ラスト・プリマドンナ



※捏造設定過多
※ゆるふわ方言
※獅子学時代の妄想
※ちと→たち要素あり 恋愛というよりは複雑骨折したクソデカ執着だと思って書いています
※オリキャラ(女)がいます
中村 まどか
 東京からの転校生である主人公の唯一の親友。男の趣味が悪い。









 電車がホームに滑り込んでくる。金属の擦れる音と、遅れて吹き込んでくる風。九月になったところで暑さが引くわけでもない。暑くてどうにかなりそうなのに、頭の中だけは終始冷ややかだった。
 目の前を歩いていた大男――千歳千里は、私の方へゆっくりと振り返る。その不自然なリズムさえ、もう見慣れていた。あの瞬間から、すべてはこの結末に向かって収束していたのだと、私はどこかで知っていた。

「今まで、世話んなった」

 声に温度はなかった。

「うん」

 短い返事。必要な言葉だけが交わされて、それ以上は何も生まれない。
 アイツは私を見ない。最初から一度も、まともに見られた記憶がない。視線はいつも私を通り過ぎて、どこか別の場所へ向かう。
 今も同じだ。ホームの奥、人の流れが途切れたその先。誰もいない空白。そこにだけ、視線が留まる。
 分かっている。あそこに何もないことも、誰も来ないことも。それでもなお見る。その行為そのものが、もう答えだった。

――橘桔平。

 アイツの視線が本当に向いているのは、ずっとそこだ。
 あのとき感じた違和感は、後になって名前を持った。
 最初はただのズレだった。ラリーは成立している。返球は正確で、反応も速い。試合としては完成している。それでも、どこか決定的なものが噛み合っていない。
 理由は単純だった。アイツはボールを見ていない。いや、見ているが優先順位が違う。打つ直前、ほんの一瞬だけ視線が浮く。そのわずかな揺れが、すべてを物語っていた。
 橘を見ている。それだけだった。
 テニスは手段にすぎない。勝敗は副産物でしかない。
 アイツにとって重要なのは、橘桔平がそこにいるという事実を、繰り返し確認することだった。ラケットを振るたびに、その存在に触れる。語り合うためのラリー。惹きつけるためのリターン。アイツにとってのテニスは、橘の心を独占するための媒介だ。境界線を食い破り、橘の世界を閉じるためのテニス。
 手を伸ばしているのだ、と私は思った。勝つためではなく、届くために。触れるために。繋ぎ止めるために。
 その理解は、不快ではなかった。むしろ妙に腑に落ちた。だからこそ危ういとも思った。結果よりも関係を優先する人間は、どこかで必ず破綻する。それは――私だって同じだ。
 同族嫌悪。これほどまでにぴったりと嵌る言葉があるなんて、なんだかそれがおかしかった。




慈雨の眸



「ねえ、聞いて!」

 中村まどかの声は、何も知らないまま明るい。
 彼女は東京から熊本に引っ越して以来、周囲と上手く馴染めなかった私にとって、かけがえのない親友だ。眩い笑顔を振り撒き、そして男運のなさに落ち込み、そしてまた懲りずに恋をする。それを毎回慰めてやるのが私の役目だった。
 いつだって自分の気持ちに正直で、傷付くことを恐れない。芯のある強い子だ。

「うち、千歳と付き合うことになったと!」

 私は一瞬だけ言葉を失った。
 趣味が悪いにも程があるだろと思った。いつものようにぐっと飲み込んで、平坦な声を作り出す。

「……そうなんだ」
「まさかオッケーしてもらえるとは思っとらんかった!びっくりしたー!」

 その笑顔に影はない。
 千歳の本心はわからない。
 別れたら別れたで、いつものように慰めてやればいいだけだ。いつもと何一つ変わらない。
 しかし、どこかで警鐘が鳴っている。今までの歴代彼氏たちとは、何かが違う気がした。胸のざわめきが、小さな畝りを生む。
 ふと止めるという選択肢が思い浮かんで、すぐに立ち消えた。止まらないと分かっているからではない。止める理由が私の中に存在しなかったからだ。たしかに引き止めるのは簡単だが、それでは彼女の本質を損ねてしまう。
 私の熊本で出来た唯一の親友。天真爛漫な恋する乙女。それが中村まどかという女の子なのだから。そんな彼女のことを、心底愛しく思ってしまっているから。
 だから私は、彼女をそっと見守り続けるだけだ。




愛憎は彼岸にて



 私はただ知りたかった。アイツが何を考えているのかを。何をしようとして、どこまで行こうとしているのかを。
 放課後コートに向かうと、ふたりの試合はすでに始まっていた。
 長く続くラリー。観客はただ息を呑み、必死にボールを追う。素人目に見てもハイレベルな打ち合いなのだと分かった。
 私は視線を辿る。アイツの視線は、ほとんど執着に近い精度で橘に向かっている。打点よりも、その位置。軌道よりも、その存在。

 見ている。確かめている。噛み締めている。

 その繰り返しに、私はある種の恐怖を抱いた。
 アイツはこの状態を終わらせたくないのだと、はっきり分かる。試合の決着よりも、この均衡が続くことの方が重要なのだ。
 一分一秒でも長く、橘の視線を独占したいだけ。ネットを挟んでコートに立てば、あるいは隣に並び立てば、そこはふたりだけの世界になるのだから。

 試合後、橘に声をかけた。
 疑問は確信に変わった。やっぱりアイツは、まどかのことなんてこれっぽっちも興味ない。付き合う理由なんてないはずだ。
 けれど、ひとつだけ可能性がある。それを確かめたかった。

「名字がわざわざ試合見に来るなんて、珍しか」
「千歳のことなんだけど」
「なんね?」
「まどかと付き合い始めたでしょ」
「ああ、聞いたばい」

 関心がないわけではない。ただ、優先順位の問題だ。橘の表情をじっと観察する。
 声のトーンを少し下げて、私は本題を切り出した。

「……本気だと思う?」

 橘は少しだけ考え、それから首を振る。

「正直、分からん」

 お手上げたい。そう言って橘はゆるりと笑った。豪快な彼らしくないしおらしい笑顔。
 けれどその答えは誠実だった。分からないものをはっきり分からないと言える人間だと、そのとき初めて思った。

「もし中村んこつ傷つけたら、俺も一緒に殴りに行っちゃるけん」
「うん、よろしく」

 だからいったん目を瞑ってくれないか、と橘は言った。
 橘らしい責任の取り方、筋の通し方だと思った。どうせ付き合うなら、橘みたいな誠実な男にしておけば裏切られて泣くこともないだろうに。
 でも、彼女はそんな男は選ばない。何度傷つけられても、どんなに相手がダメな奴でも、自分が恋した相手を迷いなく選ぶのだ。
 そういう真っ直ぐなところが、大好きで、だいきらい。




神の一手



 それから何回も橘と相談したれど、アイツは何も変わらなかった。何を言われてもどこ吹く風で、自分勝手に振る舞って、まどかのことなんてこれっぽっちも考えていない。
 橘がいれば橘を見て、橘がいなくても橘がいるかも知れない場所を見ている。こんなに露骨だなんて、観察をはじめたことを少しだけ後悔した。
 そして案の定、アイツは最悪な次の一手を打ってきた。
 廊下で呼び止められる。

「なあ」

 振り返るとアイツがいる。距離は近いのに、焦点が合っていない。やっぱり私のことなんて見ていないのがすぐに分かった。

「俺のこと、警戒しとるっちゃろ」

 否定しなかった。事実なのだから、否定する意味がない。

「まあよか。で……俺と付き合わん?」

 その言葉に、私は驚かなかった。理解が先にあったからだ。これは告白ではない。橘桔平へ至るための、ひとつの手段。私という存在は、そのための媒介でしかない。
 橘がまどかを褒めたから、まどかの告白を受け入れた。そして次は橘とよく話す私に付き合おうと持ちかける。人としては最低かも知れないが、動機としては一貫性がある。

「……いいよ」

 そんな最低で最悪な提案を、私は受け入れる。
 まどかを利用されるくらいなら、私が利用されてやる。誰だっていいと言うなら、それは私でもいいはずだ。傷が浅いうちにアイツとまどかを引き離せれば、なんだってよかった。
 ようやく視線が合う。覆い被さるようなキスをされても、私の心は凪いだままだった。

 アイツはすぐに別れを切り出したらしい。「千歳って、やっぱりうちのこと好きやなかったと」と涙を浮かべるまどかの手を引いて、人通りのない階段まで連れて行く。ぐずぐずと泣き出した彼女にハンカチを差し出して、時折声をかけながら隣で泣き止むのを待つ。
 いつものことだ。何回繰り返しただろうか。
 しばらくすると彼女は赤くなった目尻を下げて笑った。

「ありがとぉ、なまえ」
「別に。このくらいのことなら、いつだって」
「なまえはいつもうちの味方でいてくれるけん。最高の友達ばい」

 うち、なまえがおらんと駄目みたい。だーいすき! そう言って笑って、まどかは私に抱きついてくる。ああ、私はこれを待っていた。まどかが誰かと付き合い始めるたびに、私はこの終幕を待ち焦がれていた。
 ふわふわの癖毛を撫でながら考える。きっと逆だ。私がまどかに依存している。『別れたまどかを慰める自分』というアイデンティティを手放せない。
 歪んでいるんだ。アイツみたいに。
 まどかの居ない世界で、私は上手く生きていけない。




比翼の鳥



 橘が紅白戦で千歳の右目にボールをぶつけ、視力の回復は絶望的だとテニス部の面々が話しているのを聞いた。そして、橘が頭を丸めて退部したとも。
 元から少なかった千歳からの連絡が途切れ、自然消滅かと思っていた矢先だった。私は久しぶりに橘に会いに行った。
 綺麗だった長い金髪は、真っ黒な坊主に変わっていた。今時そんな反省の仕方があるか、と思ったが心のうちに留めておく。

「事故だったんでしょ」
「俺は親友の右目の視力ば、そんでテニスば奪ったけん。ケジメたい」

 思わずため息が漏れる。それって、アイツの思う壺なんじゃないか?
 呆れて言葉が出ない。しかし橘は私のことはお構いなしに本題を切り出してきた。

「千歳の見舞い、頼んでもよか?」
「……は?」
「親父の転勤が決まったけん。もう、見舞いには行けん」

 最悪だ。全ての歯車が狂い出している。
 同時にそれは、アイツにとって最高の結末を招ぶのかもしれない。冷や汗が背中を伝い落ちていく。
 橘は頭を下げようとする。それを視線で制して、私はなんとか言葉を続けた。からからに乾いた喉が、なんとも煩わしい。

「ちゃんと行くから、心配しないで」
「恩に着る」
「ううん、今まで迷惑かけたのは私の方だし。えっと……元気でね」
「おう、名字もな」

 震える指先を握り込んで、私は立ち尽くす。
 確かめに行かなくては。それができるのは、きっと私だけだから。

 病室は、静かすぎるくらい静かだった。
 白いカーテンが閉められていて、ぎらぎらと照りつける残暑の光が柔らかく透過されて差し込んでくる。時間の感覚が曖昧になるような、どこか現実感の薄い空間だった。
 ベッドの上で、アイツは上半身だけを起こしている。眼帯で隠された右目は痛々しいはずなのに、不思議と視線はそこに引っかからなかった。

「元気?」

 片方だけ開いた左目が、ゆっくりとこちらを捉える。
 左目は見えているはずなのに、私を見ているのかいないのか分からない。それでも私は、試すように言葉を投げた。

「まさか見舞いに来るとは思っとらんかった」
「そこまで薄情じゃないよ、私」
「……」
「ウソ。橘に頼まれたから来ただけ」

 一瞬だけ、空気が揺れた気がした。
 その名前を出した途端、アイツの意識がわずかにこちらから逸れる。見えないはずの右側へ、ほんの少しだけ。
 条件反射みたいな動きだった。私はそれを見逃さない。
 胸の奥で、確信が形になる。
 やっぱり、そうなんだ。

「良かったじゃん、キズモノにしてもらえて」
「酷か。言い方に悪意があるばい」
「私が優しくする理由って、ある?」
「……そりゃあ、なかね」

 軽口みたいなやり取りなのに、どこか噛み合っていない。会話は成立しているのに、同じ場所に立っていない。
 私は少しだけ間を置いてから、踏み込む。

「どう思ってるの、橘のこと」

 問いかけた瞬間、空気が変わる。
 今まで曖昧だった焦点が、はっきりと定まる。
 片方しかないはずの視線が、まっすぐ一点を射抜くように鋭くなる。
 そして、アイツはゆっくりと右目に触れた。眼帯の上から、確かめるみたいに。幼い子供が、宝物に触れるみたいに。失ったはずのそこに、何かが宿っているのだと。
 それから、ほんの少しだけ笑う。

「あん時の桔平、綺麗やったばい」

 それだけだった。
 それ以上は、何も言わない。言葉にする必要がないのだと分かっているみたいだ。
 私はその横顔を見ながら、ようやく理解する。
 ああ。この人は、もう終わっている。
 いや、違う。終わらせたのだ。
 あの一瞬で、橘の魂に自分を焼き付けて。そしてその右目に、橘を焼き付けて。消えない形で、残ることを選んだ。失ったものと引き換えに。
 右目を奪われたのではない。千歳は、自分で差し出したのだ。

――そぎゃん技完成しとっとなら、言っとかなんたい、桔平。

 あんな呪いみたいな言葉と共に。橘のせいだなんて本気で思ってないくせに、そうした方がより効果的だって分かっていたから。
 偶然転がり込んできたチャンスを、運命にするための一手。相変わらず最低で、最悪の一手だ。
 私はその瞬間、完全に理解した。
 アイツは満たされている。失ったものよりも、残したものの方が大きいと確信している。橘桔平の中に、自分が決定的な形で刻まれたという事実。それだけで十分なんだ。




ラストリゾートには
辿り着けない



 とんでもない二人に巻き込まれたお陰で私は、アイツの『熊本最後の彼女』という不名誉な肩書きを得てしまった。出来ることなら速攻で返上したいけれど、それは無理だ。アイツは怪我の治療のために大阪に行くから。今日がその出立日。

「名字は俺には勿体ないくらい、良い女ばい」
「ぜんぜん嬉しくないけど?」
「ははは」

 元カレを見送るなんて柄じゃないけど、最後くらいはちゃんとしておきたい。
 電車がホームに滑り込んでくる。金属の擦れる音と、遅れて吹き込んでくる風。アイツが私の方を振り返る。

「今まで、世話んなった」
「うん」

 電車のドアが開く。アイツが乗り込む。
 その直前、やはり視線はホームの奥へ向かう。誰もいない場所。だが本当に見ているのは、その先にある記憶だ。ありし日の思い出、懐かしい幻覚。
 橘に視力の奪われたその右目で、橘が焼き付いたまま時間を止めたその右目で、アイツは一体何を見ているのだろう。
 ドアが閉まる。電車が動き出す。私は振り返らない。
 結論はすでに出ている。

——結局、アイツの一人勝ちだった。

 橘は忘れない。一生親友の右目を奪ったという消えない罪を抱えて生きていくし、絶対に赦しなんて求めることはないだろう。痛みと結びついた記憶は、簡単には風化しない。
 アイツは右目を失って、代わりに橘の人生を手に入れた。それを理解している。だから、あれでよかったのだ。少なくとも千歳千里にとっては。
 ポケットに入れていたスマホが震える。

『ねえ聞いて!また彼氏できたと!』

 まどかからのメッセージ。画面を閉じて、少しだけ笑う。
 この子は変わらない。変わらないということが、ひとつの強さでもある。
 私は歩き出す。
 これからも、私は同じことを繰り返す。何度だって相談に乗って、別れたら慰めて、そうやってずっと側にいることを辞めないだろう。まどかに切り捨てられるその時まで。
 アイツみたいに何かを差し出す勇気は出ない。
 でも、それが私だから。そしてその在り方から、私は絶対に目を逸らさない。




2026/03/22

4th四天でいきなり二翼沼に転がり落ちた記念の怪文書です。ずっと定点してたら大千穐楽でした。二翼に振り回される泥沼青春を送りたいな…と思いこの話を書きました。なんとか形にできて良かったです!


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