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まごころ



ぼふん、という破裂音で集中の糸が切れた。パソコンから顔を背けると同時に視界に入る、ワタリの苦笑した表情。またか、と諦観に似た呆れが胸中に沸いた。ワタリが「見てきましょうか」と口を開いたところで部屋の扉が開いた。


「えっ……、える……!」


悲鳴を上げて駆け込んだ彼女。予想どおり格好は粉まみれで白い。全速力で駆けた彼女は私の姿を見て、その双眸に並々ならぬ水量を溜めていく。耳栓へ手を伸ばしたのを見計らったと言わんばかりに彼女はとうとう泣き声を響かせた。


「ケーキが……! ケーキがああぁぁ!」


「うるさい……」


「Lがうるさいって言ったぁぁ!」


「ワタリ、彼女と一緒にキッチンへ行ってください」


これ以上は付き合いきれない。ので、確認途中の資料が映されているデスクトップへと視界を戻した。背中から未だ止まぬ泣き声がぶつけられるが、ワタリを行かせるのだからそれも静まるだろう。しかしワタリは私に問うてきた。


「よろしいのですか? 私で」


私の心理を透かしたような、妙に聡い声音であった。渋々と振り返る。床に崩れ落ちてべそをかく私と同い歳の女性。とても成人した女性には見えない。料理下手で粉まみれになってしまうのは彼女の不器用さから鑑みて許容範囲内としても、それで逐一子供のようにわんわん泣き声をあげるのはいかがなものかと思う。おかげで仕事は中断されてしまった。ケーキが、料理が、電子レンジがと、おおよその予想がつく事実を述べながら泣く彼女に自分はやおら近づく。


「くれぐれもひとりでキッチンへ立ち入らないよう再三言いました。貴女の学習能力は成長が止まっているんですか?」


「酷い! そうじゃなくて。今回は途中までいけたの、前回よりいけたの。でもなんでかレンジに入れて目を離した隙に急に破裂したんだよ。わたし悪くない」


「今回は何と一緒に生地を入れたんです?」


「卵だけど」


「そのままですか?」


「うん。茹で卵食べたかったし、一緒に温めたら手間が無くなると思って」


くらりと眩暈を覚えたような気がした。たまご。卵を、彼女はそのまま電子レンジへ入れたのか。私は元々料理に精通しているわけではない。そういった身の回りはすべてワタリに一任しているからだ。しかし、その私でも卵は電子レンジに入れたら破裂することは、彼女が引き起こした前々回の惨劇で学んだ。というのに、引き起こした彼女本人が同じ轍を踏むとは。以前は卵のみであったので掃除はそれだけで良かったが、今回はそれとは別にケーキの生地も入れている。きっと掃除は倍かかることだろう。事件現場以上の酷い有様になっているだろうキッチンを想像して、早くも役目をワタリに移したくなった。彼女ほど騒々しく学習能力のない人間は見たことがない。深く嘆息する。目を腫らして泣いていた彼女はすっかり立ち直っており、今から次の料理の話をしていた。それは厳重に制止するとして、だ。


「貴女の口からまだ聞いていません」


先を進む彼女の手を引く。健啖家とは思えないほどほっそりした腕は僅かな腕力で立ち止まり、眼下の主は姿を翻した。丸い双眸を細め、口角の肉を惜しみなく持ち上げて破顔する。それはどこか幼くも見えた。


「誕生日おめでとう、L!」


からっとした元気な声が響く。涼し気な風が吹き込み、胸が軽くなったような気がした。ありがとうございますと言う代わりに見上げる彼女との距離を縮める。錦糸の髪を払い、現れた額へ唇を落とす。彼女の騒々しさはたまに私を狂わせる。それに身を任せ、その先にある彼女が招くものを見たいと思うのは、この手が私を引くからだろうか。彼女が届く距離に、彼女の届く距離に。今年もそうであればいいと、柄にもなく願ってみるのだった。









HappyBirthday dear L lawlIet.
2022.10.31.