29
退院後、久しぶりに寝転ぶ自分のベッド。本来ならば嬉しいはずの就寝前も、今日からしばらくの間はうまく寝付けそうにない。私は…今とてもソワソワしている。そんな気持ちを落ち着かせようと、途中まで読んでいた本を手に取ってはみるが…シンと静まり返る部屋に響く、心臓の音が何ともうるさい。
ああもう、落ち着かない。そうさせる原因が"彼"であることは明白なのだけれども。
―――ガチャッ…
「なまえちゃんおまたせー…あ、読書中かな?」
「っ!!え、はいっ、ちょ、ちょっと読んでから寝ようかなー…なんて…!」
「そ、そっか…僕も途中までのやつ読もうかな…?」
…ソワソワの原因。彼がお風呂からあがり、床に着くために私の部屋へと入ってきた。平常心を保とうとするあまり、思わず声が上ずってしまう。これじゃあ何だか私が変なことを考えているみたいじゃないか。
「………。」
…横目で見た彼の、少し湿った髪が何だか新鮮で…それがまた私の心臓を早めてしまう。この部屋の中では、そんな些細なことですら外に洩れてしまいそうだ。そんな沈黙を破るため、何か話さければ…と思ってはみるものの…こういう時に限って良い言葉が何も浮かばなかったりする。
「…なまえちゃんは今なに読んでるの?」
「へっ!あっ!えっ、これ、クリスマスのお話なんですけど…」
そんな中この沈黙を破ってくれたのは、有り難いことにハイセさんからだった。
「…あれ?それってもしかして最近映画化したやつかな?」
「っ!そうです!なんか面白そうだなーと思って…」
「僕も読みたいなぁと思ってたんだ!…面白い?」
「はいっ!えーっと…あらすじは…、……ッ!!」
ベッドのスプリングがギシッと軋み、本を持つ私の体に微かに左に沈む。自分のものとは違うシャンプーのにおいが鼻をかすめる。本を覗き込む為なのか、ハイセさんが私の横へと腰掛けてきたのだ。
(ちかいちかいちかいちかい…)
これもまた彼の悪い癖だ。私の気持ちも考えないで、サラッとこういうことをしてしまう。そもそも密室で異性と2人きり、腰掛けてるだけとは言え、いま私達はベッドの上だ。こんな状況に、彼は何とも思わないのだろうか?
(…私はそういう対象じゃないってことかな)
そう考えると、少しだけ悲しくなった。悲しいというより、空しいというのだろうか。数分前の自分がなんだか馬鹿みたいに思えた。勝手に変なことを考え、どこかで"期待"をしていた。…そもそもこれはアキラさんの命令で、彼はそれを器用にこなしているだけなのに。
「…そろそろ寝ようかな。明日も早いですし…」
「あっ、うん!ごめんね、付き合わせちゃって…」
「いえ…!これもうすぐ読み終わるので、その後で良かったらハイセさんも読みますか?」
「ッホント!?ありがとう…!良かったらなまえちゃんの感想も聞かせてね」
「はいっ!…では、おやすみなさい」
"おやすみ"というハイセさんの返答を合図に、部屋の灯りが落ちる。ベッドへと潜り込んだ私の顔は自然と壁側を向いていた。
一体…何をむつけているんだろう。ほんの少しだけでも彼に自分のことを意識してもらっていると、何とも都合のいい勘違いをしていたのだろうか。そもそも彼の優しさや私を心配してくれる気持ちは、上司としてとか、母性とか…そういう類のものなんだ。
…私はそうやって自分を納得させようとした。傷つかないために。
「……まだ起きてる?」
「…ッ、……はい」
暗闇の中、突然ハイセさんの声が響く。思わず私の体は強張った。
「…明日、本局でオークションの件…報告あるから」
「はい…それなら」
「…僕も同席するし、緊張しなくて大丈夫だからね」
「はは、…ありがとうございます」
「そ…、それと…」
「…?」
ハイセさんの話す言葉が、ほんの少しだけ途絶える。お互いの表情も読み取れない暗闇の中、私が彼の気持ちを読み取ることが出来る唯一の手段は、与えられた言葉とその声だけだった。
「…なまえちゃん、あ、明日の夕方時間空いてる?」
「へっ…?…特に予定はないですけど…」
「良かったら…買い物、付き合ってもらえないかな?」
「…買い物ですか?」
「うん…クリスマスのプレゼント。内緒で皆に渡して驚かせたいんだ。でも1人だと相当迷っちゃいそうだなと思って…はは」
彼は今、いつものように遠慮がちに微笑んでいるんだろうな…と、こんな暗闇の中でも彼のことが分かってしまうことに、私は少しだけ可笑しくて笑ってしまった。
「ふふ、…いいですよ。私で良ければ!」
「!!ありがとう!!…あっ、そ、それでなんだけど」
「っ?」
「買い物が早めに終わったら…少し歩いてから帰らない?」
「へ…?」
「…イルミネーション、一緒に見に行かないかなって」
「イルミネーション…?」
「なまえちゃん、車の中で行きたそうにしてたからさ」
「…!」
彼のその一言に、私はハッとする。今日、病院からシャトーへと向かう車の中。夢中で眺めていたあの景色を、目を輝かせながら見ていた私を、彼は気に留めていてくれていたのだと。
「僕も行った事ないんだけど…気晴らしにでも。どうかな?」
「…嬉しいです…楽しみにしてます…!」
「良かった…!ありがとう、じゃあまた明日ね…」
「はい!…おやすみなさい」
顔が緩んでいるのが、自分でも分かる。声に出して喜びたいくらいだが、今はそれが出来ないのがこそばゆい。
私は、とても嬉しかった。彼が私のことを見てくれているような気がしたから。そして、自分が彼の行動、言葉のひとつひとつに振り回される度、嫌になるくらい自覚させられる。ああ、やっぱり私はハイセさんのことが好きなんだと。
- 29 -
[*前] | [次#]
top
千年続く、幸福を。