風邪を引いた。

兄様には大人しく部屋で寝てろと言われてしまったし、悠仁にも教室から追い出されてしまった。
正直寂しいけれど、頭がぼんやりしてきてそんな気持ちも薄れてゆく。

何となく昔もこんなことがあった気がする。




「巴くん、遊ぼ。今なら誰もいーひんさかい自由に遊べんで」
扉からひょっこり顔を出したのは直哉くんだった。
何か話そうと口を開くも、ごほごほと咳がこぼれるばかりだった。

「しんどいの?お薬持ってこよか?」
直哉くんはそう言って僕から背を向けようとしたが、思わずその手を掴む。
「いかないで」
掠れた声で何とかそう言うと直哉くんは頷いてそのまま僕のそばに座り込んだ。

「何して遊ぶ?」
僕がそう聞くと直哉くんは首を振って断った。
「別に無理して遊ばへんでもええで。巴くんと一緒にいられれば俺はそれで充分やし」
「ごめんね、今度遊ぼうね」
直哉くんは嬉しそうに笑って頷いた。

「さっき大きい虫見つけてや、近くにいた使用人の襟首に入れたったんや。ほんなら凄い大声出して驚いて、ぴょーんって飛び跳ねたんやで。ほんまにおもろかった」
笑いながら話す直哉くんに思わず注意してしまう。
「そんなことしたら駄目だよ。その使用人さん可哀想でしょ」
「可哀想なことあらへん。巴くんの悪口言うとったもん。当然の報いやん」
少し怒りを滲ませて話す直哉くんに嬉しさが勝ってしまう。
「ありがとう、直哉くん」
「へへっ、巴くん傷つける奴は俺が許さへん」



「ほんでね、ほんでね」
「う…ん……」
「巴くん眠なったん?」

「おやすみ」
眠りに落ちる前に優しく頭を撫でる感触を確かに感じたのだった。


「…直哉くん」
随分と懐かしい夢を見ていた。次期当主と言われていた直哉くんの夢だ。
歳が近くて優しい直哉くんが僕は大好きだった。
僕からは直哉くんのところに行けないけれど、直哉くんはこっそり見つからないように離れまで来てくれた。
兄様が家を空ける時は必ずそばに居てくれて、それが何より嬉しかった。

──巴くんの目はええなぁ。林檎みたいで美味しそうやし。
直哉くんは僕の目を見てそう言った。
大体の人は血みたいと喩えるのに、彼は林檎みたいと言ってくれた。



僕が死ぬ数日前も直哉くんと一緒にいた。
確か次期当主として会合に参加するって言ってた気がする。直哉くんらしくもなく緊張するって不安そうな顔して話していた。
数日間は会えないからって僕のことギュッと抱きしめて「充電中」だなんて笑って言ってた。

懐かしいな。







禪院直哉には忘れられない人がいる。
その人は幼少期を一緒に過ごした幼馴染みたいな存在だ。己の父に虐げられていた彼が可哀想で、こっそり会いに行ったのが始まりだった。

会いに行く度に青白い顔で嬉しそうに笑うその笑顔が好きだった。別れの挨拶をすると寂しげに目を伏せる動作が好きだった。

直哉は常に五条悟と比べられてきた。同じ次期当主として比較され落胆されてきた。
しかし巴はそれをしなかった。狭い部屋に押し込められていたために五条悟の存在を知らなかったのだろう。それが心地良かった。巴のそばにいる時は、ありのままの禪院直哉でいられた。


“落ちこぼれの兄弟”
それはこの家では巴と甚爾を指す。
天与呪縛により呪力が一切ない兄の甚爾。身体が弱く呪力もない弟の巴。

至る所で彼らの悪口が聞こえた。
直哉に媚びへつらった口で巴を蔑むのだ。
巴がフラフラになりながら床を拭いているのを見た時は驚いた。どうやら使用人に押し付けられたらしい。慌てて止めさせて、使用人をボコボコにした。
それほどまでに彼ら兄弟はこの家から迫害されていた。



「直哉くん、今日元気ない?」
「明日な、御三家で集まらな行けへんねん。そやさかいほんの少し緊張してんねん」
よしよしと頭を撫でる巴のその手が暖かくて、直哉はなすがままになった。

「数日は東京におるさかい。巴くんとは暫く会えへんなあ」
「それはちょっと寂しいね」
「ちょっとだけ?俺はえらい寂しいのに」
直哉がむうと頬を膨らませて言うと、巴は擽ったそうに笑って「僕もいっぱい寂しい」と話した。
「ほな今度会う時まで寂しないように充電させて。ほらぎゅうって充電中ね」
クスクス、クスクスと笑いあったあの日が最期だった。


帰ってくると巴はいなかった。兄の甚爾も姿を消した。
巴が死んだことを聞いた。風邪を拗らせてそのまま亡くなったらしい。正確な死因は知らない。
死ぬまで医者も呼ばれず独りで苦しかっただろう。
巴を思うと悲しかった。



「もし来世があるなら今度はずっと一緒にいようなぁ。巴くん。もう独りにしたりしいひんよ」

──でもやっぱり巴くんも甚爾くんもいーひんと、この家は少し寂しいなあ。