悠仁が死んだ
その報せを聞いたのは、傑先生との任務から帰ってきた時だった
珍しく五条先生が僕の部屋を静かに訪ねて来た
五条先生のその憂いを帯びた表情から弟の身に何かがあったことが伺えた
「………ごめん、僕悠仁のこと長生きさせるって言ったのに。悠仁死んじゃった」
「悠仁が死んだ?」
「うん、ごめん」
「…いえ先生のせいではないので。ですが少し一人にして下さい」
五条先生が部屋を出ていくと、そこには静寂しか残らなかった
悠仁が死んだ
その事実が重く僕の胸にのしかかる
僕は少しでも長く悠仁の側にいる為にここに来た
それでもまさかこんなにも早くその日が来るなんて思いもよらなかった
覚悟は出来ていたはずだった
悠仁の死刑を撤回するなんて僕には出来ない
だから一日一日を大切に生きようと思ったのに
夜蛾学長には後悔しないと言ったけれど、今になって後悔が押し寄せる
無理にでも悠仁を連れて逃げれば良かった
兄様には会えなかったかもしれないけれど、悠仁は僕が守らなければならなかったのに
守ると決めたのに
ふらふらと悠仁の部屋に向かう
悠仁の匂いに包まれたくて、こっそり忍び込んだ
お互いの部屋の鍵は持っているから問題は無い
当たり前だが、今朝と何も変わらない部屋の様子に悠仁が死んだことを信じられないでいた
頭ではわかっているのに気持ちがそれに追いつかない
悠仁が好んで着ていたパーカーを一枚持って自分の部屋に戻る
僕と同じ柔軟剤の匂いの中に僅かに悠仁の匂いがする気がした
その日は悠仁のパーカーを固く握りしめながら眠りについた
怖い映画を見て一緒に震えていた、そんな幼い頃の夢を見た
僕が兄なのに悠仁はいつも僕を慰めてくれてくれた
その頃は確かに幸せだった
朝起きて頬が濡れていたことには知らんぷりをした
悠仁が死んだと聞いた時には泣けなかったのに、幸せな夢を見て泣くなんて僕の涙腺はどうかしている
恵くんと野薔薇ちゃんに会った
二人とも僕に向けて頭を下げ謝罪の言葉を述べた
何も悪いことはしていないのに
頭を上げてもらって悠仁の最期を聞いた
両面宿儺に心臓を抉られ、長生きしろよと伝えたそうだ
自分の死の瞬間まで人を気遣えるなんて、最期の最後まで悠仁らしいと思う
そのらしさが僕には辛かった
悠仁が恨み言を吐かずに亡くなったのに、遺された僕が誰かを恨むなんて出来るはずがなかった
弟は僕に呪いを吐くことも許してくれなかった
頬を伝う涙の温かさに自分が泣いていることに気付く
恵くんが不器用に僕の頬を拭ってくれた
野薔薇ちゃんが乱雑に僕の頭を撫でてくれた
僕の方が年上なのに情けない
今日も僕は傑先生と修行するそうだ
既に術式を使いこなしている二人と違い、五条先生曰く僕はテレビの光をライト代わりとして使っているだけの状態だそうだ
つまり本来の使い方をせず、術式の幅が狭まっているらしい
もう少し基本が出来るようになったら、皆と一緒に出来るそうだ
今はそれも素直に喜べない
そこに悠仁がいてくれたら、そんなことを考えてしまった
数日後、久しぶりに会った野薔薇ちゃんが2年生と会ったという話をしてくれた
もう野薔薇ちゃんも恵くんも、前を向いていた
僕だけが弟の死から立ち直れないでいた
悠仁の服を纏い、段々と消えていく匂いに悲しみを感じる
僕だけ力が足りず、みんなと同じ任務にも行けないという事実がその不安を助長させていた
悠仁の死から10日程経って、兄が僕の部屋を訪ねた
遠方に任務に行っており今日帰ってきたという
いつまでもくよくよしている僕を見て兄様は言った
「いつまでウジウジしてンだよ、いい加減前向け」
「…無理です」
僕の答えに兄様は大きな溜息を吐いた
「いいか?虎杖悠仁の事は忘れろ、お前にとってもそれが一番だ」
僕の肩を掴んでそう話す兄の顔は真剣だった
「なら!兄様は僕が死んだとき、直ぐに忘れてくれましたか!」
咄嗟にそう言ってしまい、後悔した
兄が悲しそうな顔をしたからだ
「…忘れられるわけねぇだろ」
「忘れられなかったから、俺は全てが許せなかった」
「お前を殺した家も、それを良しとするこの世界も、お前を助けられなかった俺も」
兄の言葉に、僕は僕の死が兄に与えてしまった影響を理解した
「元気に育つ恵を見て、なんで巴はそうはならなかったのかと思うこともあった」
「本当はこんなとこで働く気もなかったし、二度とこんな世界足を踏み入れるかとも思った」
「なのに耳の奥でお前が兄様って呼んでンだよ、ずっと」
「あの日から道を踏み外そうとすると、お前が俺を呼ぶから俺は尊敬される“兄様”で居続ける羽目になった」
「もう褒めてくれるお前もいないのにな」
淡々と苦しそうに兄様は話す
「それは…」
「お前のせいで俺の人生は最っ悪だった」
吐き捨てるように兄様は言う
僕は何も言えなかった
「だが、こうしてまたお前に会えた。それだけで全部チャラだな」
そう言った兄様があまりにも嬉しそうに笑うから、僕も思わず笑ってしまった
悠仁が死んでから、初めて笑えた気がした
「なら僕は悠仁を忘れません。しわくちゃのお爺ちゃんになってあの世で悠仁にいっぱい文句を言います」
「悠仁のせいで僕はこんなにも苦しかったんだって」
「いいな、ソレ。なら俺も一緒に文句を言ってチョークスリーパーでもしてやるよ」
「ふふっ、それは怖いですね」
兄と話して僕はやっと前を向けた
┈┈┈┈┈┈
虎杖悠仁が死んだらしい
あの両面宿儺の器にして、巴の弟
ふと弟の悲しむ顔が頭をよぎった
弟は虎杖悠仁を酷く可愛がっていた
任務を終えて弟の元へ向かうと、目の下にははっきりと隈が残っており眠れていないことは明白だった
弟に話したことは事実だ
巴の声は確かに俺を正しい道へ誘った
それがなければ俺はとっくに死んでいたかもしれない、巴に会わせる顔がなかったかもしれない
巴のせいで俺は真面目に生きざるを得なかった
しかし一つ言わなかったことがある
俺は虎杖悠仁の死について一切の興味が無いということだ
虎杖が死んだところでどうでもいい、それが俺の本音だった
寧ろ巴から邪魔な分子が消えて喜ばしいとすら思う
まあ十数年間“俺の”弟を守ってくれたことは感謝しているが
そして何故か目の前に死んだはずの虎杖悠仁がいる
ぶらぶら歩いていると、微かに虎杖の気配と両面宿儺の気配がした
普通のやつには感じ取れないだろうが、俺にははっきりとわかる
気配を辿り、近づくとそこにはやはり虎杖がいた
見知らぬ男二人も側にいる
そして虎杖はいきなり男一人の服を脱がし逃走した
突飛な行動に思わずククッと笑いが漏れる
すぐに虎杖は戻ってきた
残った男は恐らく呪霊が見えているのだろう
蠅頭を目で追っていた
男と虎杖が場所を移動し、バレないように着いて行く
どうやら男から何かを聞き出したいようだった
しかし虎杖は解決したのか、以降二人で映画の話で盛り上がっていた
男二人で何が面白いんだか、そう思いつつ監視を続ける
男の母親らしい女が現れ、虎杖を連れて民家に入っていった
俺はそれを遠巻きに見ながら、虎杖が家を出た瞬間問い詰めることを決めた
しかし虎杖は五条の子飼いの補助監督に回収された
流石にそれに乗り込む気は起きず、伸びをしながら大欠伸をこぼした
そして俺も戻ろうとすると先の民家から強い両面宿儺の気配を感じた
勝手に上がり込むとあの母親が倒れ伏し、側には呪霊共が集まっていた
そして両面宿儺の指が落ちていた
無賃労働はしない主義だが、これを手土産に虎杖(&五条)を強請ろうと思い祓ってやる
女に怪我は無く、恐らく驚いて気絶しただけだろう
先程までこの家から両面宿儺の気配はなかった
虎杖が離れたあとも変な気配はしなかった
つまり気配を限りなく殺せる人物が、俺が気を抜いた隙に両面宿儺の指を置いていったのだろう
これを持ちながらここにいた所で、宿儺の指に釣られた呪霊共が集まってくるだけだろう
俺は踵を返し高専に戻った
祓う際にぶっ壊した家具や気を失った女のことを忘れて
虎杖の気配を追いかけると、七海までそこにいた
適当に七海に指を渡し俺を見て青い顔をした虎杖に問いかける
「なんで生きてんだ?」
「やべっ、えっと成り行き?」
「俺の弟泣かしたんだ、はいそうですかで納得出来るわけねぇだろ」
軽く3発程殴ろうとしたが、七海に止められた
「殴るなら五条さんにして下さい、隠していたのは彼の指示です」
仕方なしに拳を収め、事の次第を聞く
どうやら虎杖は上層部に殺されそうになったらしい
どうでもいいが、生きてたなら巴もさぞ喜ぶだろう
俺としては面白くない
「それより伏黒さん、貴方この指をどこで?」
「そのガキがさっきまでいた家に誰かが置いてった」
顎で虎杖を指しそう答えると、虎杖がキャンキャン吠えた
「え、ちょっと伏黒先生!いつから俺の事気付いてたの」
「うるせぇ」
「虎杖君がいた家ということは吉野順平の家ですね、怪我人は?」
「いねえよ、女が気を失ってたくらいか」
「順平の母ちゃんか!大丈夫かな」
事情は聞いたし、俺には関係ないため帰ろうとすると七海に止められた
「伏黒さん、明日虎杖君と共に吉野順平の監視をお願いします」
「は?なんで俺が」
「虎杖君だけでは心配なので」
七海のその言葉は俺なら任せられると言っているようで、悪くなかった
こいつは良くも悪くも事実のみで人を判断する
五条悟とそれなりにやり合える俺の強さを信用しているのだろう
「で、幾らで?」
「五条さんに言えば幾らでも払ってくれますよ」
「なら悪くねぇな」
翌日
里桜高校に帳が下りたことが確認された
ここは昨日虎杖と共にいた男の通う高校らしい
伊地知に里桜高校に向かう虎杖を止めるよう言われたが、それは俺の仕事じゃねえ
着いたそこは既に呪力が蔓延しており、術式を使った者がいることは明らかだった
速攻走り出した虎杖を程々に追いながらぐるりと辺りを見渡す
吉野順平とはまた違った“匂い”がする
恐らく呪霊だが、人との混じり物のような通常の呪霊とは異なるような匂いだ
七海が言っていた人の形を変える呪霊とはこいつの事だろう
俺はこいつを先に叩くことにした
呑気に高みの見物決めてるが後ろから思い切り斬り込む
既の所で交わされたが、それも想定内だ
こいつと吉野を近付けてはいけない、俺の勘がそう語っている
「やだなぁ、いきなり」
ヘラヘラと話しかけてきたそいつを睨む
やはりどうにもこいつは“人間臭ぇ”
そして意思疎通ができることから、相当のやり手と見た
途中七海から合流するとの連絡があったが、最悪七海と合流しちまえばこっちのもんだろう
それまでどう抑えるか、だな
何度か俺の攻撃が当たるものの効いている様子はない
そして七海曰くこいつの手には触れない方がいいときた
こいつ単体はそこまで強い様子ではないが、俺との戦いで成長しているとすら感じられる
そんなことを考えていたからか、蹴る方向を誤り呪霊を虎杖の方へと飛ばしてしまった
舌打ちを一つ零して慌てて追いかける
途中七海の気配もしたから直に来るだろう
呪霊は吉野に親しげに話しかけていた
虎杖が捕らえられていたが、それは自分で何とかするだろう
吉野に触れかけた手を叩き斬る
「あーあ、残念。君さっきから少ししつこいよ」
真人と呼ばれた呪霊が俺を見る
「これが俺の仕事なんで、なッ!」
吉野を庇いつつその腕を斬る
切っても切ってもキリがねぇ
こいつ邪魔だな
吉野を軽く叩いて気絶させる
腕から解放された虎杖が真人を正面から殴りつけた
効かねぇのに、と思いつつ真人を見ると確実にダメージを負っていた
よく分からねぇが、虎杖に丸投げすることにした
効かねぇ攻撃をしても意味ないしな
適度に真人の攻撃を躱しつつ、虎杖を観察する
流石にやべえ攻撃だけはどうにかしてやるが、中々こいつの戦いは面白い
体術に任せた戦い方は扱きがいがありそうだ
七海も来たし、俺は観戦することにした
吉野を見張りつつ眼下の戦いを見る
「うわ、領域展開しやがった」
七海はそれに対抗できる策がない
だが虎杖が領域の中に足を踏み入れた
すると真人の領域が破壊された
大方両面宿儺の仕業だろう
両面宿儺といえば俺の巴に手を出そうとしていると聞いたが、何であいつは面倒くさそうな者ばかり惹き付けるのか
真人が逃げた
追っても無駄だろう
吉野を担いで高専に帰る
どうせ七海も虎杖を家入に診せにいくだろうし、途中でついでに吉野も押し付ける
他人のために怒れる奴は嫌いじゃねえ
俺が本家の奴らに馬鹿にされると、誰よりも巴が怒ってくれてたな
俺はとっくに諦めたってのに
まあだから、虎杖は気に食わねぇが認めていないとは言ってない
この世界でせいぜい足掻けよ
さて巴に会いに行くか
→