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少女は神に許しを乞う



すぐ傍に置いてある携帯を奪い取る。何度も打った番号だと言うのに、指は勝手に違う番号を押しては消すを繰り返し、それが二度もあったので舌打ちがこぼれた。そして今度こそ間違えずに打ち終える。応答ボタンを押して耳に宛がった。おねがい、出て。メロ。祈るように、縋るように繰り返しながら応答してくれるのを待った。ぷるる。出ない。ぷるる。出ない。ぷるる。やはり出ない。五コールを過ぎてもあの低い声は発せられなかった。じんわりと目頭が熱くなり、腹の中が何かに掻き立てられる。呼吸が浅くなっていくのを感じながら、頭の中ではただひたすらに彼の名前だけを繰り返した。


「お願いだから……」


許したわけでもないが、いよいよ堪えきれなかったらしい。目の縁にて揺れる波はそれを越えてしまい、幾重の筋を作りながら頬に雫を伝わせる。ぷるる。やっぱり出なくて。気道を塞がれてるような苦しさに喘ぐ。メロ、メロ、メロ! 名を呼ぶ都度、記憶が呼応する。錦糸のような金髪を輝かせながらも、いつも仏頂面で口の悪い彼が私を振り返る。懐かしい、あの場所で。がちゃ。


『今回は早かった』


「メロ!」


携帯越しに聞こえた彼の声に、言葉も終わらぬうちから食いかかってしまう。携帯を耳元で当てているであろう彼は「叫ぶなよ」なんて相変わらずの素っ気なさが返ってきて、萎縮して痙攣していた心臓がようやく大きな躍動を見せた。ああ、彼だ。私が知っていて、私をよく知るメロだ。鼓膜に馴染む声を聞いて、奮い起こしていた膝はついに脱力してしまった。どさりと大きな音を立てて崩れ落ちる。


『おい、どうした』


「ううん、なんでもない」


『物音がしたが』


「ちょっと転けた」


『頭だけじゃなくて動きも鈍いのかよ。勘弁してくれ』


「そんなんじゃないもん、馬鹿メロ」


『どっちが馬鹿だ』


そんなの言われなくても自分だってはっきり解ってる。メロと話せるのは一年でこの日しかないのは理解してる。彼の所在地も現状も伝えられない私からすれば、この番号だけでも伝えてくれただけで御の字というもの。だからこれ以上を求めたり、望んだりしない。しないって、昔の自分にきつく言い聞かせていたから、今はそれに救われてもいる。それはほんとうだ。でも、だけど。


「ねえメロ」


『なんだ』


「もうすぐクリスマスだね」


『そういえばそうだな』


「クリスマスソング、知ってる?」


『歌わないぞ』


「ケチ」


人間はまず声からその人物を忘れていくというらしい。どんなに親しい間柄でも、会わない期間が長いと脳が忘却していくそうだ。メモリの掃除とでも言うべきか。取捨選択を開始する。本人の大切なものであっても、脳は容赦なく捨てていくのだ。私は思ってしまった。そしてそのことを知って、心臓が完全に凍りつくほど恐怖した。


「メロ」


『なんだ』


「HappyBrithday」


両膝を抱いて顔を埋める。呟いたお祝いに返事はなかった。でも切れてないからちゃんと聞いてくれたんだと思うし、言えたんだと思う。だめだ、また泣きそうになる。ゆらゆらと薄い波が視界を侵食し、鼻の奥に突き刺す痛みが広がっていく。拭うように膝頭を瞼に強く押し当てても流れ落ちることを許してしまった。ねえメロ。私はあなたのこと、心の底から忘れたくないと思ってる。それは一緒に育ったあの場所を旅立つ時も、今も変わらない。大切だと思っている。なのに一瞬、あなたの声を忘れてしまった自分を知ってしまった。記憶から少しづつあなたの存在が消えかかっていることに、気づいてしまった。


「ねえメロ」


どうか、お願い。私から離れないで。私を捨てないで。そして私からあなたの一切を取り上げないで。今年もこの先も一緒に居られますように。私にはこんな願いを口にする資格は持ち合わせていなかった。









HappyBirthday dear Mihael Keehl.
2021.12.13.