失う2(不死川実弥)



前世の記憶がある。
今とは似つかぬ物騒な時代に、濁った群青の空の下で戦うのだ。
何かおぞましい生き物の肉を切り裂く感覚。
ゾッとするほど生々しい。
そして、憎しみと悲しみと、なにとも取れぬ憤りを抱えながら闇を駆けるのだ。
年を重ねるごとに鮮明になるその記憶には悩まされた。
決して幸せなものではなかったから。
悪夢だと思った。
誰も救われないではないか。
化け物も元は人間だというのに。
家族友人が尋ねてくる腫らした目元への理由を何度も考えた。
前世を少しずつ思い出し、その夢を見始めたころは寝るのが憂鬱だった。

ただ、鮮明になるにつれ、絶望の中に見いだした光があったことを知った。
美しく、力強く、優しい人だった。
粗暴は決して穏やかではなかったが意味のないことはしない。
多くのものを抱え込み独り直走る。
見据えた先にあるのは化け物の殲滅。
悲しいほどに、優しい人だった。
すぐにでも死んでしまいそうだと思った。
抱えるもの全てを共有出来るとは思わないから、どうかその一部だけでも共に背負わせてくれまいか。
そんな淡い願いを込めて大きな背中について回った。
彼がそんな私をどう思っていたかは分からない。
ただ鬱陶しがっていただけかもしれない。
それでも良かった。
それでも隣に在れることが、話が出来ることが、幸せでたまらなかった。

最後。
首元の肉が引き裂かれた。
息が出来ない。
叫び声すらあげられない。
痛みすら感じない。
真っ赤に染まった視界の中で急激に体の力が抜けていった。
薄れゆく意識の中で最後に思ったのは死んだ家族、仲間のことではなく、あの人のことだった。
最後まで言えなかった。
優しいあの人は私の死まで抱えるのだろうか。
きっとあの人は誰にも傷ついて欲しくないだろうに、私が、苦しませてしまう。
私は沢山のものをもらっておきながら恩を仇でかえすのか。
あぁ、文箱の中身をどうか見つけないで。
貴方はきっとそれすらも抱えてしまう。
どうか私のことなど忘れてくれ。
お願いだ、
私はただ、
ただ、
実弥さんの、
幸せを、



ゆっくりと意識が覚醒していく。
突っ伏していた机から体を起こすと目元が濡れているのに気付いた。
昨晩は大学の課題をしていたがそのまま寝落ちてしまっていたらしい。
痛む体を起こしながら朝日の差し込む窓を見る。
まだ夜が明けたばかりだろう。
前世の影響か、朝日は特別なもののように感じる。
悪夢の終わりだ。

今世であの人には出会っていない。
もしかしたらいないのかもしれないと思うこともあるが、当時の隊の仲間は確かに存在している。
燃えるような恋をしている蜜璃も。
ニコニコと笑い委員に部活と様々なことに関わっている後輩のしのぶも。
相変わらず熱い歴史教師の煉獄先生も。
爆発音の聞こえる美術室の住人である宇髄先生も。
言葉足らずの体育教師の冨岡先生も。
あの頃の仲間達は皆いるというのに。
あの人だけがいない。
あの人だけが。

大学の講義をぼんやりと聞く。
今は教師を目指して大学に通っている。
何度も探そうとした。
どうしても伝えたいことがあったのだ。
それはきっとエゴで、自分勝手で自己中心的なものだというのに。
どうか、貴方を愛していた私のことは、忘れてくれまいか。
何度もそう願った。
何度もそう願って、何度も泣いた。
忘れて欲しくなどないのだ。
私は彼を愛し続けているのだ。
愛の知り方が分かっても忘れ方は分からない。
彼に他に愛している人がいるなら諦めるから。
彼がそれで幸せなら私は諦めるから。
どうか、もう一度会わせてくれないだろうか。
それとも、彼を残してしまった私への罰だというのか。
お願いだ、何もいらない。
他には何もいらないから、どうか、

愛していると、伝えさせてくれまいか。



「おまえ、」
「…は?」


帰り道。
母校に寄っていこうと校門前に付いたとき。
懐かしい声が聞こえて。
まさかと思った。
ただ、無造作にはねた白髪も、広げられた胸元も、幅の広い肩も、どう見ても、

「実弥、さん」
「お前、」
「なんで!入れ違ってるんですか!!」
「あぁ!?」

こみ上げた想いに耐えきれずに思わず叫ぶ。
なんだ。
なんなんだよ。
必死に探して、必死になっていたのに、変わらずガラの悪い返事をして。
これだけ探していたのにどうしてこんな入れ違いで教師をしているんだ。
私が今までどんな思いで過ごしてきたと思ってるんだ。
そこまで胸元開けてどうするんだ。
また女子供に避けられそうな顔して。
前よりは多少柔らかくなってるかとおもってたら、
変わらない、昔と変わらない、顔を、して、

ふわりと懐かしい香りに包まれ、ゆるゆると逞しい手が背中を行き来する。
暖かかった。
酷く暖かかく、一定の間隔で刻まれる鼓動は確かに今、私達が生きているという証だった。

「…泣くな」

子供をあやすような優しい声で彼がそう呟いた。
堰を切ったように溢れ出した涙が更に視界をにじませる。
ゆっくりと抱きしめ返しシャツを握る。
私が泣いて困っているのか。
私が泣いて焦っているのか。
私が泣いて、悲しんでいるのか。
どれでもいい。
私が今まで必死に探してきて泣いたんだから、少しぐらい慌てたら良いんだ。

「…ずっと探してたのに」
「あぁ」
「ずっとずっと、探してたのに」
「俺だって探してた」

そんなことを呟いて背中を撫でつづける彼が少し震えているような気がした。
やっぱり背負わせてしまったのだ。
彼の最後を私は知らない。
彼の唯一無二の弟とは分かり合えたのか。
最後まで鬼の殲滅に加わったのか。
彼の求めた平穏は彼の目に映ったのか。
けれど、そんなことはどうでも良いと思うのだ。
今、彼が幸せならそれで良いのだ。
今、彼の欲しかったものが全て手に入っていれば良いのだ。
今、仲間達が幸せなら、それで良いのだ。

話しても良いだろうか。
前から言えなかったことが一つだけあるんだ。
隠し事はしなかった私が唯一貴方に隠したこと。
言いたかったこと。
言えなかったこと。
私は昔からわがままだから。
それでも良いから。
どうしても、伝えたいんだ。
エゴでもいい、どうか、聞いてくれまいか。

「実弥さん、私、」




貴方を愛してる。