──手折られた桜の枝からはもう、美しい花が咲くことはありませんよ
かつて宿儺にそう教えたのは巴だった
目の前には手折られた美しき花
赤く赤く、その身は染まる
二度と花開くことはないと思った
長い眠りを経て、漸く目が覚めたと思えばあの巴がいるでは無いか
あの時虫けら共に蹂躙され、無惨に散ったその命
再び相見えようとは思いもしなかった
愛おしいという思いが宿儺の胸を焼く
呪いの王へと身を窶したことに後悔はない
しかし、しかしだ
幾人もの命を葬ったこの腕で巴を抱いても赦されるだろうか
徒に幾多の生を殺めてきた
復讐の名の元に、仇討ちと託けて、鏖殺の限りを尽くしてきた
あの清廉な巴がそれを受け入れてくれるだろうか
答えは否だろう
現に巴の記憶に宿儺はいない
それは宿儺へ下った罰だったのだろう
巴は宿儺を拒絶しない
代わりに受容もしなかった
宿儺が望むことは一つだけだった
──また巴と美しい桜が見たい
それを口にするには宿儺はあまりにも血に塗れすぎていた
桜も巴も宿儺には触れるのを躊躇う程に清らかすぎた
だから諦めた
愛されることを
巴の目には兄弟しか写っていない
幸か不幸かその一人こそ宿儺の器である虎杖悠仁、その人である
だから殺した
だが悠仁と契約し、悠仁の身体を生かしてやった
巴と会えぬことが耐えられなかった
しかし宿儺は諦めず虎視眈々と機会を狙う
自分を見ぬのなら巴の目に写る者共を消してしまえばいい
泣きながら救いを求める巴はさぞ美しかろう
愛を求めることはやめだ
己のせいで大切な者共が死にゆく姿を見ながら、巴は何を思うだろうか
どうせ血に染まっているのだから、全てを嬲り殺してやろう
悠仁が一つ、また一つと宿儺の指を取り込んでゆく
全ての指を取り込んだ時、それは即ち鏖殺の合図である
やれ巴、暫し待て
この呪いの王自らお前を迎えに行ってやる
「···な、··くな、おい宿儺!」
悠仁の声に沈んでいた宿儺は意識を浮上させる
そして悠仁の手に現した口で言葉を返す
「そんなに呼ばんでも聞こえておるわ」
「兄ちゃんが呼んでるけど」
絶対嘘だとでも言いたげな目で悠仁は掌を見つめながら用件を伝えた
「何、巴が?それを早く言え」
心做しかうきうきした様子の宿儺に悠仁は釘を刺す
「会うのは良いけど、変な事言うなよ」
「あ、兄ちゃん!」
ぶんぶんと大きく手を振る悠仁にそわそわとし出す宿儺
「悠仁、先生から許可もらったよ!」
巴の僅かに弾んだ声に宿儺まで嬉しくなる
何用かは知らないが
「了解!じゃ宿儺、生得領域に兄ちゃん入れられる?」
突然のことに宿儺はやや困惑したものの、それは容易い事だった
悠仁の言う通りに事を運ぶのは癪だが、宿儺の目の前には期待に目を輝かせた巴がいた
その目を見て否とは言えなかった
しかし、だ
宿儺の生得領域は骸の山で形成されている
禍々しいやらおぞましいやら、そんな言葉が似合う場所だ
そも生得領域とはその人の心の内を表すものである
故に宿儺の生得領域に巴を招き入れるとは、そんな不穏な心内を暴露するのと同じである
宿儺の心は揺れていた
好きな子に家に行っていい?と聞かれ、部屋のポスターを慌てて隠す思春期男子と同じような思考回路である
宿儺は逡巡した挙句、スッと消えた
そして悠仁を生得領域に連れ込んだ
『おい小僧、巴に伝えろ』
『えー直接言えよ、で何?』
『直ぐには無理だ、と』
やけに愚図る様子の宿儺に我慢ならなかった悠仁は率直に「なんで?」と理由を尋ねた
『こんな不吉な場所、巴に見られて嫌われたらどうしてくれる!いいな、小僧時間を稼げ』
『え、これ変えられんの?』
そして宿儺はポイッと悠仁を追い出すと生得領域のカスタムを始めた
「宿儺何だって?」
置いてけぼりを食らった巴が尋ねた
「うーん、兄ちゃんは入れたくないって」
「そっかー、うーんごめんね宿儺」
しょんぼりと肩を落とす巴に宿儺は言葉を交わそうとするも、その前に悠仁に叩かれ口を噤む
そして悲しげに去っていく巴の姿を眺めることしか出来なかった
『どういうつもりだ?小僧』
『確かに俺も兄ちゃんこの中入れたくないなって』
先程と一切変わらない宿儺の生得領域を見渡し、悠仁は言った
『小僧貴様!あの様な言い方をして、もし巴に嫌われでもしたら!』
『大丈夫だって!そもそも俺の事殺してから兄ちゃん宿儺のことそんなに好きじゃないし』
『ッ殺す!殺す!殺す!』
当然のように言い放った悠仁に宿儺はブチ切れた
しかし悠仁の言うことは最もである
弟を殺した者をどうして好きになれようか
さて、あまり感情的になることのない宿儺の地雷は巴と恵である
恵に関しては自分で痛め付けるのは好きだが、他者にやられるのは許せないタイプの地雷である
対して巴は誰であれ、それこそ己であれ巴を痛め付けるのは許せないのであった
冒頭の不穏な空気はすっかり鳴りを潜めていた
ここまで嫌われることに恐怖を覚えるのだから、巴の嫌がることをするなんて土台無理な話である
宿儺本人はそれに気付いているのかいないのか、今日もひっそりうっそり巴を眺めていた
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