頃には1度帰るから、それまでテレビでも見て待ってて。お昼が済んだらもう一度行かないといけないから、帰る話は今夜にしよう」

 そう言ってテレビのリモコンを差し出し、簡単に説明する。そうこうしているとあっという間に登校時間が迫ってきた。魏延が使い方を理解したのを確認すると、わたしは洗面所で服を着替え、面倒くさいが軽く化粧をする。そうして、身なりを全身鏡で確認すると、鞄を持って玄関へと向かう。靴を履いていると、魏延が玄関までやってきた。見送りのつもりなのだろうか。いつもなら振り返る事無く出る玄関口で、一度振り返る。

「行ってきます」

 魏延は返し方がわからないようで、頭を捻ってから「ウム」とだけ言った。扉を閉めるまでじっとそこに立つ彼は、まるで番犬だ。番犬のように大人しくしていれば良いが…。

 自転車を15分ほど漕ぐと、学校へ到着した。ほとんど信号に引っかからなかったのはラッキーだ。腕時計で時間を確認すればまだ開始まで20分ほどある。ゆったりした足取りで、授業のある講義室へ向かう。目的の講義室に入ると、見慣れた背中を発見した。

「アキ、おはよ。珍しく早いじゃん」

「あ、なまえおはよー!早いでしょー!」

 話しかけると、アキは隣の席に置いていた荷物をもう片方の空いている席に移動させた。アキが空けてくれた席に座りる。

「いつもはわたしの方が早いのに」

「うん、曜日間違えちゃった!」

 ケータイ片手にケラケラとアキは笑う。それにつられてわたしも笑う。芸能人がどうだとか、昨日のバラエティがどうだとか。そんな、他愛もない事を話していると、アキが、あ、と声をあげた。

「なまえさ、昨日渡したゲームやってみた?」

 その一言に一瞬ドキリとした。何せそのゲームのお陰で今大変な目に遭っている。話してみようか、とも考えてみたが、昨夜のことを正直に話した所で信じては貰えないだろう。

「うん、やったよ」

「どうだった!?」

 アキにしては珍しく食い気味に感想を求めてくる。戸惑ったが、何とか平静を取り戻して答える。ただし、魏延の事は覗いて。ゲームの内容のみの当たり障りのない感想を言う。

「グラフィックは綺麗だし、爽快感あっていいね!領土を取り合うってところも結構好きかな〜」

「うんうん…で?」

「え?」

「他には?」

「他って?」

「いや、ほら、なまえの好みって解んないからさーカッコいいって思ったキャラとか居なかったのかなー?って」

「まだそんなに進めてないし。解らないなぁ…」

 そっかそっか、といって頷いたアキは再び携帯に目を向ける。これ以上の会話はゲームをしていないのでわかる訳が無い。助かった、と安堵しながら時計に目を向けると授業が開始される五分前だった。そろそろだ、とルーズリーフを取り出していると、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。

「おはよ!」

「あ、タケおはよ」

「おはよー」

 タケこと、タケシが着たことでアキもわたしも席をひとつずらし、タケに席を空ける。タケは空けられた席に座ると盛大にため息を吐いた。

「あっちー!」

「暑がってるのタケだけだよ」

「タケも、もっと時間に余裕もってくれば良いのよ」

「アキにいわれたくねぇー!」

 三人でいつも通り談笑していると、教授が教室へ入ってきた。私たちは一応話すのを止めて前を向く。そして、タケがペンを持って、私の前に置かれたルーズリーフを奪うと何か書き込み始めた。私たちは授業中、暇さえあればこうして筆談するのである。広い講義室だ。声さえ出さなければ教授から注意など受けない。わたしは、何でも無いような顔でもう一枚用意したルーズリーフに、板書された文字を写しつつ、本日の昼食について考えた。

 帰る頃にはお昼をやや過ぎた時間帯になるだろう。作るのは面倒だし、そんなことをしていてはおやつ時になってしまいそうだ。やはり、出来合いのものが良い。
 しかしその前に問題がある。魏延はどれだけの量を食べるのか、何が好きで何が嫌いなのだろうか。全く分からないし、分かるわけが無い。それには一緒に買い物に行ったりするのが得策なのだが…今朝の様子では難しそうだ。説明不足だったのだろうか。何とかして連れ出す方法を考えなければ……ずっと引きこもりは良くないし、困る。


 授業が終わる頃には書く場所が無いくらいに、ルーズリーフに文字が敷き詰められている。が、それはアキとタケの字ばかりで、他に考えごとをしていたわたしの字はちらほら散らばっているだけ。いつも盛り上がると文字の上にまで書き込んでしまって読めない所もあるくらいなのだ。不思議に思ったのかアキが顔を覗き込んで、文字を綴った。

 なまえなんかあった?

 何でも無い、強いて言うなら暑くてぼーっとする(笑)

 アキの問いにギクリとしたが、平静を装っておどけて返事を書く。タケは話が読めないのか、わたしとアキを交互に見るばかり。あまり納得してなかったみたいだが、アキは「そっか」と綴った。こうして午後にも授業があるタケとアキとは別れ、帰路につく。魏延連れ出し作戦はまだ白紙の状態だ。

 
 なまえは自宅付近のコンビニでサンドウィッチとパン、そして牛乳を購入すると自宅へ向かうべく、自転車に跨る。その時である。

「うわああああん!!」

 子どもの泣き声が、すぐ近くから聞こえてきた。声のする方へ目を向ければ、マンションの入り口で男の子が泣いていた。スモッグを着用している所を見ると、幼稚園に通っているのだろう。平日の昼に独りでこんなところに居るのは何やら事情がありそうだ。急いでいるが、このまま放っておくのも人間としてどうかと思う。なまえは男の子に声をかけた。

「こんにちは、どうしたの?」

「あ、うっ、おれ、イヌがいて、それで、はぐれて……それで、それで、、う、うわああん!」

 質問が悪かったのか何なのか。男の子は半ばパニックである。

「う、うん、ちょっと落ち着こうか、ね?お名前教えてくれるかな?」

「ぐずっ、うん……おれ、なおき……」

「なおきくん!お名前ちゃんと言えたね!エラい!何してたの?」

「ようちえんでね、おさんぽで、おひるゴハンだから帰ろうねって」

「ようちえんのお友達とおさんぽしてたんだね。お昼だから帰ろうとしてたのね」

「うん。それでね、イヌがいて、おれ、こわくて、それで、みんなさきにいっちゃって……うぅ、ぐすっ……」

「そっか、それではぐれちゃったんだね……」

「う、うわあああん!!」

 確認の意味で、なまえはなおきくんの言葉を復唱したが、あまり良くなかったらしい。今の彼の現状を突き付けた形になって、余計に泣き出してしまった。

「な、なおきくん落ち着こう!大丈夫!なおきくんはちゃんと説明できるエラい子だから、絶対に幼稚園まで帰れるよ!大丈夫、大丈夫!」

「あ、ぐすっ……うん」

 そう声をかければなおきくんは少しだけ落ち着きを取り戻した。なまえはこういう時はどうするべきか悩んだ。幼稚園から歩いてきた。複数の園児を引き連れて歩けるだけの範囲でお散歩しているのだ。幼稚園の場所はそう遠くは無いはずだ。なまえはスマホを取り出して地図アプリを起動させた。

「なおきくんの幼稚園のお名前言えるかな??」

「いえる、ももぞのようちえん……」

「ももぞのようちえん、ね!」

 地名も含めて、ネットで検索すれば直ぐに候補が上がった。一番上の候補のホームページを開いてなおきくんに見せる。

「なおきくんの通ってる幼稚園って、ここかな?見覚えある?」

「それ!あってる!!」

「よし、今電話かけるから、ちょっと待ってね」

 彼のいう幼稚園に電話をかければ、ワンコールで繋がった。ハンズフリーにして、彼の名前と声を聞かせて、場所を言って保護している事を伝えれば、直ぐに迎えにいくので、その間だけ一緒にいて欲しいとお願いされた。電話を受けた園の先生であろう女性の声は上擦っていたから、恐らくなおきくんの行方が分からないのが問題になっていた事が伺える。

 先生の声を聞いて無事に帰れる希望が見えたからだろうか。なおきくんは先ほど大泣きしていた時とは打って変わって、はきはき返事をするようになった。
 親もいない、先生もいない。そんな中、何処かもわからない場所で、どっちに進んでいいかも分からない。そりゃ、不安になって当然だったろう。

 そこまで考えてわたしは、はっとした。今、魏延もこの子と同じように何処とも、何かも分からない物に囲まれて帰る道も分からずにいる。いくら大人でも不安にならない筈がない。取り乱したりしないだけで、心の中はどうだろうか?平常心でいる方が難しい筈だ。
 そんなことを考えながらナオキくんと他愛のない会話をしていると5分とかからずにエプロンを付けた幼稚園の先生が、息を切らせてせてやって来た。

 幼稚園の先生とナオキくんからの「ありがとう」を聞いてから、わたしは自転車に跨り、帰路を急いだ。魏延をひとりにしていると思うと、早く帰りたくなった。

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