重要なこと
珍しく目覚ましよりも早くに目が覚めた。カーテン越しに差し込む日の光に、天気がいいんだなぁ、とぼんやり天気のことを考えた。しかし、直ぐに背中の暖かさと、腰に巻きついている腕に気づいて驚いた。魏延だ。昨日の出来事は幻では無かったのだ。
勢いよく魏延を蹴飛ばして起き上がる。なんなんだ。なんでこんな体制になってるんだ。無言で驚くわたしに、ベッドから落ちてしまった魏延は、寝癖のついた頭を必死で左右に振って、辿々しい口を開いた。
「ウ……エディ子……我乗リ越エテ……」
「……」
「エディ子……落チル……我……助ケル……」
乗り越えてまで落ちそうになったわたしを引きとめたのか。確かに私の寝相はお世辞にも良いとは言えない。夜中に寒さに目が覚めたら床でした、なんてこともしばしば…。そう考えると、恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、思わず手で顔を覆った。
「その、ごめん…蹴飛ばして…」
気まずい、とっても気まずい。魏延も気まずいのか、「ヴ…」とか「イヤ…」と唸るばかりで、会話にならない。黙り込んでいても何にならないので、とりあえずベッドから抜け出した。
「わたしは、気にしてないから」
魏延を見てそう言ったが、魏延の股の間の膨らみを知ってしまい、見なければよかったと後悔する。魏延の気持ちを利用したつもりだったが、一緒に寝たのは、もしかすると賭けだったかもしれない。朝からげんなりしてしまった。
強制的に思考を変えよう。朝ご飯だ。朝ご飯!勢い良く冷蔵庫の扉を開く…だが、冷蔵庫には何も無い。何か買ってくるしか無さそうだ。正直買い物に出て何かを作る元気もないし、喫茶店などに食べに行くのも良いだろう。
早速外に…と言いかけて止めた。そう言えば下着とスウェットしか買っていない。靴も外出用の服などないのだ。スウェットでは駅前の喫茶店へ行くのもなにか変だ…。精々、近所のコンビニに行くくらいが限界だろう。靴は…この時期には寒いが、ベランダにある健康サンダルなら履けるだろうか。
わたしがそんな事を考えている間にトイレに行った魏延がぺたぺたと足音を立てて帰ってきた。水を流す音が聞こえてきたので、そのあたりはちゃんと出来たのだろう。そのことに少し安心しながら、外出する事を伝えた。
すると魏延は素直に首を縦に振った。ならば、と外にでてからの注意点を上げる。
「必ずわたしの隣りに居て、屋外では手を繋ぐこと。そして、驚く様なことがあっても、大袈裟にリアクション…えー、反応しないこと。質問があっても後から、もしくはこっそり聞くこと。いい?」
少々子供扱いをしすぎか、とも思うが、知識がゼロに等しい赤ん坊を連れて歩くようなもの。騒がれて変な人に間違えられても困るので、了承してもらわなくてはならない。簡単に首を縦に振るのかと少し心配になったが、こくこくと頷く魏延にほっとした。安堵して、思考は着替える方向に。魏延に合わせてわたしもスウェットで出た方が、カップルか兄妹か、どっちに見られたって良い。その方が自然だろう。そう判断して、黒の上下セットのスウェットに着替える。
では出かけよう、と魏延に声をかけようとした時に気がついた。アノ仮面を着けているではないか。
「魏延さん、それいらない」
「何ガ…ダ…?」
「仮面だよ、か、め、ん」
わたしの言葉に魏延は言っている意味が解らない、とでも言いたげに目を瞬かせた。
「こっちじゃ、仮面してる人ってそう居ないんだよ?逆に目立っちゃうの」
「ウム……?」
こてん、と首を傾げる魏延。今迄のことはすんなりと了承し、この調子なら苦労しなさそうだ、と思ったわたしが馬鹿だったのかもしれない。
「だからさ、着けるならせめてコレとかにしてくれない?」
差し出したのは花粉対策なんかに使われる鼻と口を覆う、普通のマスク。それを見た魏延は、首を縦にではなく、横に振った。
しかしわたしも諦めない。もう一押し、説得を試みる。
「それ、外さないと、外に出られないよ?」
「ナラ…行カヌ……」
は?と思わず出そうになった言葉を飲み込む。譲れないものというのは人それぞれあるとは思う。が、あの仮面にこだわる理由がわからない…逆に目立つし、あんな怖い仮面を付けていたら警察に遭遇すれば職務質問を免れは出来ないだろう。
魏延がどんな風に過ごしてきたのかは知らないが、わたしの知る限りゲームの中で、仮面をつけている人など魏延以外には居なかった。そこから考えても、つけないのが普通だということは解るはずだ。説得を試みても頑として首を縦に振らない魏延に、わたしの心が先に折れた。
「わかった、『ひとりで』いく」
イライラを抱えたまま、玄関まできた魏延に何も告げずに家を出た。結局ひとりでコンビニまでやってきた。昨日は文句言わずに食べていたが、まだまだ彼のことをよく知らない。何が好きなのか、何が嫌いなのかわからないし、アレルギーを起こされても困る。
もしかしたら、わたしが呼び出したのかもしれないが……。そうだとしても、わざとやろうとした訳ではない。それなのにどうしてこんなにも悩まされて、苛つかなければならないのか。そう思い始めると怒りが増してきた。
苛立ちを隠しきれずに、やや乱暴にカゴをレジに置く。お店のカゴやスタッフには関係ないことはわたしも十分に分かっているが、どうしても頭にきている。来ない魏延が悪い。好みなどは考えず投げやり気味に選んだお弁当2つと、保存のきくカップ麺などを購入して、足早に自宅へと戻った。
帰りつくと、魏延が玄関で出迎えた。出かけてからずっと玄関に居たというのだろうか。そんな魏延の姿を見て、先ほどの腹立たしさがこみ上げる。健気に待ってました、とでも言いたいのか。もっと別の所にその忍耐を使ってほしいものだ。
「早く、部屋に入って」
とだけ言って買い物袋を受け取ろうとする魏延をわざと無視。魏延の横をすり抜けてキッチンに向かい、テーブルにお弁当を置く。席にはつかず手洗いうがいを済ませると、飲み物の用意をする。
グラスを二つ取り出し、冷蔵庫からお茶を出す。魏延はわたしの様子を何も言わずに覗っている。それに気付かないふりを続けて、テーブルに置いたグラスにお茶を注ぐと、大げさ気味に息を吐いて席に着く。
「いただきます」
わたしは手を合わせてそう言うと、食べ始める。魏延もそれを見てお弁当に手を付ける。食べ始めてから食べ終わるまで、無言の朝ごはん。わたしの機嫌が悪いのを悟ったのか、単に無口なだけなのか、魏延も話そうとはしなかった。