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───リジ―、オレと海で暮らそう?

NRCを卒業する3ヶ月と4日前、フロイドにそう言われた

僕とフロイドは付き合っていた
気分屋で自由奔放なフロイドに告白されて始まった関係は、すぐに終わると思っていた
フロイドの飽き性は有名だし、僕も何も面白みのない人間だ
てっきりすぐに飽きられると思っていたのに何だかんだと2年半続いていた

そして、冒頭のあの台詞である

正直に言うと卒業と同時に捨てられると思っていた
だからフロイドのその言葉が、僕にとってどれほど嬉しかったか言い表す術がないのが残念だ

まあそれは置いといて

その言葉を受け、僕とフロイドは正式に番となり婚姻関係を結んだ

そして卒業と同時に僕は人間辞め、人魚となった
人魚として稚魚である僕はフロイドたちみたいに上手く泳げない
だから働こうにも僕を雇ってくれるところは無かった

フロイドは自分が養うから問題ないと言って聞かなかったけど、僕もフロイドのために何かしたかったのだ

必死に勤め先を探して、そしてようやくパート先が決まった

でも僕は知らなかった、人魚界の弱肉強食を



パートをするようになってから僕は海の世界を知った

「雑魚がこんなとこで何やってんだよ」
「泳ぎ方下手すぎてキモいんだけど」
「てか元人間ってまじかよ」
「人間なの?絶対近寄らないようにしよ」


通りすがりに身体をぶつけられることはよくある
物を隠されたり、聞こえるように悪口を言われるのももう慣れた

でもフロイドが初めて僕にくれた指輪を取り上げられたのは許せなかった

指に嵌められなくなったから、首にかけていたのが駄目だった

急に指輪を掴まれ、取られてしまった

「返して!」
「だったら奪ってみろよ!」

そう言って指輪を取った人魚は水流が早い方へ指輪を投げた

「あっ!!」

必死で追いかけたけど僕の拙い泳ぎでは、間に合わずに遠くまで流れて見えなくなってしまった

どうしよう

フロイドは僕が周りの人魚から馬鹿にされていることを知らない
知られたくない
強くて面白い人が好きなフロイドが、今の僕を見たらきっと幻滅するだろう

指輪を無くしてしまったことをなんて言おう
正直に言って嫌われたくなかった



「...フロイド、あのね」
「んー?」
「指輪ちょっと無くしちゃって。でも頑張って探すから!ごめんなさい」
「いいよー、また新しいの買ってあげるね」

フロイドは笑って許してくれたけど、新しいのを貰ってもまた同じことが繰り返されるだけだ



だから僕は魔法の特訓をした
NRCで習った魔法は主に陸用のものだ
海で使う場合は水の流れや水圧などを考慮してアレンジを加えなければならない

働いて家事をしてその間に魔法の特訓
忙しかったけどフロイドに嫌われたくなかった

幸運なことにフロイドは最近忙しいようで、帰りが遅い
バレないように特訓をするにはちょうど良かった

そうして僕はいじめられたらやり返すことを徹底して、海に来て一年後には僕を馬鹿にする人魚はだいぶ少なくなった



でも元人間の人魚は好かれてはいないようだ
馬鹿にされなくなったからと言って、友達になれるわけではない
フロイドがいない間、僕はずっと独りだった


それから数ヶ月後
フロイドがあまり帰らなくなった
前までは、どれほど忙しくても毎日帰ってきてくれた
今は3日に1回顔を見られればいい方だ

フロイドも忙しいんだよね

僕はそう思うことで何かを守ろうとしていた
フロイドが帰らなくなって、僕は独りになった

昨夜、5日ぶりにフロイドが帰ってきた
だからフロイドが家を出る前につい口に出してしまった

「次はいつ帰ってくる?」

その時のフロイドの顔を見て僕は失敗したということを悟った
その目はアズールの取り立ててで、支払いをごねる人を見る時の目だった

「はぁ?何でそれ態々お前に言わなきゃいけないわけ?そういうのうざいんだけど」

そう言い捨てフロイドは家を出ていった
フロイドは束縛されることが嫌いだ
僕は間違えてしまった

フロイドがこの家に来ることは少なくなった

次に来たのは1ヶ月後のことだった

「これあげるね〜」
そう言って有名ブランドのお菓子を手渡してきた
今日は機嫌がいいみたいだ

「ありがとう!」
お土産として何かを買って帰ろうと思えるほど、フロイドの記憶に僕が残っていたのが嬉しかった

それからフロイドは機嫌良さげにアズールやジェイドの話をした

あれアズール...?ジェイド...?
誰だっけ

「ねえ聞いてんの?」

フロイドは僕の様子に気づいたのか冷たい口調でそういった

「ごめん、ちょっと考え事しちゃって」
「人の話くらいちゃんと聞けよ、まじうっざ」

フロイドは出ていってしまった

あれ、僕さっき何を考えてたんだっけ



それからというもの記憶がふわふわとすることが増えた
僕は人魚として生まれたはずなのに実家の場所が分からなかった
通っていた学校も思い出せない

フロイドと同じ海の中の学校で過ごしていた気がするんだけど

たまにフロイドの顔も思い出せなくなる
でも部屋に飾ってある一緒に撮った写真がそれを防いでくれる

なんでこの写真僕達足が生えてるんだろう
陸になんか行ったっけ?



僕が親元を離れ一人暮らしを始めて数年が経つ

僕には唯一、ターコイズブルーの綺麗な髪の友人がいる
数ヶ月に1回家を訪ねてくるくらいだから、それなりに仲がいいと思う
いつも名前を思い出せなくて“あの”とか“ねえ”って呼んでしまうけど友人も気にしてないみたいだから別にいい

彼とはいつ出会ったんだっけなあ


「リジ―、ねえオレ飽きたぁ」

友人にそう言われて僕は理解が出来なかった
その言葉をすごく聞きたくなくて、怖くて、でもきっと何か言ったらもっと駄目な気がした

だから曖昧に微笑んだ

友人は帰っていった

バタンとドアが閉まる音がして、そして───



全て思い出した
彼はフロイド・リーチ
僕の番でNRCの同級生だった
ここは僕たちの家で、僕は人間だ

僕が人魚になるときにアズールに言われた言葉
──貴方は愛されている限り人魚であり続けます、そうでなければ記憶が、そして身体が泡となって消えるでしょう

きっと次に消えるのは身体だ
最後に全てを思い出したのはアズールの優しさだったのかもしれない

アズールはいつも優しさの方向性が間違ってる
いつかそう伝えようと思ってたんだ


尾鰭が泡になっていく
動けるうちにと、泳いでフロイドと一緒に撮った写真を抱えた
腕が泡になって写真が落ちてゆく

写真の中の僕は笑顔だった
僕は本当にフロイドが好きだった






───こんな馬鹿げた魔法薬を飲むのはやめなさい
フロイドの気分屋を知っているでしょう?

───でも僕みたいなやつに対して好きだって言ってくれた

───今は好きでも明日は分かりませんよ

───それでいいよ、フロイドが海に誘ってくれたんだもん。僕は今幸せだよ

───魔法薬の副作用をフロイドにちゃんと話したんですか?

───話してないよ、そのつもりもない

───どうしてです!?それでは貴方のリスクが大きすぎる

───フロイドの愛を疑ってるみたいじゃん、それに知らない方がきっとフロイドは自由だから

───どうなったって知りませんよ

───僕は自分の人生で後悔なんてしたことないよ

───はぁ、恋は盲目とはよく言ったものですね


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