失う(不死川実弥)

※死ネタ


いつの間にかそばにいた。
きっかけはあったようだが覚えてはいなかった。
コロコロと良く笑い良く気付き、誰にでも優しく誰からも好かれた。
名前を呼びながら後ろをついて回るそいつは何度暴言を吐いても離れようとはしなかった。
その姿がなぜか兄弟達と重なり本気で突き放すことが出来なかった。最も、何度かは試そうとしたがそいつは懲りもせずに付いてきた。

鬼殺の腕があった。
剣技の才があった。
それは素直で優しい女にとっては不運であったが隊はそれを必要としていた。
そして酷く優しい少女はそれを人様の為に使おうと、思ってしまったのだ。
哀れな女だった。
だが、ついて回られたのが心底嫌だったのかと言われればそうではない。
安心しきったように笑いかけられたのが心底嫌だったのかと言われればそれも違う。
人の感情の移り変わりに敏感で、お人好しなあの馬鹿に、俺は確かに安寧を覚えていたのだ。
笑顔で飯を作り好物を訊ねてくる。
自分が怪我をしたとき以上に苦しそうに怪我の手当を勝手にしてくる。
任務に行けばそれなりに役に立つ。
いつでもそばにいたがった。
母のように心配し、妹のように甘え、時には犬猫のように喜んだ。
いつの間にかそばにいた。
何故かずっとこのままの気もした。
だがそんなことがあり得ないのは分かっていた。
分かっていたはずだった。
それでも常に後ろをついて回り、常に隣に並びたがりったこいつは、己の与り知らぬ所で死ぬことはないだろうと。
死にそうな時には傍にいてやれるだろうと。
そう、思っていたのだ。
それを考えていたのは無意識であった。
そいつの人柄故か、自分の頭が不抜けたせいか、無意識であっても、思っていたのだ。
そんなことをこの残酷な世の中は少しも保証してくれないというのに。



あいつは最後、一人で死んでいった。




どんな最後だったのかすら分からない。
駆けつけた時には口の周りをべったりと赤く染めた化け物がそいつの体を貪る最中だった。
顔は比較的損傷が少なかったが、少しも物言わぬ感情のないその顔は、初めて見るものだった。
いつもニコニコと笑っていた。
もう、二度と動くことはない。
鬼殺隊に関わらなければこんな最後を迎えることもなかっただろうに。
鬼に関わらなければ人の死を抱えることなどなかっただろうに。
刀など手に取らなければこんな苦痛を味わうこともなかっただろうに。
育手など紹介されなければ、
最終選別など行かなければ、
隊服など身に付けなければ、
俺などに、ついて回らなければ。
器量の良いあいつのことだ。
好いた男と今頃暮らしていたはずだ。
血なまぐさい話などなく、着物や簪や、そんなことを考えていたはずだ。

俺が、あいつを殺したようなものだ。


あいつもまた鬼のせいで天涯孤独なうちの一人だった。
それでも功績か人柄か、墓前には数日経った今も新しい花が止まない。
屋敷の隅の小さな部屋。
主を失い、明るさを失った場所だ。
交友関係の広かったあいつのことだ、誰かに向けた文の1つでもあるのではないかと思いあちこちを探すがめぼしい物はない。
文をしたためるのに使っていた机の下に小さな箱があった。
漆で塗られたそれは随分と年期の入ったものだ。
何故かざわつく心を抑えながら開けてみる。
中身は文と組紐であった。
文には幾度となく見た細い字で「不死川実弥」と己の名が書かれていた。
やけに自分の鼓動が煩い。
組紐は若草色と白で編まれたものだった。
その色は、昔あいつが俺の色だと、言って、買っていた、紐、の、



「見て下さい、実弥さん!」
「あ゛?」
「若草色!実弥さんの日輪刀とそっくり!!実弥さんの色ですね!!」
「だからなんだ」
「買います!店主〜これいくらですか?」

殆ど自分の為に散財しない女が珍しく物を買ったのを見たのは後にも先にもこのときだけだった。



見なければならないと思った。
この文に何が書かれているか。
酷く心が重かった。
何時までも追い出さず、手元に置いてしまった責任がある。
どんな後悔が述べられていようとも、見なければならないと、思った。
出て行けと本気で言えなかったのは自分のエゴなのだから。



「あ゛?想い人がいるなら尚更出て行けェ」
「出て行きませんよぉ!」

珍しく任務の入らない夜、縁側でおはぎを口に頬張りながらそんな話をした。
下手くそな作り方しか出来なかったのがやっと形になってきた頃だ。
頬を膨らませて拗ねてみせる。
ただでさえ童のような顔つきをしていると言うのに尚のことそれが際だつ。

「柱になったら伝えるって決めてるんです!」
「ハッ、何年後かね」
「何年かかってもいいんです、死ぬまでに、」
「なら、遺書にその男への想いとやらを書いておくんだな」
「え?」
「俺がお前より早く死ぬことァねぇからな。
その男に伝えてやるよ、お前が嫌ってたってなァ」
「嫌がらせじゃないですか!やきもちですかっ!!」
「嫌なら一生懸命生きることだな」



想い人。
そうだ、あいつの想い人に伝えてやらなくては。
相手もあいつのことは嫌わなかっただろうから。
素直で優しいあいつは一体誰を想って死んでいったのか。
叶わないことを嘆いただろう。
俺に関わらなければ叶ったかもしれないと思っただろうか。
答えの出ないことをぐるぐると考えてしまう。
失うことなど、初めてではないというのに。
広げてみるとしばらくは白紙が続いていた。
何故こんな大きな紙を使ったのか。
パタパタと広げきった所に小さく、一言書かれていた。




「実弥さん、貴方をお慕いしておりました」




本当にそれだけだった。
自分の名前すら刻まない。
語尾は過去を表すもの。
余計な気を使わせまいとしたのか。
字だけではバレないとでも思ったのか。

「馬鹿野郎」

やけに広く、涼しく感じる部屋に己の声が木霊する。
酷く掠れて、今にも泣きそうな声だった。
心に風穴でも開けられたような感覚だった。

哀れな女だ。
自分だけ告げて逝って、こちらから何かを返すことは出来ない。
それともあいつは今ここにいるのだろうか。
見えもしないものは夢物語で確かめようなどない。
俺の言葉を届けようにも、

その瞬間、気付いた。
いや、今までも気付いていたのだろうが、目を背けてきたのだ。
そうだ、この感情は、ただ継子を失ったと言うにはあまりに重すぎる。
優秀な継子ではあったがこの感情はそれ以上のものだ。
あいつについて回られたのが心底嫌だったのかと言われればそうではない。
安心しきったように笑いかけられたのが心底嫌だったのかと言われればそれも違う。
人の感情の移り変わりに敏感で、お人好しなあの馬鹿に、俺は確かに安寧以上のものを覚えていたのだ。
そうだ、俺があいつを手放せなかったのも、
俺の言動で一喜一憂する姿を見て優越感すら覚えていたのも、
全部、この一言で片付くのだ。



「醜い鬼共は、俺が殲滅する」



愛していたんだ、俺は、あの馬鹿を。