:: 30.5:白き手の狩人
眩いほどの光の中、麦のざわめきを聞いていた。
すべてが終わったその場所で、織は小さく呻いて奥歯を噛みしめた。終わってしまった。すべて終わってしまった。
欲しかったものも、己の存在を象ることばもない。どこかで知らぬうちに失くしてしまっていた。
世界を嘆いて、孤独を悲しんで、ほかの誰かに見つけられることを望んで、暗然たる世界から輝きを見出し、たくさんの本を紡いでくれたひとも、もういなくなってしまうのだ。
「……ごめんなさい、槙島さん」
所々赤く染まった白髪に指を絡ませる。するりとほどけて、宛てもない手のひらが地に落ちた。その手を緩く掴まれて、泣きそうになる。
彼の望みを断ち切ったのは、紛れもなくこの自分だ。
「……これでいいんだ、織」
「っ……!」
「きみを責めたりするものか。僕は織の意思を尊重すると言ったはずだよ」
押し黙った織の表情が更に歪む。きつく拳を握って、また喉の奥で呻いた。無力だ。今更誰と交渉しても彼は助からない。もう遅い。多くの血が流れすぎていた。
血の気のない指が織の白い頬を優しくなぞる。まるで幼子をあやすように柔らかく触れた。堪えきれなかった涙が指を伝って地面へ落ちる。
「泣かないでくれ」
「……無理」
「そうか」
もっと伝えたいことがある。謝りたいことも沢山ある。そして分かって欲しい。この下らない望みを。しかしその願いはもう叶わない。
「槙島さん、僕は子供みたいに思ってた」
小さく囁く。狡噛が目覚めてしまう前に。命が尽きる前に。
「三人でいられたら幸せだろうな、って。今更無理だけど、僕の馬鹿な願いだった」
「……そう」
「あの人に、あなただけは殺めて欲しくなかった。でも、僕は止めを刺せなかった。だから今、槙島さんは緩やかに死んで行く……全ては僕のせい」
「織のせいじゃない」
彼は薄く笑って、頭を撫でてきた。弱々しいけれど優しかった。
満足げに目を閉じて、身体の力を抜いたのが分かった。薄らぐ温もりと、重み。
朝日に融けてゆく。
「ああ、変な気分だよ」
「何が?」
「僕は、ある意味満足している」
僕は、この男を心底慕っていた。
一生忘れないだろう。彼の言葉を、無垢な声を、端正な顔を、あの剃刀の鋭利さを、事解いてくれた本を、槙島聖護という彼のすべてを。
来世があるのなら、もっと上手くやれるだろうか。出来ればそんなものあって欲しくはない。二度目に意味はない。
彼を生かせば、脳味噌の怪物に取り込まれてしまう。それは嫌だ。
あのままでいたら、狡噛が撃ち殺してしまっただろう。それも嫌だった。
ならば自分が手を下すか? それも嫌だ。つまるところ、この我儘がこの状況を作り出したのだ。
彼が段々弱っていくのを切に感じながら、ぼろぼろ涙を溢す。そのたびに白い顔に水滴が落ちて、血の色を滲ませる。
「……さよなら」
どうか安らかに。
まだ其方へは行けない。したいことがあるから。すべてが終わったら、また此処で会いたい。それまで、さよなら。どうか導いて。
「……織」
「ついさっき、息をしなくなった。ほんの少し前までしてたのに」
「そうか」
どれだけ時間が経ったのだろうか。背後から声を掛けられ、彼が目覚めたのだと気づく。恐る恐る聞いてみた。
「……怒ってる?」
「俺の落ち度だから別に気にしてない」
「そう。嘘が下手だね」
予想通りの答えに思わず笑みが溢れた。
立ち上がり丘からの景色を見下ろせば、目の前に広がる麦の広野。世界は案外広い。
「さあ、どこに行こうか。狡噛さん」
/20141002
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