「おねえたんおねえたん」
たどたどしい足取りで私の後を歩くのは弟の巴だ。私や真依と違いまだ幼いながらに呪術師として期待されている。禪院家一の呪力量を持ち、術式も相伝では無かったものの大層なものを持っていると聞いた。
一族の中で一番の末っ子ということもあり、この家で誰よりも甘やかされ猫可愛がりされているだろう。そんな巴だが、何故か私を気に入っていて小さい足を懸命に動かして私の後を追ってくるのだ。家の奴らが私達を嗤っても、巴だけは慕ってくれていた。あの家での数少ない癒しだった。
家を出るとき巴のことが気にかかった。勿論真依も心配だったが、巴は利用価値があり過ぎた。いくら可愛がられているからといって利用されないとは言いきれない。
それでも私は私のために家を飛び出した。
真依は私を恨んでいる、と思う。
でなければこんな嫌がらせを思いつかないはずだ。
例えば「まきおねえたんどこ?ぼくのこときらいになったからあそんでくれなくなったの?」と目に涙を浮かべた巴の動画を送ってきたり。
クレヨンで描いたと思われる拙い絵とその下に書かれた「だいめい︰まいおねえさゃん」(禪院 巴)のプレートの写真を送り付けてきたり(巴が書いたのか平仮名のちが左右反対になっていて少し癒されたが)。
極めつけは巴が寝ている姿の写真を寄越したかと思うと顔の部分だけ、クソ次期当主(候補)にすげ替えていた。
誰に似たんだか我が妹ながら、人の嫌がることをさせたら右に出る者はいないと思う。
「まきおねえちゃん!」
だから私は弟に飢えていたのかもしれない。弟の声の幻聴が聞こえてきた。脳内でもしっかり成長していておねえたんとは呼んでくれないが。
「まきおねえちゃん?まきおねえちゃん!!」
弟が何度も私を呼んでいる。気の所為じゃないな。
振り向くとパァと笑顔を浮かべた巴が見えた。小さい身体で懸命に駆け寄ってくる。しゃがみこんで両手を広げると勢いよく抱きついてきた。可愛い。
「お前なんでここにいんだよ」
抱き上げてそう聞けば「さとるくんがね、びゅんてしてねぽんってぼくをつれてきてくれたの」と要領を得ない答えが返ってきた。
「で、当の本人はどこだ?」
「わかんない!」
元気よくそう言われ頬が緩む。
いや待て、まさか悟のやつ勝手に連れ出してきたりしてないよな?
次の瞬間勢いよくスマホが着信を告げた。
「巴がいなくなっちゃったの!あの子きっと誘拐されたんだわ」
普段の生意気な態度から一変、酷く焦った様子の妹からだった。
「おねえちゃん、おでんわまいおねえちゃんから?」
電話が珍しいのか興味津々にスマホを見る巴。しかしその声が真依にも聞こえたのか、電話越しからキャンキャンと吠える声が聞こえてきた。
「ちょっと何巴連れて行ってんのよ!直ぐに返しなさい!!」
「悟の馬鹿に言え」
それだけ伝え電話を切る。そしてそのまま電源を落としておく。折角久しぶりに巴に会えたのだ。これは堪能するしかない。
真依に巴の居場所がバレたが、心配して大騒ぎになるよりマシだろう。というかあのクソ次期当主(候補)も巴にはデレデレなのを知っている。彼奴は煩いから、悟の名前で少しは牽制にもなるだろう。牽制も何も悟の所為だが。
「おねえちゃん。おかおこわいよ、ぼくがきたらめいわく?」
齢4つにして自分より他人を慮れるのか。今まで他人の顔色を伺ってきたのだろう。愛されてようと甘やかされてようとあの家だ。正しい愛情なんて持ち得ているはずがない。歪んだ愛で巴を苦しめていたに違いなかった。
「私は巴に会えて嬉しいよ」
柔らかい口調を意識して伝える。巴は顔を綻ばせて私の首に両手を回してきた。
「ぼくもおねえちゃんにあえてうれしい」
その言葉を嬉しく思いながら頭を撫で回す。ボサボサになったが犬みたいにキャッキャと喜んでいるからいいだろう。
「うわっ、真希誘拐じゃないよな…?」
「ぱんだしゃん!おっきい!ふあふあだあ!!」
「弟の巴だ」
パンダに見つかってあらぬ疑いをかけられそうになったが、誘拐したのは悟だ。にしてもパンダにはしゃぐ巴は微笑ましい。
「おねえちゃん、とうきょうのぱんだしゃんはおしゃべりするんだね!」
ホクホクとした顔の巴に訂正など出来るはずもなく「ああ、そうだな」と流しておいた。パンダがすごい顔をしていたが巴のためだ。そういうことにしておいてくれ。
パンダに肩車され楽しそうな巴を任せ、悟に電話をかける。巴に会えるのは嬉しいが連れて来た理由が知りたい。
「あ、もしもし〜。巴元気してる?」
腹が立つほど能天気な声が耳に入り切りたくなるが、巴のことを聞かなければならない。
「何で巴連れて来たんだよ」
「えぇーお姉ちゃんに会いたいって泣く可愛い子がいたら会わせてあげたいでしょ?ほら僕って優しいからさ」
優しいかどうかはさておき、泣いていたのか。巴の様子を伺うといつの間にか棘までいて、三人で戦隊ごっこに勤しんでいる。
「あの家での巴の様子分かるか?」
「流石にわかんないよ。僕もちょっと用事で行ったら巴が泣いてるの見つけただけだし」
それくらいで誘拐してくるなよ。いや連れて来てくれたことには感謝するが。
「これからどうするつもりだ?」
我ながら誘拐犯の台詞だと自嘲しながら尋ねる。
いくら悟といえども計画ぐらいはあるだろう。
「え、知らないよ。僕今広島だし、真希の弟でしょ?後のことはよろしくね」
此奴いつか殺す。そう心に決め、返事もせずに電話を切る。だが悟が誘拐したことはもうとっくにバレているし、家の奴らが迎えに来るまで五時間程はあるだろう。
せいぜい弟との時間を楽しむか。
┈┈┈┈┈
「巴がいーひん!!!!」
禪院家はそんな男の叫びで大パニックとなった。
可愛い可愛い末っ子が行方不明。悪い大人に捕まっていたら?怖い思いをしていないだろうか?最悪の事態を想像して泣き出す女中もいた。
実際は東京で大好きな姉に抱き着いているが。
真依から「五条悟の手によって誘拐された」と伝えられたあとは一同安堵したという。ただ一人を除いて。
「許さへん!絶対に許さへん!!」
殺意漲る目で単身東京に向かった直哉だが、彼は知らない。そこに五条悟がいないということを。
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